大槻ケンヂとノストラダムスの大予言

1999
2020年7月21日、ノストラダムスの大予言の著者である五島勉氏の訃報が舞い込んだ。
予言というとスピリチュアルでカルトな匂いのする言葉である。しかし、世紀末である1999年には地球が滅亡すると多くの人々が信じ込んでいたという。この日、多くの文化人や芸術家もこの訃報を受け、かつての世紀末に思いを馳せていた。

ミュージシャンである大槻ケンヂ(筋肉少女帯)もそのうちの一人である。彼はSNSで、「 1999年7月に死ぬ大前提で少年時代を生きていた。なので今は滅亡しなかった人類としておまけの人生を生きている、というボンヤリ感がある」と投稿していた。
私はこの投稿を見た時少し嬉しく思った。それは私自身の怠惰で疎放な性質からきた感情かもしれない。1999年に私はこの世に生を受けた。つまり産まれた瞬間からおまけの人生である。もちろん、大槻ケンヂの投稿は、大槻ケンヂ自身が少年時代にノストラダムスを信じていて、だからこその「おまけの人生」であると言う考え方だ。だからこそ私は今更ノストラダムスの大予言を信じることにしたのだ。コロナ禍で、様々な出来事が起こった、もしかしたら、様々な出来事が起こらなかったと言った方が適切かもしれない。遊び盛りでやりたいことも行きたい場所もたくさんあった。バイトをしてお金を貯め、夏には海外旅行に行ったり、音楽ライブにも行く予定だった。しかし、感染症の拡大により海外旅行はもちろん音楽ライブにも行けず、気に入っていたアルバイト先は、客足が遠のきシフトに入れなくなってしまった。仕方なく探した新しいバイト先はパワハラの温床であるという惨状だ。 今までで一番楽しい年になるはずだった。

私はコロナを恨んで、人生を憂いだ。しかし、ノストラダムスの大予言を信じた瞬間に、今の私は「滅亡しなかった人類」であり、私の人生は「おまけの人生」になり得る。幸い今の生活も「おまけの人生」にしては上等である。私は人生に於いて、多くの物を求めすぎていたかもしれない。

終末は訪れなかったが、ノストラダムスの大予言は多くの人々の人生に何らかの変革をもたらし、その影響は今も続いている。終末論は虚構ではあったが虚像ではない。そして私にとっては偶像となり得る俗言である。

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