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再考-自愛について

ありのまま欲求のまま、それがたとえば一定の社会通説的善に反しているものであっても、それ自体が私にとって何なのかということを常に文章に融解してもう一度私に取り込みなおして、何度でも取り込みなおして、更新したり巻き戻したりやり直そうとして失敗したり、行き当たりばったりの往復を繰り返しながら1日ごとに何とか生き延びることばかりしてきた。今もしている。このやり方でしかやってこられなかったという実感は当然持っているし、時間が戻っても完全リプレイのような時間をきっと辿るでしょうということも知っている。

けれど、その代償がとても大きすぎたのではないかとも最近感じているのも本当で、たった今、刹那的に見舞われている絶望的なままらなさを乱雑に排他することで生き延びる代わりに負う傷がちゃんとあるということ、それを認めること、他のやり方を覚えることをできるようになりたいとこの頃は思っている。丁寧に生きるという訓練をしなければいけない。

他人の孤独を愛していたいというもはや性癖ともいえる欲求は、全く以て私が私の孤独をどう取り扱うかという問題とは断絶していた。そのことを見逃したまま、他人の孤独を愛することで私は自分の孤独も一緒くたにして愛せるのではないかと、虚構のライフハックを信じて希望を持ってしまっていた。だから他人の孤独に依存して、`誰かにわかられたい、わかられた気になりたい`という誰でも普遍に持っている心の奥の切実さに付け込んで、乱用して、悪用して、最後には`結局わからない`自分に嫌気がさして、何もかも消費しきることを繰り返した。私が愛だと信じて止まなかったものは一体何だった?

「そのままでいいよ、ありのままでいいよ、寂しい君が好きだよ、」それは愛だったのでしょうか。なんでもいい、とは、どうでもいい、それだけだったかもしれない。孤独の存在にばかり意識を向けて、肯定で救うふりをしてその孤独に縋っていたのは私のほうだったかもしれない。孤独の中身なんて、結局なんでもよかった、どうでもよかった、かもしれない。

空虚で仕方がない。人を愛したいと思っているのに、ほんとうに、人への愛おしさで生きられているのに、全てが違っていたかもしれないことも、私の無責任な全肯定が一層の孤独を愛おしかった誰かに返してしまったかもしれないことも、数えきれないけれど全て記憶している失敗歴ゆえの膨大な未練も、今更どうしようもない。

ままならなさ、孤独、憂鬱。まずは自分自身が纏ってしまっているこれらを一つずつ掬っていくことでしか、愛おしいはずの誰かへの在り方を変えることなんて、ましてほとんど癖になってしまった愛のやり方を直すことなんて、きっとできない。乱雑に排他するのではなく、丁寧にじっと耐えてみること、耐えた先で自分の身体に馴染んでいくのを待つこと、そして受け入れられる瞬間まで保管することを身に着けたい。すごくハードな訓練だけれど、その私で、人の寂しさに依存せず、依存しないまま寄り添えるようになりたい。

あまりにも耐えがたい瞬間や、衝動なんて、いくらでもある。そんな時のために、私には部屋にため込んだ本がたくさんたくさんあった、そのことを、思い出した。だから今日は、好きな本と一緒に夜を明かすことにした。それを楽しみに仕事を頑張ることにした。

自分を大切にするなんて、簡単に言ってくれたものだよなといつも思う。ずっとその意味を考えていても、まだまだ分からない。分からないなりに、でも健闘するための「好きな友達」と「好きな本」とが私にはいつだってあったじゃない。私の孤独に巻き込んでしまった本当は大事にしたかった人をこれ以上増やさなくて済むように、私がまっとうで幸福な愛を身につけられるように、ちゃんと人を大切にできる人でいられるために。

たった一言の欲求、衝動を冷静に受け入れるために1500文字が必要なんて深刻に面倒くさいね。言葉に救われる人種の皆様へ、おすすめの言葉を添付します。私の大切なみんなへ、みんなもご自愛してくださいね、今日も今日とて


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