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こういう人になりたいと思った|ちはる-キタニタツヤ


自分が立つ情景により、聞きたい曲が変わりはしないだろうか?
私は割とそういうタイプである。

雑記。


ちはる(キタニタツヤ)を聞くときに感じる温度は、冬と春の間の温度だと思っている。


昼下がりの街はグレイスケールの海

ちはる


2024年2月1日、日中、東京は初春のような気温だった。


仕事の日、昼休憩は1時間。
今日の私は、10分で昼食を済ませてしまった。
いつもより休憩時間が大幅に余る。
から、上着も着ずにやや肌寒い都会を歩いた。
運動不足だし、30分程度散歩しようと思い立ったのだ。

あまりに都会で、汚い排気ガスと、聳えるビルの合間に見える曇り空は「グレイスケール」で、
昨年の4月ごろも同じことを思ったことをふと思い出し、ちはるを流しだした。
環境音がやたら煩い、緩やかな傾斜の歩道から、私は曲の世界に飛ぶ。

ちはるは、ちょうど今日のような気候が一番相応うものだと思う。


リピート再生でぼんやり聞きながらとろとろと歩いていると、
今日の私は、「この曲のような人になりたい」と思った。

友人のいるTwitter(X)で、そのままただ「この曲のような人になりたい」とつぶやくと、
友人は歌詞を拾い、「歌詞のような(僕の追う)女性になりたいの?」と聞いてきた。

ん?なんか私の心情と違うなあと思った。

つづけて友人は「(追っている僕のような)女性?」と聞く。

それもまた違った。


おそらく私が着目していたのは、
歌詞の人物ではない。

曲調から織りなされる「概念的」な部分と、キタニ氏の「声音」、
歌詞で言えば叙情ではなく、主人公の生きる場所「叙景」の話だったのかと思った。

私はこの曲の主人公や、主人公の愛した人ではなく、
ただ「この曲のような人になれたら」と思った。

「それってどういう人?」と言われても、私の中でもイメージじみていて判然としないので、わからないけど。

何度踏みつけられて汚れてもなお鮮やかな桃色が
あの日から色のない霧に囚われた
僕の目には眩し過ぎたよ
季節が千巡っても、またここに戻ってこようと思う
花冷えの日

ちはる


明確に説明しうることはないが、「僕」ではなく、「君」でもなく、
どちらかといえば「花冷えの日」のような人になりたいのかもしれない。


どういうこと…!?
どうですかね。

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