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南治一徳さんに聞く「僕らはこうやってゲームを作ってきた」(01)

毎月専門家のゲストをお招きして、旬なネタ、トレンドのお話を伺います。


今週から対談は新シリーズに。

西田との対談のお相手は、ゲーム開発会社・株式会社ビサイドの南治一徳さんだ。ビサイドといえば、1999年に発売された『どこでもいっしょ』、そしてそのキャラクターであるトロが有名。南治さんのTwitterアカウント名も@torotiti だ。

20年以上ゲーム開発をしてきた南治さんにその話を……というところもあるのだが、それと同じくらい聞きたいと思っていたのが「どんな風にPCにふれ、どんな風にゲーム開発に携わることになったのか」という点。南治さんと西田は同世代なので、「あの時代をどんな風に過ごして今に至るのか」という、昔話をしたい……ということなのだ。

そこからは、単に懐かしい話だけでなく、多くの技術者やアーティストを産んだ、1980年代から2000年代までの空気感のようなものを読み取れるのではないか、と思っている。(全5回予定)

なお、初回分は無料公開されるが、2回目以降はnoteでの都度課金もしくは月額制マガジン「小寺・西田のコラムビュッフェ」ご購読が必要になる。


■みんなが「コン」に憧れた

西田:じゃ、よろしくお願いします。

南治:よろしくお願いします。

西田:最初に伺いたいんですけど。パソコンを最初に触ったのって、おいくつぐらいの時でした?

南治:物理的に「触った」で言うと、小学校かな……小学4、5年生ぐらいじゃないですかね。1970年生まれなんですよ。だから、時期的には世の中でPC-8001とかが広まり始めていた頃。ただ、PC-8001をリアルで触ったのはもうちょっと後で。自分がいちばん影響を受けたのはやっぱりあれなんですよね、『こんにちはマイコン』だったのでPC-6001になります。

西田:はいはい。

南治:小学校の時にそれが出て、PC-6001をたとえば電器屋さんで触って「すごいなあ」とかってやってたのが、触ったのは最初かなと思いますね。

西田:みんな『こんにちはマイコン』ですよね。僕もそうです。

南治:そうなんですよ。やっぱり、何かゲームをやりたいのと、ゲームを作りたい、みたいな。でも、最初に「パソコンでゲームができるんだ」って思ったのは、たぶん小学校4年生ごろ、遊園地に行ったらパビリオンの展示があって。そこで何かパソコンゲームで、『インベーダーゲーム』が動いてたんですよね。

西田:ああ、はいはい。

南治:だから、「インベーダーが家でできるんだ!」みたいなところからですよね(笑)。

西田:ですよね。僕もまったく同じですね。正確に言うと、僕がいちばん最初に触ったのは――あ、でも6001のほうが先に触ってるのか。いちばん最初はたしかに『こんにちはマイコン』を読んでPC-6001とかが近くの家電屋さんにあって、見て「すごいな!」みたいなのがあって。で、同時期に、僕らの世代だとラジコンブームがあったじゃないですか。

南治:ありました!

西田:ありましたよね。で、実はラジコンが欲しかったんだけど、叔父がたまたま夏休みか何かで家に来てて、その時に「お前、同じ“コン”を買うんだったらマイコンじゃねえのか」って。

南治:あっはっは(笑)。“コン”って全然違うじゃないですか!

西田:全然違うし、値段帯も違うんだけど、無茶苦茶言ってる(笑)。ただ、今考えると少しありがたいなと。その叔父って、何をしてたかは全然知らないんですけど、実はその当時ソニーにいて。

南治:ああー。

西田:ソニーで何かやってて、その後に辞めたらしいんです。全然内容は知らないんですけど。

南治:すごい。

西田:考えると、若干、奇妙な縁を感じるところはあるんです。

それで、“コン”を買うということになって、親が「じゃあ分かった」といって買ってくれた、みたいなところがあるんですよね。

南治:あはは(笑)。すいません、昔話つながりですが、すがやみつる先生が『こんにちはマイコン』の前に、やっぱり同じようにけっこうラジコンやってたんですよね。

西田:ああー、そうですね!

南治:『ラジコン探偵団』という漫画があって、すがやみつる先生の漫画を読んだのは、実は自分はそれが最初なんですよ。だから「ラジコンすごい!」って思ってたんですけど、田舎だったのでラジコン屋さんとかそもそもないし、しかもスーパー高かったので。ラジコンって完成品じゃなくて、バラバラで買って組み立てるのが、より王道じゃないですか。

西田:うん。

南治:そんなのできません、みたいな感じだったので。その後、マイコンになって、それこそ『こんにちはマイコン』みたいなのがあって……というところはすごい思い出しましたね、今。

西田:ね。結局、あのへんの時代ってやっぱり、今でいう子供ホビーとして、「なにかを作る」とか「動く」というのが、ちょっとお金をかけられるようになった時代で。でも、子供がなんとか作れる・買えるようなものが、ある種、憧れとして、『コロコロコミック』とか、ああいうのに載るようになった時代なんですよね、たぶん。今考えると。

南治:そうですねえ……

西田:『コロコロ』の漫画には相当影響されてるはずなんですよ。

南治:そうなんですよ。『コロコロ』は最初、それこそ自分も『ドラえもん』が好きだったから、『ドラえもん』きっかけで読み始めたものの、やっぱり『ゲームセンターあらし』とかが始まって、いいなあ、みたいなのとかがすごくありましたね。

西田:ですよね。その後に小学館の方とかに聞くと、「最初はみんなキャラクターで入ってきて、でも、4年生、5年生になると、いわゆるホビーの世界に男の子はどっぷりになっていく」そうで。だから『コロコロ』の軸は何かというと、ドラえもんみたいなキャラクターとホビーなんだ、と言われて、なるほどな、と。それはもうずっと変わらない、という話は聞いたことがある。

南治:なるほどなるほど。たしかに。そのあとミニ四駆とかになっていくわけですね。あ、その前にファミコンがあるのか。

西田:そうそう。ファミコン、ミニ四駆、みたいに、結局はいわゆるメカホビーみたいなものが男の子は大好き、というのは変わらないまま。

南治:あはははは。そうですね。

西田:で、いちばん最初に自分でプログラミングをしたのって、おいくつぐらいで、題材は何でした?

南治:もちろん、「プログラムした」で言うと、それこそ『こんにちはマイコン』に入っていたのを電器屋さんで打ち込んだ、みたいな感じにはなりますけれどね。

ただ、それだとやっぱり限界があるので。親にず――っと小学生の時から欲しい、欲しいと言い続けてたので、中学に入るタイミングで買ってくれたんですよ。その時に買ってもらったのが、PC-8001mkIIで。その当時、ちょうどmkIIが出ていて、初代PC-8001から値段も安くなってたし、グラフィックもついたしで良かったんですけれど、まあなんか残念な機種で。

カラーが4色しか出ないので、なかなかゲームの移植作が出なくてですね、騙された!みたいなのがありましたけど(苦笑)。

西田:そうですね(苦笑)。僕も同じように、中学に入る直前に買ってもらったのが、MZ-1200だったんですよね。

南治:おおー! 1200! いいじゃないですか!

西田:すげー格好いいんですよ、今考えても。めちゃめちゃ格好いいんだけど、あれってキャラクターグラフィックスしか出ないじゃないですか。

南治:あれって、拡張ボードみたいなものをつけないと、グラフィックが出ないんでしたっけ。

西田:そう、PCGボードって言って。あれを挿せばだいたい出せるんだけど、それがなくて。だから『マッピー』を買うとテレビが「テレビ」ってカタカナで書いてある、という。

南治:そうですね。あれは残念ですよね。

西田:なので、文字しか使えなかったので、かっこいいけどこれは失敗したなあ、と思いながらプログラミングを始めた、というのがいちばん最初です。

南治:自分も、家に来てからですよね。ちゃんとプログラムといっても、BASICぐらいですけれど、始められたのは。最初は本当に、BASICのリファレンスマニュアルが付いてたから、それのサンプルコードを打ったり、あとはあれですね。幸い、8001の資産が全部動いたので、『はるみのゲーム・ライブラリー』とかを散々打ち込んでましたね。『はるみのゲーム・ライブラリー』は、そのあとまたヤフオクとかでゲットして買っちゃいましたけど。あれはだいぶやりましたね。

西田:僕も、MZ系の――結局シャープってずっとマイナーじゃないですか。言うたらアレですけど(笑)。

南治:まあ(笑)。

西田:なんとかマイナーなものを見つけるために、『ベーマガ(マイコンBASICマガジン)』とか『I/O(アイオー)』とかを読んで、プログラミングして。しかも、MZ-1200ってMZ-80K系統なので、MZ-80Bとかのプログラムは当然動かない。「じゃあ80Bのプログラムを移植すればいいじゃん!」といって動かすんだけど、やっぱり動作は遅いので。「あれ、おかしいな、思ってる通りにならないな」とかっていうのをベーマガ見ながらやってた記憶がありますね。

■みんながどこかで「すれ違って」いた

南治:はははは、なるほど。いやほんと、1200……やっぱりディスプレイ一体型は格好いいっすよね。うちはね、さすがにディスプレイは買ってもらえなかったから。結局、RFコンバータで繋いでたんですよ。

西田:テレビを。

南治:盛大に字が滲んで。いわゆる80桁表示にすると全然読めん、みたいな。

西田:はいはい。

南治:40文字でよくプログラムとかやってたな、と今思うと思いますね。

西田:そうですよね。横40文字とか、42文字とか。MZ-1200だと、たしかノーマルの設定だと42文字とかなんですけど。42文字とかで折り返しながら、BASICみたいなインタプリタでプログラムを書くって。

エディタもなかったじゃないですか、その頃。

南治:いや、ほんとですよ。今思うと信じられないのが、画面に行番号があって、そこにカーソルを持っていってENTERを押すとそれがちゃんと入る、というね。

どんな仕組みだ、という感じですよね。

西田:そうそう。そんなんだったら最初からエディタがあって、それをきちんと読み込ませて動かせよ、と思うんだけど。

インタープリタの画面上でエディットする、という仕組みがなんなんだ、というのが、今考えると。

南治:すごいっすよね、本当に。画面で全部完結するんですよ、あれ。

でも、だからやっぱりエディタとか、OSの概念なしにプログラムが始められたので、あれはそこの敷居を一気に下げてたんでしょうね。やれることも一気に減りましたけれど。

西田:たしかに。だから、後にメモリマップとかを見て、ここのアドレスにデータを置くと絵が出るんだ、とか。

南治:ああー、そうですね。

西田:というのが、プログラムしていくうちにわかるわけじゃないですか。OSとかでレイヤーがラップされてると分からないので。

南治:ははは、たしかに。

西田:そういう意味で、わかりやすかった、というのはありますね。

南治:本当に。モニタコマンドとか打つとマシン語になったりとか。

そうですよね。自分もBASIC、初めてパソコンを触った時には全然理解してなかったんですけど、画面ってVRAMというメモリなんだとわかったら、「あっ、なんでもできるじゃん!」みたいに錯覚したことありますね(笑)。

西田:この中に、文字と同じように書く場所があって、ここに書いたものを右に動かせば画面で右に動くんだ、みたいな。

南治:ははは、そうですよね。

西田:あれは、わりと……カルチャーショックみたいな部分はあったんですよね。

南治:そうなんですよ。だから、キャラクターでも、カーソルは画面のどこにでも動いたから、そこにグラフ文字を書いていくと絵が描けるとか。なんかちょっと面白かったですね。

西田:面白かったですね。――で、実はその後、僕が南治さんのことを存じ上げるのは――というか後から知るんですけど、X68000にも絡んでますよね。ソフト。

南治:ああ、そうそう。

西田:僕も、大学に入る時に、まさに奇跡的に一発で通ったので、じゃ予算余ったからそれでな、といって買ってもらって。X68000で――これは話がジャンプしちゃいますけど、いろんなCGを作ったり、ゲームしたり、いろんなものを作ったりとか、BBSでコミュニケーションしたりしていくことになるわけじゃないですか。

それって、変な話なんですけど、今、この世界、この社会というか、日本のITとか、ゲームとか、メディアとかで活躍してる人が、わりといろんなところですれ違ってるな、という印象がすごくあるんです。

南治:はっはっは(笑)。そうですね。

西田:GOROmanさんも当然、2015年まで知らなかったのに、「なんだよ、あそこにいたのかよ」みたいなところがあるし、MIROさんもそうだし、わりとこう、この界隈にいる人がX68000だったり、そのあとだったらPalmだったり、わりと同じようなところにみんな集まってて、でもお互いを知らなくて、すれ違ってて、みんな同じようなことをしてた、という体験が。今になって思うと「90年代の頭とか、80年代の末ってそうだったな」というのに気が付いて。

南治:いやあ、なんか、そうなんですよね。

西田:その話が実はちょっとしたいな、と思ったんですよね。

南治:なるほどなるほど。

■CGがきっかけでロクハチへ

西田:そもそも、なんであのへん、ロクハチを使うことになったんですか。その経緯ですね。

南治:経緯を言うと、まず自分は、大学に入った時に――。高校生になった時にさすがにPC-8001mkIIはしんどかったので、PC-9801を買ってもらったんですよ。8801には行かず、もう16bitの時代になってきていたので98がいいだろう、ということで。具体的には、当時の98のラインナップ中ホビー色が強めのPC-9801UV2を使ってたんですけど、大学に入って、なんというんですかね、アニメ研に入ることになったんですけれど。

西田:おお。はいはい。

南治:そこはわりとがんばってるアニメ研で、アニメ観ましょう、っていうだけではなく、アニメも作ってたんですよ。それが、何で作っていたかというと「DoGA CGAシステム」でアニメを作っていて。電気通信大学という理系の大学だったから、けっこうCGでアニメやってたんですよね。「おおっ、すげー!」という感じで。

でもPC-98だと綺麗な絵が出せないしな……というところで、ちょうど卒業した先輩がいて、その人が「X68000 XVI(エクシヴィ)」に買い替えるから、「X68000 ACE」を売ってやるよ、ということになって。

西田:ははは、なるほど。

南治:「う、売ってください!」みたいな感じで売ってもらったのがロクハチの最初ですかね。X68000 ACE-HD……いや、HDじゃないですね。ACEですね。で、モニタは自分で買いに行きました。

西田:なるほど、やっぱりそうか。DoGAの鎌田(優)さんたちの影響ってデカかったんだ。

南治:DoGAの連載も『Oh!X』とかでされてたし。

なんていうんですかね、シャープ自体ががんばって、例えばなんでしたっけ、芸術祭とか、地方を回ってショーみたいなのをやってたじゃないですか。自分も大学1年の時に、たしか新宿のNSビルの地下で、X68000のいろんな展示みたいなのをやってるところの一角にDoGAがあってですね。「おおー!」みたいな感じで影響受けてました。

西田:はいはい。なるほどねえ。そうか。そのへんが面白くて。

<次週に続く>

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