見出し画像

#7 | 好きなことを仕事にするなら

みなさまこんにちは、中村雅紀です。寒いです。夜とても寒いです。気づけば2019年もあとひと月ほど。ついこの間「紅白最高だったなー」なんてTwitterで盛り上がったばかりなのに、もう次の紅白が迫っています。時の流れが怖いですね。

前回の『生活と制作の狭間で』はnote公式にピックアップしていただいたりして、いつもよりたくさんの人に読んでもらえて大変嬉しかったです。言ってしまえば個人的な悩みを文章化しただけなのですが、悩みを共有するというのも時には誰かの救いになるのかもなぁなんて思いました。なってないかもしれませんが。

今回はその延長戦というか、イラストレーターという職業を選んでみて感じていることをもう少し具体的にお伝えできればと思います。同じようにイラストレーターを志している人や、好きを仕事にしたいと思っている人に読んでいただければと思います。

結構正直に話すつもりですので、それゆえに今までの自分の仕事に対して(またクライアントに対して)否定的な面もあるかもしれません。いつもは数日間全文公開なのですが、今回は初日から一部有料ノートとさせていただきます。

好きを仕事にしないという選択

過去にも何度か日記で述べているのですが、「好きなことを仕事にしても幸せになれるとは限らない」と僕は思います。好きといっても色々とあるので、「好きな理由によっては仕事にしない方がいい」とも言えるかもしれません。

僕もかつては「好きなことで食べていければ幸せだ!」と信じていました。昔から絵は好きだったので、会社員から転向してイラストレーターを志した
わけです。そして実際に仕事をもらえるようになり、一応イラストレーターと名乗れるようになりました。

では今、僕は幸せになったのか?正直に言って答えは「No」です。

僕は絵を描くことが好きですから、イラストレーターになれたのなら普通は幸せなはずです。でもそう感じない理由は、おそらく”好きの理由”が仕事にするには適していないからだと思います。

僕が絵を描くことが好きな理由。それは「描くことが救いになる」からです。これも過去に何度か述べているのですが、僕にとって描くということは自らを救うための手段でした。描くという行為自体が好きなわけではなく(むしろ大変で悩みのタネになることの方が多い)、その先にある安堵のようなものが好きなのです。

承認欲求や自己肯定感なんていう言葉があちこちで聞こえてきますが、かくいう僕もそれを求めて彷徨っている感は否めません。自分の考えを表現して、認めてもらうことで安堵する。それが可能な手段が絵を描くことで、だから「絵を描くことが好き」なのです。

しかし仕事にはそんなパーソナルな理由は当然関係のないことですから、クライアントの要望を形にすることに注力します。そうなると「あれ、何のために絵を描いてるんだっけ?」と思うわけです。

もちろん誰かの役にたつということは幸せを感じるための大切な要素ですので、無事に仕事を終えて対価を貰えた時点で十分に幸せを感じていいでしょう。でも僕はそれよりも「仕事にしたことで自らを救う手段を無くしてしまった」というダメージの方が大きく、感じるべき幸せを打ち消してしまっている状態なのではと思います。

この好きなことを仕事にするリスクみないなものは、あかしゆかさんのコラムでも共感できる部分が多いです。

もし僕が、描くという行為自体に楽しみを覚えていたのなら天職だったかもしれません。ですが僕は「苦しんでも作品を作ることで何とか自分を救う」ために絵を描いているのです。

というか、そもそも「好き」という表現が間違ってるのかもしれませんね。絵を描いていても楽しいと思える時間は意外と少ないです。悩む時間の方が圧倒的に多いですから。好きと言うよりは「必要なもの」だったのかもしれません。

そういった意味では、好きとう感情よりも、「楽しい」という感情にフォーカスしたほうが仕事選びには適しているのではと思います。好きという感情はいささか曖昧なのかもしれません。

-----

さて、次は僕が今までのクライアントワークで感じていた違和感についてお話しします。最初に言ったように、今までの仕事に関わるのでここからは有料です。内容は「絵が好きという考えだけで仕事を目指すのは少し危険かも」というお話と、「幸福を求めるなら」という個人的な余談です。購読者の方か、気になる人のみどうぞ。

ここから先は

3,242字

¥ 100

サポートいただければ大変喜びます。とにかく喜びます。