誰かを描くということ

また泣くところだった。濱田英明さんのnoteを読んで、心にしまっていた本音がまた僕の頭の中に戻ってきたような感覚でした。これは写真のお話だけど、僕にとっての絵も全く同じなのです。

僕は人を描くのが好きです。僕は常に“誰か”を描いてきた。イラストレーターになれたきっかけも、毎日誰かを描いていたから。描きたいと思った人をただ描いていたから。

でも、誰かを描くということは時に辛くもあったんです。誰かを描くと同時に、“描かれない人たち”がいるという事実があるから。Instagramに絵が並ぶたびに、僕の人に対する好意が表になっていくようで。

「どうせ可愛い子しか描かない」「どうして私は描いてくれないの?」そんなことを言われるときもあったし、自分自身もどこか不健全な気持ちになり、だんだんと“誰か”を描かなくなっていきました。(そのあたりの変化は過去の日記に)

そんなことは気にしなくていいと思うかもしれないけど、気になる。なぜかって?図星だからです。好きな人を描いている時は、やっぱり楽しい。正直絵を描くこと自体は楽しいとほとんど思わないけど、好きな人を描いているときだけは別なんです。

素敵に描けたら嬉しいし、喜んでくれたら幸せです。そしてもっと仲良くなれるかもしれません。誰かを描くということは、濱田さんの言う通り、愛の告白なんです。告白といっても、付き合いたいとかそういう事ではないよ(まぁそうなったらなったで嬉しいけど)。でも好きになってほしいという気持ちはやっぱりあるのよね。

ただ、最初に言った通りそれは辛いことでもある。僕が誰かを描くときはその人のことを見てるけど、相手は僕ではなく絵を見てる。逆に僕のことを見てくれてる人がいるのに、僕は描いてあげなかったり。

そんな極めて個人的な気持ちを絵に持ち込むのは辛くなって、絵に対する気持ち、表現がゴロッと変わったんだ。そして、その本音を心にしまってずっとキャンバスに向かってた。(向かってない時間がとても多いけど)

でも濱田さんの言葉を読んで、また本音が溢れ出た。そしてなんだか泣きそうになった。ギリギリ泣いてない。

今は絵のスタイルも変えた。少しずつ抽象的な表現になってきてる。けど、やっぱり僕の頭には“誰か”がいて、誰かを想って描き続けるんだろうな。

めちゃくちゃ絵になる人がそばにいたら、その人だけ描いて楽しく生きれるのになぁ。

(まとまりがない日記ですみません)

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