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目鼻を描かなくなった理由

ここ最近自分の絵に違和感がありました。なんというか、いまいち好きになってあげられない。楽しく描いていた過去の絵も、何か気持ち悪さに近いものを感じてしまうことさえあります。

単純にサラッと描くことを続けていて、時間をかけて愛着のある絵を描くことがなかったからというのも一因かもしれません。また絵に対する思考が浅いからというのもあるでしょう。

でも、それらとは異なる違和感を日々感じていました。最近その答えが少しずつ分かってきたような気がするのです。

見た目に悩むわりに、可愛い子しか描かない自分

僕は所謂ネガティブ思考で、特にルックスにまつわることで悩みがちです。実際に見た目による損得が多少存在するとも感じていますし(決して優劣ではないですが)、同じようにどうしても不要な劣等感を持って生きている人が多いのではと思います。

だからって愚痴を言っていても何も変わりません。そういったネガティブ思考を自らの活動で改善していけないか、そして同じように悩んでる人の役に立てないか。。

そんなことを考えてながら改めて自分の絵を見直してみると、見事に可愛い女の子しか描いていないのです。服装はもちろん、顔立ちすら好みの子を選んでいた気がします。その矛盾が自分で気持ち悪かったのでしょう。

そして皮肉なことに、「可愛くないと描かれないんだ」という印象も一部の人に与えていたようで、自分が悩んでいた“不要な劣等感”を自ら生み出していたのです。

なぜか存在する美の基準に対しての主張

それに気づいてから、僕は目鼻立ちを描かないスタイルに変わりました。

理由の1つは先程も言った“不要な劣等感”を無くすためです。ルックスの悩みに引っ張られて色々なことをに対して臆病になる人がけっこういるのではと感じていて、そういう人に「気にすることじゃないはずだ」と主張したいのです。(誰より自分に言いたい)

もう1つは「人のルックスだけで評価するべきではない。なのに結局好みの人しか描いていない」という自分に嫌気がさしたこと。そして、そういう一種の偏見のような感覚を作品に持ち込むべきではないと感じたからです。

僕はなにも、ルックスが良い人を恨んでいるわけではありません。可愛い人は好きですし、僕にも所謂「好きなタイプ」はあります。例えば、自分の彼女が好みの容姿、好みの服装であればそれは幸せなことだと思います。(想像するだけで幸せです)

しかしそれはあくまで個人的な趣向に過ぎず、決して人としての優劣ではないはずです。その極めて個人的な感覚を作品に反映するのは嫌だなと自分自身感じたわけです。

「個人的な趣向」であるはずのものが、その枠を飛び越えて「普遍的な基準」があるように感じてしまう世の中。それが不要な劣等感を生んでしまううのではないでしょうか。

またそれと同時に、容姿が美しい故に「不本意な評価をされる」「見てほしいところを見てもらえない」「勝手に妬まれる」という生きづらさを感じている人もいるはずです。

僕の今後、その両方の生きづらさに寄り添うものを作っていきたい。そう思ったわけです。


手を引くのではなく並走して一緒に進みたい

目鼻を描かないということに対して

「ちゃんと描いてあげた方が愛があるのでは?」
「自分の顔を愛せるように省略せず表現するべきでは?」
「目を背けてるだけで悩みの解決にはならないんじゃ?」

という考え方もできると思います。その捉え方も間違いではないと思います、物の見方は受け取る側の思考によっても変わるものですから。

ただ自分はネガティブな感情も無視はしたくないのです。これらの考えはどちらかというとポジティブな位置から相手を引き上げてあげようという感覚です。そうではなく僕はネガティブな位置から一緒に脱出しようとしているのです。

例えば目的地があって、その間に川があるとします。目的地にたどり着くためには泳いで渡らなければなりません。そしてポジティブな人を「泳げる人」、ネガティブな人は「泳げない人」としましょう。

もしある人が「自分の顔は美しいよ!自信もって!」と勇気づけたとしたならば、それは川の反対側で「泳げるよ!自信持って!」と言っているようなものです。そんなこと言われても無理ですよね。

泳げない人を目的地に連れて行くには、ポジティブな人が一旦戻って一緒に泳ぐか、泳げない人同士で協力して渡るかです。僕はここでいう「泳げない人」なので(というか実際にも泳げません!)工夫して一緒に渡ろうとします。

例えば浮き輪を持ってきて「これで一緒に捕まっていこう」とか、ボートを作って「これに乗って渡ろうとか」そういうことです。この浮き輪やボートにあたるのが、僕のアートだったらいいなと思っているのです。

もちろん、僕を含めて最終的に泳げるようになるのが一番です。ですがまずは、「川を渡る」という経験が大切なのではと感じます。「自分は自分。容姿は自分の個性の1つでしかない。」そういう実感をまず得ることで、やがて自分を本当に愛せるのではと思うのです。


フラットになれる空間を作りたい

人間はどうしても比較をしたり、優劣で物事を捉えがちです。違いを楽しめないことが多い。そういう世の中で少し休憩できるような空間を作るのが目標です。

ギャラリーで自分の絵に囲まれた人が心をリセットできるような、不必要な比較や劣等感から開放されてフラットになれるような、そんなアートを目指したいと思っています。

今までのイラストとは大きく異なるので、全くマネタイズもできないし、今までの絵が好きだった人は離れるかもしれないし、SNSとの相性も良くないかもしれません。だけど人生をかける意味はある。そう思っています。


長くなりましたがこれが今、僕が考えている僕のアートです。ここまで読んで頂いた方、ありがとうございます!これから更に頑張るぞー!!

サポートいただければ大変喜びます。とにかく喜びます。