ドラえもんの価格はいくらだろうか?ーchatGPTを使って感じたことー
驚いた。
今週、話題の最新のAI、chatGPT-4を使ってみて、衝撃を受けた。
AIは、寿司ネタで愛を伝えられるか
映画「マトリクス」のように、賢くなったAIが暴走するような世界はすぐそこに来ていると感じて鳥肌が立った。
小学校の時に、初めてスーパーマリオブラザーズをやってみたとき以来の感動かもしれない。
これまでのAI、chatGPT-3.5は、例えるなら、子どもの授業参観に来ている感覚だった。
「あら、手をあげて発表できて、えらいわね」
言語認識については、AIはできないことだらけで、できることを見つけて拍手してあげるレベル。
ところが、バージョンアップしたchatGPT-4は人間と遜色ないレベルにまで達していた。
その違いを見るために、一つ、質問をしてみる。
「お寿司のネタに絡めて、愛のメッセージを書きたい」という無茶ぶり。人間でも書くのはしんどい。
まずはchatGPT-3.5の結果から。
一応、課題に対しての答えにはなっている。
愛しているという言葉で、体裁を整え、「いくらもうにも」と寿司ネタを文中に入れいて、言われた条件は満たしている。
しかし、中身はひどいもんだ。
「いくらもうにも」と、確かに言葉を使っているけど、愛の言葉にまったく絡んでない。例としてあげたネタ「いくら」「うに」以外は入っていないし、「あなたが作るお寿司を食べながら、これからも一緒に歩んでいきましょう」なんて、寿司作りを要求する愛のメッセージはおかしいだろう。
だけど、そんなマジレスしたら可哀想だ。
「AIなんだから、しょうがないよ」と誰もが思う。
「へえー、ちゃんと問題を理解して、えらいわねえ」と、褒めてやりたくなる。
「いくらのように、色鮮やかでキラキラ輝く毎日」
一方のGPT-4。
こいつはすごかった。
完全に人間だ。ムチャぶりにも答えてくれている。
「いくらのように、色鮮やかでキラキラ輝く毎日」
「僕たちの結婚生活は、うにのようにまろやかで濃厚」
「鮪のように、僕たちの愛はとても強く、何度も味わいたくなる」
など、それぞれの寿司ネタの特徴を生かして、二人の愛や関係にからめた表現を生み出している。例として挙げた「うに」や「いくら」だけでなく「まぐろ」も追加している。
この愛のメッセージには驚くばかりだ。
むしろ、人間と同じクオリティを示すGPT-4には、
「もうちょっとうまい表現あるだろ」と高い要求をしてしまいそうになる。
AIの進化はやばいのだ。
ドラえもんみたいに、人と対話できるロボットは、もうすぐできそうだ。
お金儲けをしないAI開発
さて、スーパーマリオと同じくらいの衝撃を受けた僕は、ChatGPTを開発している会社について、すぐ調べた。
スーパーマリオが発売されて5年後には、任天堂の株価が10倍になったように、このAIを開発する会社はものすごいことになると思ったのだが、調べてみて、また衝撃を受けた。
開発しているOpenAIという会社は非営利団体なのだ。マイクロソフトなどが1兆円以上投資しているが、投資額を回収した後の利益は、非営利団体に還元される仕組みになっている。
誰かが儲けるために研究開発されているわけではなく、人類全体に利益をもたらす形で友好的なAIを普及・発展させることを目標に掲げ、AI分野の研究を行っているのだ。
この衝撃的な事実を知って、40年近く抱えていた謎がようやく解けた気がした。
「なぜ、のび太の子孫は、ドラえもんを購入できたのか?」
ずっと謎だったことがある。
ドラえもんの設定が不可解だった。
未来の世界で困っているのび太の子孫、セワシくんが、ドラえもんを送り込むことで、のび太の人生を変えようとしている。
のび太の残した借金は100年後の世界でも返しきれず、セワシくんのお年玉はたったの50円。
そんな貧乏なのにドラえもんというロボットを購入できたのは、なんとも不思議だった。
しかし、ドラえもんがOpenAIのように非営利団体によって作られたロボットなのであれば、説明がつく。
企業の利益最優先で格差がさらに広がらないためにも、このような重要な技術が社会全体で共有できるようなって、人類全体に利益をもたらしてほしい。
スーパードラえもんの価格はいくらか?
それとは別に、昔から疑問に思っていることがあった。
もしも、ドラえもん以上にロボットが進化して、どんな問題も解決するスーパードラえもんが完成したとする。そのロボットは、食事の用意から、衣類の調達、住居の建設、病気の治療、でもなんでもできる(エネルギーも材料も自分で調達する)。
このスーパードラえもんの価格は果たしていくらになるのだろうか?
ちなみにソフトバンクのロボット、ペッパーくんの価格は50万円程度だが、なんでも作れてしまうスーパードラえもんは、1億円出しても買えない気がする。
だけど、スーパードラえもんを一台持っていたら、もう一台のスーパードラえもんを簡単に製造することができる。
では、新しく作った一台をいくらで売るかと考えてみる。
お金とは、誰かに働いてもらうチケットだ。
スーパードラえもんが働いてすべてを解決してくれるなら、お金は必要なくなっているはずだ。だったら、もう一台のスーパードラえもんは、ただであげてもいいはずだ。
ロボットには、クリエイティブな仕事ができないから、クリエーターの作る小説や絵画などの購入には引き続きお金が必要になるという話もある。
でも、彼らが作品の対価としてお金を求めるのは、お金がないと生活できないからだ。
ロボットが食料でも車でもなんでも作ってくれる世界においては、彼らがお金を要求する理由はなくなっている。
とすると、ロボットの仕事が増えるにしたがって、僕らはお金が必要にならなくなっていく気がする。
しかし、その兆候はまだ感じられていない。
それは、ロボットによって人間の仕事が減ることの恩恵を、全体で共有できていないということだろう。OpenAIのように営利目的ではない技術開発が増えれば、これから先は変わってくるかもしれない。
未来の世界で、スーパードラえもんはいくらで売られているのだろうか?
数億円になっているのか、それとも0円なのか。
それは、僕らが技術発展による恩恵を共有できるかどうかにかかっていると思うのだ。
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