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異人たち〜親子のわだかまりと異人たちへの斟酌


このタワマンにに住んでいるのは自分たち二人だけだと思いこむほどに、交通事故死した両親に会うために生家へ通い続けるほどに、愛し合う相手が孤独死した同性だと気づかぬほどに、アルコールやドラッグで現実と妄想の境を紛らすほどに、主人公は孤独だ

孤独癖があって被害妄想で自ら孤立感を味わう私とは孤独の根深さ、出来がちがう

親子、家族、家庭に対する積み残しという点では身につまされるものがあり、父や母となにゆえうまくやれなかったのか、妻や息子ともそれゆえうまくやれなかったのか、もう取り返しはつかないのかと、死んだ子の数を指折るように詮ないことを考えていた

親とよろしくなかった、子として不幸であったなら、誰よりもよい親であろうとするのが人としてあるべき姿だが、中途半端に不仲であったがために、自分がされたのと同じことを我が子にしてしまったようだというのははっきりした自覚がないからで、子育てに関わることは関わったがいつも酩酊状態、心神耗弱、そもそも親になってはいけない人間が何のビジョンもないまま子どもをつくってしまった

さりとて我が子がかわいくない親はいないはずで、親は親で私を愛したのであろうし、私は私で子を愛しているにせよ、その気持ちがほとんど伝わらない点に性格、了見、人格の問題がある

しかし、この作品にここまで同性愛の描写があるとは知らなかった

泉下の山田太一の気持ちはつゆ知らず、恩人であるところのゲイ夫妻とその周辺の人たちのことを考えずにいられなかった

彼らにはとてもお世話になったが、お互い異人ではあったし、立ち入ってはならない、踏み込んではいけないという斟酌は差別だったのだろう

主人公のセリフにもあったけれど、とにかく時代は変わったのだ

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