PLAN75〜七十五歳まで生きたくはないがあっさり死ねるだろうか
ある日、人類の足跡を少しでも遡ろうと決意し、連日ひたすら歩き続けたものの、一日二十数キロが限界だった
労働と経済という資本主義的な事情でどうにも時間がなくなり、やむなく歩みを止めた瞬間から、堰を切ったように身体のあちこちが悲鳴を上げ、いきつけの呑み屋よりかかりつけの医者という体たらくに陥った
ヒトもモノも生きてるかぎり宿命的に衰えてゆくのだが、アフリカを出たはるかなる祖先たちも同じような事情によってあちこちで脱落し、文明の芽や礎、屍となったのかもしれないと思えば、タナトスはエロスだといえる
PLAN75という仮想は、リバース60とかフラット35と皮肉にも似ている
まさにいまこの瞬間に死ねたらいちばんシアワセと思う自分にとって、かなり望ましい生殺与奪システムかもしれない
さりとて、死ぬとなったら生きたくなるのがヒトの業というもので、はたして安楽死を受け入れることができるだろうか
胃瘻手術を受け長いこと生きていた親父の死に様を思い出しながら、生きるも死ぬも一筋縄ではいかぬ、とりあえず生きるかという結論に至った
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