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女子力という素敵な呪い

#私の思う女子力

山根あきら様の企画に初参加させて頂きます。
よろしくお願いします。

「女子」という言葉に対して、
今でも私はモヤッとしてしまう。
中学から大学までの十年間、
女子校で過ごした私にとって、
もはや聞き慣れてしまった呪いのことばだ。

「女子」

その言葉に「力」がついてしまうんだから。
それは大層なことである。

「女子」の「力」とはなにか?
長い間、「女子」というくくりで
学生生活を送ってきた私だが、
少なくとも「女子校力があるね」とは
一度も言われたことがない。
あたりまえだ。
「女子校」は生活する環境のことであり、
「人」を指す言葉ではない。

では、「人」である「女子」とはなにか?
というか「女子」って「人」なのだろうか。
そもそも「私」は「女子」なのか。

考えだしたらきりがない。
若い頃は、料理が趣味だとか好きな人に
マフラーを編んでいることを話すと、
友人から「女子力が高い」とよく言われた。

当時は照れくさいような、
褒められているような
嬉しい気持ちがあったけれど、
いま、同じことを言われたら、
「あれ?ナメられてる??」
と若かりし頃のヤンキー精神が
うずいてしまう。
「火に油を注ぐ」という言葉が
しっくりくるかもしれない。

ネットで「女子力」と調べてみると、
さまざまな解釈が出てくる。
ホットペッパービューティーには、
「女子力とは、女性が自分の生き方を向上させるためのパワーのこと」
とあった。

「自分の生き方を向上させるためのパワー」

だとすると、昔はパワーが不足していたから、
「女子力が高い」と言われるだけで
車にガソリンが入るような感覚になって
舞い上がっていたのかもしれない。
逆を言えば、
今はそのパワーに満ちあふれていて、
「女子力」というガソリンは
お役御免ってことである。

「女子力」とは意味うんぬんではなく、

「その言葉の存在自体がパワー」
なのかもしれない。

「女子力」を扱ったメディアは
世の中にたくさんある。
それに元気をもらったり、
ときにはモヤッとするときもある。

しかし、そのモヤッとした呪いは、
もしかしたら
自分の中にパワーがあふれているよっていう
素敵な証拠、いや素敵な呪いなのかもしれない。

なんて、「女子力」について
モヤッとしながら書いていたら、
なんだか元気が出てきた。
今日も一日がんばろう。

#私の思う女子力

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