学生との対話 / わたしは何者か? 5 長岡 美幸 2020年8月12日 12:29 昨日今日は、大学の講師業^ ^なんだかんだ、独立後ゆるゆると(たまにがっつり)続けて3年半くらいかぁ👀です。学生を前にしていると、いつもとてもとても背筋が伸びるんですよねー。彼らは鏡のようだし、スポンジのよう。そして時に「わたしは誰?」の叫びと共に「あなたは誰なの??」を無言で聴いてくる(気がする)。*例えば「問題解決能力」や「思考力」に関する講座でも、「社会で求められているから、身に付けましょう」の定型文を使ってしまえば、こちらも、受け手(学生)も気だるい予定調和に安寧することができる。摩擦も無く思考も介さず。らくちん。で、私はそれ、身震いするほど嫌い(笑)合理的で、生産的で、役に立つ人間になれ。むちゃくちゃ雑に言うと「たくさんお金を稼げる人になりましょう」みたいな文脈に、無意識的にこちら側がハマっていないか?(無意識にね。)それはお金が汚いどうこうっていう意味では全くなくって、いきいきと自分らしく生きるとは人間として、生命として、どういうことか?本当に豊かさを循環するって、どういうことなのか?という側からの思考を、完全に奪ってしまってはいないか?それは、「とはいえ」「仕方ない」のモードを携える我々大人の側から学生達に、そこはかとなく伝わって、んで、うつる(笑)彼らも私たちも、ほんとのことは何かって、分かってるんだと思うのよなぁ^^一期一会、どの学生達とも正面から内側のほんとうの部分で響き合いたいよな~など!*…などなど思いながら、私自身の学生時代を振り返ると自我の問題、つまり「私は何者か?」にそれはもう見事に苦しみ抜きましたねぇ😂多かれ少なかれ多くの人がそうであるように、学校の相対的序列感の中でどんどん「優等生」的アイデンティティが形作られる毎日。たまたま学ぶことが好きでたまたまそれらにおいて器用でたまたまそれが面白くてでもどこかでそれを、「こうでなければならない」「期待に応えなければならない」に転換してしまった。いやーー、苦しかった!!!(笑)条件付けの「わたし」(ex,成績が良いわたし、しっかり者のわたし…)は、強まれば強まるほどに、おおもとの「ただの”じぶん”」が覆い隠されるような感覚。これらを運ぶ大きな歯車のようなもの、自分を形づくるパターンみたいなものって、めちゃくちゃ!自分の世界観に影響がでっかいのですよね~。それ自体は何の悪者でもないのだが。唯一、そんな私に当時もその後も光をさし続けてくれたことは、「音楽をする人」「歌う人」「表現者である」というアイデンティティでしたねー^ ^アートにヒエラルキーってほんとは無いから。絶対的でしかないですらね、この感覚があったから、なんとか、この世界に居続けることができたのよなぁ、など^^*こういった全体性を俯瞰できだしてからは同時に今の「じぶん」の感覚を随分と深められるようにもなりましたねー^ ^今日は、学生との対話から、「わたしは何者か?」という自我の問題、自分の昔の感覚も思い出したりしました(^^)/ #音楽 #ラジオ #音声配信 #心 #自分らしさ 5 超嬉しい!です!^ ^ 次なる創作活動に使わせて頂きますね。 サポート