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殺せないけど救えもしない3

私は過去に自分が躁鬱、つまり双極性障害なのか疑っていた時、何の気なしにインスタで「躁鬱って知ってる?」と質問したことがあった。
結果、愕然とした。

回答してくれた人の80%以上が知らなかったのだ。
あえて明確な数字は避けるが、鬱病なんてのはかなり高い確率で誰もがなり得るものだし、その中の派生分子とはいえ躁鬱って言葉自体を知ってる人が少ないことに、当時の私はものすごくショックを受けていた。
まあ確かに、今のまともになった頭で考えればそんなの当たり前なんだけど。
学校とかで教えてくれるわけじゃないし。


検索して一般的に得られる情報では、やはり表面的にしか捉えられない。
得体のしれないものの輪郭をなぞったところで、それは「何なのか」知ることができない。
それは「知りたい」と思っている者にも、
「伝えたい」と思っている者にも
良い結果は生まない、はず。
よって私は「体験した側」として情報を発信しようと思ったのだ。

今回はうつ病に対する一般的な回答と、私の考えるうつ病の原因、私の場合の具体的な治療方法について。

ここからはきちんと勉強をしている人が読んだら、一部お叱りを受けるような部分もあるだろうが、一般の本やネットで知識を得ただけの人間はこんなものか、と思って読んでいただけたら幸いだ。

「全てがそうではない」を軸に読んでほしい。

まずは一般的な回答から。


うつ病とは

※ここからは、鬱病をうつ病と表記する情報が多かったので、私もそのように表記しようと思う。

だいたいは落ち込んだ気分が続き憂鬱、やる気が起きない、食欲がない、眠れないなどと出てくるはず。

いわゆる気分障害というもののひとつで、身体的症状と精神的症状を伴い、それによって日常生活が困難だと感じたら治療が必要だという。

その中で大きく分けられるのが「うつ病性障害」と「双極性障害」というもので、この「双極性障害」が先ほど出てきた躁うつ(躁鬱)というものだ。

基本うつ病と呼ばれるものは多くの人が想像する通り、ずっと憂鬱で気分がいいときなど全くと言っていいほど、ない。
対して躁うつは気分に波がある。
落ち込んでいる時をうつ、気分が上がり何でもできそうな気分、つまりハイになっている時を躁と言う。
元気なわけではなく、なぜか妙にハイテンション。
まともな感覚を失っていることに変わりはないので、ハイな時に何かをやらかして、うつの時の自分の首をもっと締める、なんてことがよくある。

うつ病の原因とは

検索すれば様々な答えが出てくると思う。

・落ち込む出来事があったから
・ストレス
・セロトニンを含む神経伝達物質の異常
・遺伝性によるもの
・甘え
・弱い人間がなるもの  など。

私は原因と呼ばれるものが一つのみというのは非常にまれで、多くは複数の原因が複雑に絡み合って発症すると思っている。
発症原因の仮説は多くあるが、未だその全てがはっきりとは解明されず、どういった原因で発症したのか、どのような方法で治っていくのか人によって様々なため、これさえすれば大丈夫というものが存在しない。どんな人間でも発症するリスクがあり、治る可能性がある。 

よって上記の「甘え、弱い人間がなるもの」というのにはどの人間も当てはまらないんじゃないか、と私は思っている。

数多くある仮説が絶対の説ではないけれど、私の場合は確かにセロトニンの分泌を促す薬の処方で快方へ向かったし、血縁を探せば同じような状況下にいた人間が数人いた。いわゆる私は分かりやすい鬱だったのだ。
担当の先生は私の状態を「典型的な鬱だね笑」と言った。

私が考えるうつ病の原因

うつ病というのは私は上記にある学術的な原因に加え、今まで生きていた中で生まれたその人の「ねじれ」の集大成かなと思っている。
細長いものをねじり続けるとプツっと切れる、アレみたいな。
また、私は原因の程度≠(ノットイコール)発症後のぶっ壊れ具合だと思っている。
いきなり衝撃を加えても、ゆっくりねじっても、切れるときは切れる。
プツっと。
そして決して元には戻らない。結果は同じだ。

多くの原因とされる出来事(落ち込むようになったきっかけ、失恋だとか、受験失敗だとか)は、結局はトリガーでしかない。
原因は出来事そのものにあるのではなく、”それまでに積み重なってきた全て”ということだ。
私がよく使う「塵も積もれば」だ。
よって、落ち込むきっかけとなった原因のみにアプローチするだけでは根本的な解決にはならないと思っている。


幼少期の物心ついた時から、ねじれの積み重なりはもう始まっている。

家のリビングで、兄弟と同じ部屋で、教室で、学校のトイレで、体育館で、登下校のあの路で、公園で、友達の家で

好きな友達、挨拶だけ交わすあの子、お姉ちゃん、兄、お母さん、お父さん、先生、クソ先公、先輩、好きな先輩、うざい先輩、彼氏、彼女、ぶす、おまえ、あいつ、ばばあ、くそじじい、

あなたの小さな世界で繰り広げられる人間関係の渦。

そこで生きていく中で処理しきれなかった違和感、悲しみ、怒り、理不尽、暴力、虚しさ、寂しさ、欠けた愛情、歪んだ友情
それらをどれくらい自分でかみ砕けて、流せて、処理できるか。

もしくは他人にぶつけてしまうか。

それができる人が強いとか、できない人が弱いとか、冷たいとか優しいとか、そういう言葉では両者を分けきることができない気がする。

他人にもぶつけられず、うまく流して処理もできなかったあなたは、相手のために、自分の正しいと信じる未来のために、社会の正しさに従うために、周りの雰囲気のために、嫌われないために、いい子でいるために、自分のことを嫌いにならないために自分の気持ちを、
自分自身を、

どれだけ殺してきただろう。


誰のせいでもないし、自分のせいなんかではもちろんない。
私たちはきっと来るべくして来てしまったのだ。
このねじれの最終地点に。



思ったより長くなってしまったので、2回に分けることにする。
次は私が辿った具体的な治療法や認知のゆがみについて。
いつも読んでくださる皆さん、ありがとう。
新しい生活が始まるこの季節、あなたたちは桜を見ただろうか。
あなたたちの生活が、桜を見て喜びを感じるようなものであることを祈っている。


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