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「もうひとつの歌川派!? 国芳・芳年・年英・英朋・朋世~浮世絵から挿絵へ」レポ①

自己紹介の記事にスキが10件もついていて大変驚きました。
つけてくださった方々に一人一人お礼を言いたいくらいです。ありがとうございました。

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さて先日、弥生美術館(東京都文京区弥生)の「もうひとつの歌川派!? 国芳・芳年・年英・英朋・朋世~浮世絵から挿絵へ」(会期:1月7日~3月29日)を見に行ってきたので、その感想や思うことをしたためたく筆を執った。とはいっても今回はレポというより、自分の知っていることをただひたすら書いただけになっている。
広く万人におすすめできるかといえば正直何とも言えないが、個人的には最高の展覧会だった。

長くなりそうなので何回かに分けようと思うのだが、今回は「もうひとつの」というところに着目して、明治の浮世絵歌川派について書いてみたい。 

1.明治の浮世絵

浮世絵は、基本的に江戸時代に生まれた木版画を指し、庶民たちの情報源や娯楽として普及した。
浮世絵=江戸時代というイメージが強いかもしれないが、明治になったからといって途端になくなったわけではない。例えば、明治初期には以下のようなカラフルな、特に鮮烈な赤が特徴な浮世絵が多く刊行されていた。   

明治

三代広重《東京名所之内上野公園地桜花盛之景》
国立国会図書館デジタルコレクション

しかし、明治中頃になると写真や新聞の普及により、浮世絵の衰退が目に見えるようになる。このような時代の中、木版画が命を保っていくために浮世絵師やその弟子らは、小説や雑誌の挿絵や口絵を描くようになる。(ここに至るまでの諸々はかなり省略した)
また明治以降、大量生産される挿絵や口絵などの版画を手掛けるよりも、一枚ものの日本画家になることの方がステータスとされていた。
かつて浮世絵師と呼ばれた者の弟子たちは、大量生産できる版画の世界から抜け出し、日本画、さらには油彩画を手掛けた者も多くいたのだ。


2.歌川派のいろいろ

前置きが非常に長くなってしまったが、ここから本展が焦点を当てている「もうひとつの歌川派」の話をしたい。
浮世絵に関心がある人なら言うまでもないが、そもそも歌川派とは、江戸時代中期に派生した浮世絵師の一派のことである。代表的な絵師には、歌川広重や歌川国芳などがいるが、今回焦点が当たっているのは国芳を祖として近代まで続く系譜だ。この系譜を図にすると以下のようになる。

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※図の作成は私

日本美術史の世界では、一般的に「国芳の系譜」や「国芳の後継者」というと  月岡芳年―水野年方―鏑木清方―伊東深水 の流れが主流にある。彼らは知名度も高く、ファンも多い。
一方、本展で取り上げられていたのは、 月岡芳年―右田年英―鰭崎英朋―神保朋世 である。
もしかしたら浮世絵愛好家でも聞いたことがある人は少ないかもしれない。はたして彼らは何者なのだろうか? 

前述した通り、日本画家として活動するのがステータスであった明治中期以降、一般的な国芳の系譜の彼ら(特に清方以降)は、基本的に日本画家として生きた。彼らも若かりし頃、活動初期は挿絵・口絵を手掛けていたこともあったが、最終的に選んだ道は日本画であった。
本展で取り上げられていた系譜の、特に右田年英・鰭崎英朋は、主に挿絵や口絵を手掛け、当時は絶大な人気を博してもいたが、今では名前すらもほとんど知られていない。

それは、挿絵や口絵という媒体が ”消費” され、不要になれば捨てられる大衆芸術であったからだ。
どんなに優秀な画家であっても大衆芸術を舞台とした彼らの行く末は、やはり無名の画家となってしまう。

しかし、彼らの祖となる江戸時代の浮世絵こそ、大量生産できる大衆芸術だ。挿絵・口絵を描き続けていた彼らこそ、歌川派の遺伝子を近代に受け継ごうとした後継者なのではないか、というのが私見である。

本展では、あまり語られることのない、しかし、歌川派の優秀な後継者としての 月岡芳年―右田年英―鰭崎英朋―神保朋世 の作品をたくさん見ることが出来る。今まで知らなかったもうひとつの歌川派の魅力を存分に感じられる貴重な展覧会だ。
歌川派や浮世絵に興味のある人にはぜひ足を運んで見ていただきたい。



今回は自分の専門であるがゆえに歌川派の話しかできなかったが、次に投稿する時は、展覧会自体のレポを書きたいと思う。

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