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完璧主義の、誤魔化した自分に、さよならを。


「ひとの気持ちが分かるようになるといいね」

先輩から言い放たれた言葉。
自分の想いの伝わらなさに、唇を噛みしめる。
どんな顔をしたってだめだろうと、足元に視線を落とす。
俯いたまま「がんばります」とただ一言、絞り出すのが精一杯だった。

ここで泣いちゃだめだと、お腹をぐっと抑えてやり過ごした。
帰り道、どす黒い空を見て、一緒だなと思った。

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今からちょうど1年前くらい、本当に自分のことで精一杯だった。

社会人2年目、役割も変わって立場も変わらなきゃいけなくなった。
覚えなくてはいけない知識がいっぱいで、複雑な人間関係に心が疲れて、がんばりたいのにがんばれない。何か成果をださないと。置いてかれる。行かないで、まって。

自分のできないところを見せられなくて、
わからないことがあっても聞くのが怖くなってしまって、
何も言えなくなっていった。

自分自身に自信が持てなくて、なんとかしなきゃと、
せめて笑顔でいよう、せめて明るい声でいよう、せめて前向きな言葉を、と、
本当の自分の気持ちとは離れたものを盾にして、ひとつひとつ自分の周りを塗り固めていった。

なんの盾にもならなかった。
自分を守ってくれるどころか、その盾はじわじわと寂しさとか虚しさを深めていって、自分で自分を殺すようになった。

心配してくれて「大丈夫?」と聞かれても、
頼りないって思われちゃうかも、、、大丈夫じゃないなんて答えられるわけないじゃない。「大丈夫です!!」もやもや。

「元気か?」と聞かれても、
元気ないですって言った後に気まずい雰囲気になるのは嫌だなあ。
「ばっちりです!!!」ぐるぐる。

どんどんと心がすり減っていって。
自分を誤魔化してぐちゃぐちゃになったこの感情は、「自分を殺す盾」だった。

自分の身を守るはずの盾に、自分自身の心を殺されていった。

自分の意見や心を隠して、背伸びした自分を見せているから、
周りに何を言われようと本当の私のことなんてわかるわけない、って思って。
超自分勝手。何様。

自分自身が自分の本当の気持ちや意見をスルーして、
向き合わずして誰が向き合ってくれるっていうの。

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そのままの自分を好きになれないから、周りには見せられない。
完璧な自分になってから、ね。
そうすると完璧になるまで自分を好きになれない。
んん?いつになったら完璧になれる?そもそも完璧って?


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神様がそんな私を見かねたようにたっくさんのトラブルがふってきて、ああ終わった、と思った。もう顔向けできないって思った。


「この俺が尊敬するお前はすごいんだからな!一緒に進むぞ!」

「一緒にがんばっていきましょうね。応援してますから。」

あれ?なんで、そんな、、、
完璧な自分じゃないと見せちゃいけないって、1番思い込んでいたのは私だった。
完璧な自分じゃないと許せないのは、自分自身だった。
そもそも私に完璧な状態なんて一生こないのかもしれない。

好きな場所で、好きなことを、好きなだけしている、そんなあなたを好きになってくれるひとをまず1番大切にしたらよろしい。背伸びした自分を好かれたって、もはや仕方ない。遠慮したって、いつまでも埒があかない。等身大で嘘を吐かず、隠れず、隠さず、堂々と暴れる。
20代で得た知見 / F


完璧でなかろうと、今の自分自身をさらけだしてみる。
今の自分と向き合ってさらけだすことで、現在地がわかる。
一歩一歩乗り越えていく。その繰り返しでしかない。

どんなに不完全でも、不完全のまま動くしかない。

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たくさんの言葉に、人に、支えられて、ちょっとずつ、ちょっとずつ、
自分の考えを出せるようになった。
出してみると、今の自分は、まだまだなことがはっきりと分かるし、上手くいかないことだってある。

だけど、だけど、
自分の心が動くとき、人の心が動くときに、
正直に、敏感に、戻ることができた。

「あの言葉にはっとしたよ。」
「よく言った。」「それはよくないですよ。」
全部、盾を通さずにちゃんと突き刺さってくる。
気持ちいい。嬉しい。痛い。ありがとう。


あの頃、私は、自分の気持ちに鈍感なふりをして逃げた。
だから、人の気持ちにも鈍感になっていかざるをえなかったのだろう。

その結果が、
「ひとの気持ちが分かるようになるといいね」だ。
他人の気持ちも、自分の気持ちも、ないものにしていたから。


悔しい気持ちとかもやもやっとした気持ちから逃げたくなる時、
今でも「自分を殺す盾」はやってくる。使っちゃいなよ、楽になるよ、と。
盾を使った瞬間はね、自分自身の至らなさや未熟さから逃げて見せないでいいから、守られた気持ちになる。
でも、本当の自分自身をなかったようにして殺していくんだ。

あの頃の私の笑顔、ぎこちないったらない。
口角あがりきってないし、目が笑ってない。(笑)


負けず嫌いだから、
がんばればどうにかなる、できていないのはじぶんのせいだ、
あの時もっとこうしてれば、とやるせなさでいっぱいになる。
でも、どうにもできないことや今の自分の力をそのままに見つめることで、しっかり前に進めるってわかった。

誰もが一発で自分大好きにはなれる魔法はないし、焦らずに自分自身と向き合う。
これが今の自分だと、完璧じゃない自分を許して、目の前の状況を楽しみきる。


二十代に自信なんざ要りません。
自信がないから勉強しようと思える。自信がないから、人の優れた部分が見える。それを真似ようと思える。盗もうと思える。改良したいと思える。自信がないからこそ、目の前の相手を笑わせたい、喜ばせたいと思う。自信がないから動こうとする。その過程で痛い目、酷い目にあうでしょう。でも、その失敗の知識と経験の総体が才覚となり、不変の根拠となり、不動の自信になる。死ぬ間際、ああ楽しかったと思えるのが理想の死に際です。これは自信も同じです。死ぬ間際まで自信なんてなくていい。だからこそ暴れられる。悪足掻きできる。二十代に自信はいらない。自信がないのは、最大の武器です。
20代で得た知見 / F


もう、自分の気持ちをないことにしない、
自分を誤魔化していないか?「自分を殺す盾」になってないか?確かめる。ばいばいする。

戻りたくない、そんな覚悟をこめて。


自信なんてものはやっぱり今もないけど、
今でも誤魔化してしまいそうになるけど、
そうやってもがいていくしかない。


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最近の自分の笑った顔、結構好きで。
こう言えるようになった自分も、結構好きで。

結構、ってくらいだけどね。いいのそれで。



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