野良猫を育てる・6
小さい頃から無類の猫好きだったが、どういう訳か、サビ猫だけは可愛いと思ったことが無かった。
サビ猫とは、『黒と赤のモザイク模様の被毛を持つ猫の総称』らしく、漢字で書くと【錆び猫】である。海外ではべっ甲を指すトータスシェル、あるいは略してトーティと呼ばれている。片や宝飾品、片や腐食では、サビ猫側からしても腑に落ちないだろう。
そんなサビ猫、しかも立派に成猫になっていて、写真のようにふてぶてしい顔の猫がわが家の一員になるとは、全くの想定外であった。
3匹のバランス
家の周りで時々野良猫を見かけることがあるが、同じ猫を何度も見かけることは少なかった。移住していっているのか、保護されたのか、はたまた外で生きていけなかったか・・・。よく夫とも、「今日はサバトラを見かけた」「茶色い子猫がいた」などと話題になったが、見かけるのは一度きりという猫も多かった。
だから、この子は何回も家の前をウロウロしてるなあっと気になったのが、始まりだった。
わが家の中はと言うと、お嬢がやって来てから「どっしり構えて面倒見の良いお兄ちゃん・長男」「甘えん坊、いたずらっ子、お嬢大好き・次男」「THEお嬢様・お嬢」とそれぞれがキャラ立ちしてきて、3匹の関係も絶妙な塩梅であった。家の広さや資金力などを考えても、ここがちょうどいいバランスだと思っていた。新しく猫を引き取るつもりは、ひとかけらも無かった。
図々しい猫
件のサビ猫は、人から食べ物を貰うことに慣れているようだった。普通の野良猫は人家には迂闊に寄り付かないと思うが、このサビ猫はわが家の前を陣取り、人間をジッと見つめて「なんかください・・・」と言ったのだ。もちろん喋らないが、そういう瞳だった。
ところが、わが家では野良猫に食べ物をあげないようにしている。と言うのも、人間から食べ物を貰うことに慣れてしまうと虐待目的の輩に捕まりやすくなるからだ。それにそのサビ猫は野良の割りにはふくよかで食に困っているというふうでも無かったので、無駄に人慣れさせない方が良いだろうと無視していた。しかし、タフな営業マンの如く、何度も何度もやって来て「なんかください・・・」の瞳をしてきた。どちらが折れるか、我慢比べのような日々であった。
食べ物はあげないようにしていたが、寒くなってきたので玄関先の物陰に段ボールとバスタオルで作った簡易防寒所を設置した。まさか入らないだろうと思っていたが、何度も利用していて割と気に入ってくれたようだった。この辺りから、ふてぶてしい顔をしているが、この図々しさが可愛いなとも思い始めていた。そして本格的な冬がやって来る前に保護した方が良いかもしれないとも考えるようになっていた。
運命の日
顔見知りになったとは言え、あくまで野良猫である。距離を縮めると途端に走り去って行く。素人が保護するのは至難の業に思われた。
そして運命の日がやって来た。
仕事から帰宅したところにサビ猫がやって来た。「なんかください・・・」の瞳だが、何となく元気がない。よくよく見ると、首元と片足に怪我をしていた。止血していそうだが、まだ傷は新しかった。このまま放っておくと、傷口から感染したり、衰弱して死んでしまうのではないかと焦った。
まずは全猫の大好物・ちゅーるを小皿に入れてあげてみた。その小皿を少しずつ玄関に近付け、最終的に自宅内でおやつを食べているところでドアを閉めるという作戦だ。うまくいきっこないと思っていたが、底知れぬ図々しさのおかげで作戦は成功した。かなりレアケースだと思う。ただし、ドアを閉めた瞬間にサビ猫はパニックになり、忍者のように壁を走り、足で蹴ったはずみでガスコンロの火を付けた状態で、真上の換気扇フードによじ登った。そのままガスコンロに降りようとしたので、こちらまでパニックになったが、空中で向きを変え見事に逆の壁に着地した。それを2回繰り返した後でようやく下駄箱の下に落ち着いた、と言うより籠城した。
誰が衰弱しそうやねん。ええけどさ。
そこから一晩、出てこなかった。
プロに相談
サビ猫の必死の防戦により夫が負傷したこともあって、我々は途方に暮れていた。藁にもすがる思いで、お嬢を保護してくれていた保護主さんに解決策を尋ねたところ、翌日に捕獲器を持って自宅に来てくださることになった。忙しいのに、しかもお嬢無関係なのに・・・、本当に有り難かった。
数多の猫を保護してきた保護主さんによると、野良猫はファミチキの匂いが大好きとのこと。自宅内にファミチキ入り捕獲器を仕掛けて、待った。香辛料なんて自然界にない匂いなのに、「ファミチキ好きやわ〜」って思うんだろうか。不思議だ。そして待つこと数時間、サビ猫は騙されなかった。結局、捕獲器の入り口と壁に挟まれる形に追い込み、ファミチキに誘われることもなく人力で捕獲器に押し込むことになってしまった。
動物病院でも「ハード野良はお断り」というところもあるらしく、猫専門であり野良猫大歓迎の動物病院を紹介していただいた。そこの先生は人間に対しては無口だが、猫を見る目は優しく、そして野良猫というかもはや忍者猫になっていたサビ猫の扱いがべらぼうに上手かった。捕獲器からスピーディかつソフトに洗濯網に移し、隙間から爪が覗いた瞬間に驚くべき速さで爪切りをしていた。スタッフも皆、阿吽の呼吸で誰も(猫も)怪我なく診察してくださった。もう一度連れてくることはほぼ不可能だったため、怪我の手当てから虫下し、避妊手術まで入院して一気に行うことになった。1週間ほど入院し、諸々込々で2万円程度であった。避妊手術だけで2万円を超える病院もあるので、桁を間違えているかと思ったが、野良猫料金とのことであった。
保護主さんにしろ、病院にしろ、こんなに恵まれることはほとんど有り得ないと思う。このサビ猫は、本当に運が良い。入院中もお見舞いに行ったりしてすっかり愛着が湧いてしまい、退院後は一旦わが家で預かることにした。と言うより、もうわが家に迎え入れる気持ちになっていた。ただ、ガスコンロ事件が忘れられず、万が一逃げ出してしまった時にもう一度開腹されないように、耳のサクラカットだけはしてもらった。
顔が変わる
わが家に戻ってからも、ふてぶてしい顔だったし、成猫だったのですぐには懐かなかった。知人からも「何でこんなブサイクな猫を保護したん?」と聞かれる始末であったが、相変わらず食に貪欲なところには愛嬌があった。そうこうしているうちに月日が経ち、徐々に心を開いてくれたのか顔つきが変わっていった。
本当はこんな顔をしていたんだなあ。恐怖でブスになっていただけだったんだな、と今なら思う。
そして、サビ猫飼いあるあるかも知れないが、一緒に暮らすうちにサビ猫という猫種が大好きになった。「錆び」だと思っていた柄も、光に透けると美しい「べっ甲」に見えることが分かった。暗いところでも、複雑な模様は見飽きなかった。この柄で敬遠されている全てのサビ猫が、可愛く見えるようになった。
サビ猫の回し者のようになってしまったが、どの猫も信頼関係が結ばれれば可愛い顔を見せてくれることを教えてくれたサビ猫に感謝である。
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