文書を書く練習のため始めました。 中身のない文章をつらつらと拙いながら書いています。…

文書を書く練習のため始めました。 中身のない文章をつらつらと拙いながら書いています。 読んでくださると助かります。

最近の記事

長くて短い祭りと終わらない終わり

催事と友達の少ないことにさえ目を瞑れば、無駄に長く、無駄に暇で、実に素晴らしい私の大学生活もそろそろ終わりを迎えようとしている。 この大学生であった4年間という時間は長いようで短い、非常に不思議な時間であった。 時間を無駄に使うことにおいては自信のあった私も、4年という私の人生の5分の1近くを占める時間をどのように過ごすかとても悩んだものだが、あれこれ考えているうちにほとんどが過ぎてしまった。 入るまでにあれほど苦労をしたのに、出るまでは行列店での食事やテーマパー

    • 個人的意見

      人間というのはどのくらい幸せになっても、どこかに必ず悩みだとか不安だとか満ち足りなさを感じてしまう生き物であると私は考える。 たとえ巨万の富を得ても、不老不死になっても、沢山の人から愛されたとしても。 だから自分の不幸と他人の不幸を比べようとするのは全く持って「ナンセンス」なのだ。 上を見て羨んだり、下を見て自分の方がマシだと考えたり 自分の方が辛いとか、相手より自分の方が大変だとか それぞれの置かれた立場が違うにも関わらず比べてしまう、それによって得られる

      • 「春」

        「春」という季節が来る度、なんとも言えない気持ちになる。 草木が芽吹き、花が咲き、新しい命を感じられるこの季節。 桜を見ればたちまち人の気持ちは和らぎ、自然と柔らかな空気が流れる。 「四季」があり、「春」があり、「桜」がある所に生まれてよかった。 そう思える人に生まれてよかった。

        • 「幸せ」

          「幸せ」  一括りに「幸せ」と言っても、十人十色どころか、万人万色で、多種多様、種々雑多さまざまな「幸せ」があり、これを感じる尺度というのもまた人によって様々である。  ある人にとって「幸せ」だと感じることというのは、他のある人にとっては至極当然のことで、わざわざ感知するまでもないこと、そういうこともある。  また自身の「幸せ」を測るモノサシも、この程度では満足出来ない、と日を追う毎に、歳を重ねる毎に長く大きくなっている。  そのモノサシからすれば取るに足らなくなってし

        長くて短い祭りと終わらない終わり

          人にとやかく言われるのはあまり好きではないし、自分は人にとやかく言えるほどの人生歩んでない。

          人にとやかく言われるのはあまり好きではないし、自分は人にとやかく言えるほどの人生歩んでない。

          小さい頃はあんなに 「早く大きくなりたいな」 とか 「早く大人になりたいな」 って 毎日のように思っていた けれどいつの間にか 「子供の頃に戻りたいな」 そう思うことが多くなった 「戻りたいな」 と思ってしまった時には 私たちはもう大人なのかもしれない

          小さい頃はあんなに 「早く大きくなりたいな」 とか 「早く大人になりたいな」 って 毎日のように思っていた けれどいつの間にか 「子供の頃に戻りたいな」 そう思うことが多くなった 「戻りたいな」 と思ってしまった時には 私たちはもう大人なのかもしれない

          今日あったクソみたいな出来事

           今日私はメガネ屋に行きメガネを新調し、古着屋に行きウィンドウショッピングをし、喫茶店に行ってコーヒーを飲み、美味しいフレンチトーストを食し、短い時間ながら友人と語った。  珍しくまあ無駄にしなかったなと言える日を過ごした気がする。無駄な一日が悪い訳ではないと思ってはいるが、やはり無駄な日々が続くとさすがにこの私も参ってしまい、いい加減この狭くて暗い巣穴から出てなにかせねばという気になってくる。  軽く茶をしばいたその帰り道、駅で珍しいガチャガチャを見つけた。絵本シリーズのノ

          今日あったクソみたいな出来事