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長くて短い祭りと終わらない終わり

催事と友達の少ないことにさえ目を瞑れば、無駄に長く、無駄に暇で、実に素晴らしい私の大学生活もそろそろ終わりを迎えようとしている。


この大学生であった4年間という時間は長いようで短い、非常に不思議な時間であった。


時間を無駄に使うことにおいては自信のあった私も、4年という私の人生の5分の1近くを占める時間をどのように過ごすかとても悩んだものだが、あれこれ考えているうちにほとんどが過ぎてしまった。


入るまでにあれほど苦労をしたのに、出るまでは行列店での食事やテーマパークのアトラクションのように一瞬である。


しかしこの迎えたくもない終わりを迎えるためには、ふたつの大きなを乗り越えなければならない。


ひとつは就職活動、そしてもうひとつは卒業論文である。


就職活動については一応は片が着いているので割愛するが、問題は卒業論文である。これを提出しなければ大学を卒業して社会人としての門出を迎えることが叶わないのだ。


せっかく汗水血涙垂らして面接をし、やっと手を差し伸べてくれた雇われ先を自ら払い除けるようなことになってしまっては、
周りの人間から軽蔑されるどころか、親には勘当され、アパートは追い出され、途方に暮れ、
挙句の果てにはその無様な様を新しい諺にでもされてしまうかもしれない。

どこぞのお金持ちのおぼっちゃまやおじょうちゃまのように実家が屋久杉の如く太ければあぐらをかいていられるのだろうが、
残念ながら親には私がかじる脛も、取り付く島も残っていない。

そんなものを当てにしていないだけマシだど自分に言い聞かせながら、残りの学生生活を終わらない卒業論文に当てている日々である。

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