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したかどうか より しようとしたか

「あといくつ戻れば あの頃のぼくらに出会えるのかな」

先日、3/14に誕生日を迎え22歳に。そして3/15に卒業式を迎え、無事学業を修めることができました。花束はずっと夢だったと伝えていたら、最後の最後に叶えてくれた家族からの贈り物です。ありがとう。

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「付き合って"いただいてる"と思いながら隣に居ようとする自分が惨めで仕方がない、苦しい。」

本当は言うつもりではなかったけれど、我慢の限界だった。思えばずっとそうだった。好きだ と思うのもわたしばかり、会いたい と思うのもわたしばかり、向き合おう とするのもわたしばかり。貴方はいつも、"知らん振り"。

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わたしはいつも、貴方に会いたいと思う。
道端で猫を見つけたり 素敵な空を見上げた時、貴方に教えたいと思う。
美味しい食べ物を見つけた時、いつか貴方と行きたいと思う。

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ずっと、ずっと、片想いのままだった。付き合っている今も。わたしは惨めで仕方がなかった。「何も考えてなかった」と言われた。一番虚しかった。貴方が何かしらの感情を抱いてとった行動だったらまだ理解できた。わたしは、考える対象にすら居なかったんだと。

貴方の隣にいるわたしは誰だったんだろう。棒人間だったのか。わたしには 名前があって、個性があって、それは見えていなかったのか。人 という存在認識で終えられて、わたし ではなかったのか。

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一緒にいるために必要なことは、向き"合う"ということ。わたしが貴方のことや自身のことを考えるように、貴方が自身のことを考えることを通してわたしもその世界に入れてくれようとする ということ。

付き"合う"んだから、どちらかが踏み寄る努力を怠るのは的外れかな。せっかくの縁を、無下にしないこと。

お互いにね。

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