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にゅうらいふ <下>

にゅうらいふ

この、辛気くさい法律の名前が気に入らなくてね。アタリさんがそう言いながら、お酒をカウンターの上に置いた。まちさんはそれを受け取って、丸い紙でできた使い捨ての飲み物についた水滴を受け止めるための薄いシートの上に置いた。はじめ、僕はその丸い紙が使い捨てられていることに戸惑ってしまった。そして、アタリさんにさすが、新しい世代だねぇと感心されてしまったのだ。今は、僕はすっかり慣れたような顔をして、まちさんの隣に座っている。
それで、明るいイメージに変えるためにひらがなにしたのさ。「にゅうらいふ」ってね。アタリさんは得意げに笑って、その笑い声がこの細長い店の壁に響く。人がこの空間で笑うと、面白い声の響き方をする。人が集まって話すとさらに声が混ざり合って、今聞こえている音が誰が発した音なのかと判別できない状態になる。それが楽しくて心地よい。
アタリさんが得意げにほほえんだところで、まちさんが僕の背中をなでた。アタリさんもわかっていた。僕はその法律で作られたいのちの一つだとわかっている。まちさんが僕の背中をなでる感触が、固いワイヤを通して伝わってくる。僕の背中にも、人間と同じような情報を伝えるための束が通っている。まちさんの背中にも、すこしだけ背骨が残っている。まちさんは、いつも通り微笑みながらきもちよく店の音楽を聴いている。すこしだけ上がった口角が横から見ると、さらに美しくほほ笑んでいるように見える。
事象を積み上げるのではなく、事象の中で泳ぐというか。その泳がれている事象とは、妄想とか夢とかに近い。
このにゅうらいふで哲学対話をしたときに、まちさんはそう話してくれた。哲学といっても、学問的な集まりじゃなくて、自分の体験を話し合って、それをみんなで考えるための集まりだ。まちさんが言い出して常連の人たちが参加したのが始まりだ。みんなの体験が聞けて面白い。まちさんは、自分の体験というより、小説を書いているときの感覚を話していることが多い。というか、それがほとんどだ。たぶん、まちさんのことをもっと知りたい人もいて、それを問いかけても哲学対話のルール上問題ないはずなのに、まちさんの私生活のようなものが語られた気配がない。結局、まちさんの現実というよりかは妄想が話されているから、まちさんのからだのこととか、いつもどうして生活をしているのかが、まちさんを知りたい人からは謎なのだ。
「やっほー」
店のドアが開いて、にしさんが入ってきた。くるくるとした髪に、緑色のコートを着ている。顎から耳のラインが角張っている、にしさんも横顔が面白いと思う。僕は人の横顔が好きだ。
にしさんは、僕の横に腰掛ける。アタリさんがすぐに水を出してくれて、にしさんの前に透明なガラスのコップが置かれる。ありがとう、とにしさんがいう。なんか、今日げんきだね。とまちさんが腰を傾けて、にしさんの方を見た。まあな。とすこし笑いながら、にしさんはガラスのコップを口に運んだ。にしさんも水を飲む。
「今日哲学対話するの?」
「さあ、集まり次第」
「やろう、やろう」
「今やりたいの?」
「三人でやってれば人が集まるんだよ、たぶん」
にしさんは、メニューの表を見て「じゃあ、ハイボール」といった。にしさんもお酒をのむ。「何飲んでんの」とにしさんはまちさんによく聞くので、まちさんがそれに応えるのを聞いてお酒の名前をちょっとずつ覚えてしまった。電気味覚の種類の名前みたいなものかな、と思う。みんな好きなお酒の名前を覚えている。
「タチュ、なんかテーマ考えてよ」
まちさんが、僕の方を見た。正面から見たまちさんの顔も、横顔の真剣さがほぐれてすこしかわいい。眼鏡を取るともっとかわいいが、眼鏡の奥にある二重の目を見ていると、やっぱりまちさんの目が好きだと思う。
考えてよ、といわれたときは考えてアウトプットすることだよ。とアタリさんに言われたアドバイスをもう一度思い出して、ほぼゼロ秒で「嘘しかつけない人がいたら、音楽と朝についてどう思うだろう」と、話した。まちさんは僕を見て笑った。えっ? とにしさんが聞き返してきた。「嘘しかつけない人がいたら、音楽と朝についてどう思うだろう」と僕はもう一度言った。天才か、まちさんがコップを薄い紙のコースターから持ちあげて、笑った。面白いでしょう、この子。とにしさんの顔をみてまちさんは得意げだった。僕がテーマを考えたらこうなる。まちさんが書いている小説に出てくる文章みたいで、よいと思った。
まちさんは、眠そうだったけれども、お酒をすこしのんだらちょっと気分がよくなってきたのか、ちゃんと勢いのある言葉を話し始めた。ひょっとしたらいつもより元気があって、小説を書いたらいい文章を書けるかもしれない。でも、ここでは書くかわりに話さなければいけないから、その分たくさん話している。
はい。
まちさんが最初に手を上げた。
夏は早朝に限る。朝に文書を書いていると静けさを感じる。音楽は静けさとして鳴っている。まるで、文章を書くことだけに用意された音楽のように、ぴったりだ。石職人が使う、石を打つための台のようにシンプルで、文章とわたしの手以外には何もない。
僕たちは、語りが始まっていることを感じ取って、まちさんが言葉を発するままに、聞いていた。
こうやって書き続けることをしばらくは忘れていた。言葉が実際にあること。言葉が、本当にここにあって、その言葉を、今目の前にはいないけど、頭の中で思い描ける誰かに伝えたら、意味が伝わると信じられること。いや、信じられすぎて実際にどうだったか忘れそうになったこと。
まちさんは、すこし言葉の流れを止めて沈黙した。まとまらないけど、こんな感じかな。と、カウンターに肘をかけながら口を小さく動かした。僕たちの様子をチラリと見て、頬杖をほどいて手を膝の上に置いた。にしさんが手を上げた。ビジネス史の教科書で初期の人間が着ていたスーツという黒い服。西さんはやっぱりスーツが最強だよな、と言ってジャケットの襟をただす。すぐに手を上げたから、カウンターのむこうのアタリさんが、注文と勘違いしそうになって、目をやった。まちさんは、どうぞにしさんと言った。
にしさんは、うーん、とすこし考えてから、それってうそなんですか? と言った。率直な問いだった。うそしかつけない人がいるってことだから、さっきまちさんが言ってくれたことはうそになるんじゃないかと思って……。
にしさんが、言い淀んだところでまちさんが手をあげた。あ、じゃあ、まちさん。にしさんが名前を呼んで指名した。
うそです、さっきのは。
まちさんがぽつりと言って、黙った。しばらく誰も話をしない時間が続いた。にゅうらいふの木張りの床を見て黙って考えていた。まちさんは僕たちが何を言うのかをひたすら待っている。まちさんの視線が僕の方を見て、何かを問いかけるよりも強い強制力で、僕の言葉を刺激した。僕は手を上げた。ルール通りの動きで、手を上げて指名してもらわないと、次の人は話せない。話し終わるまで好きなだけ、ひとりずつ話すのがルールだからだ。
じゃあ、タチュ。
まちさんが唇を動かして、僕の名前を呼んだ。僕は返事をして話し始める。
少なくとも音楽は聴くってことだね。うそならば。作るときは音楽を聴くんだ……。いや、何も作らないかもしれない。小説だって書かないかもしれない。夏は早朝じゃなくて、昼寝をした夕方が好きなのかもしれない。昼寝をして夕方まで眠るんだ。気温が低くなるまで待って、それで夜、散歩に行くんだ。それが僕の生活さ。
話ながら、何を言っているのかわからなくなっていた。これは僕が、「うそしか言えない人」になって語っているのか、それともただの想像なのか。にしさんが手を挙げた。僕はにしさんを指名した。まちさんは楽しそうに笑いながらカウンターに寄りかかっている。骨盤が曲がって、背筋がくねりとやわらかくウェーブを描いている。
タチュ、あんたが言ったのはうそかい。
いいえ、本当です。僕は手を挙げた。にしさんが指名してくれた。僕は、にしさんの疑問にそう答えていた。
そう答えた瞬間、僕はさっきの疑問にまちさんはうそだよ、と答えていたことを思い出した。僕はうそしか言えない人なのに、本当とも、うそとも言うことが面白いと思った。でも、うそしか言えない人はうそしか言わない。それでも言っていることには、うそか本当かどちらか決めることができるはずなのだ。よくわからないけど、それがうそなのか、本当なのかが見分けられる何かがあるはずだ。でも、まちさんはひょっとしたら、うそしかつかないと思ってるかもしれないし、まちさんがどういうきもちで最初の疑問に答えたのかよくわからない。
まだ誰も手を挙げていなかったから、僕はさらに言葉を続けた。
まちさんは、うそしかつけない人が、朝と音楽について考えるとき、うそしかつかないと思いますか? よかったら教えてください。
まちさんが手を挙げた。じゃあ、まちさんどうぞ。
うそしかつかないんじゃなくて、うそしかつけないんだ。だから彼は、本当のことを言おうとするときもあるんじゃないかな。彼の口から出る言葉は、うそばかりだけど、いやうそしかつけないけど、彼の心の中には、本当のことも存在して、それを考えることもある。でも口にでるときにはそれはうそになっている。
はい。
僕は問いを思いついて手を挙げた。まちさんは何か言い残したことがないか確認したのか、すこし待ってから僕を指名した。どうぞ、タチュ。
はい、いま、まちさんの言葉を聞いて思ったんですが、心の中で思ったことを言うのは、たとえうそだとしても本当のことなんじゃないかなと思うんです。どういうことかというと、うそを言ったとしても、心の中でうそをつこうと思ったら、その人は本当のことを言っているのと同じだと思うんです。自分の言いたいことを、言おうとして言っているんだから本当のことを言わないだけで、たまたまうそばかりついてしまっているだけだと思うんです。皆さんはどう思いますか。
僕は、結構これがいい質問だと思ったが、話している途中で、ヤマノさんが来て、にゅうらいふのドアをコロンとならした。僕たちが座っているカウンター、僕、まちさん、にしさん、の順に手前から奥に座っている、そのいちばん奥にヤマノさんが腰掛けた。ヤマノさんは、僕たちが哲学対話っぽく話しているのを嗅ぎつけて、静かにうなずき始めた。でも、僕の発言が終わると、僕たちはテーブル席にコップを持って移動して、四人で向かい合えるように座り直した。アタリさんもテーブル席にヤマノさんの水を置いた。ヤマノさんは暑くて喉が渇いたのか、すぐにコップに手を出して口に運んだ。
にしさんが手を挙げた。と思ったら、アタリさんもカウンターの向こうで手を挙げていた。はい、と大げさに声を出して発言したいようだった。にしさんは手を下ろして、アタリさんに譲った。仕事があって発言できないときもあるが、お客が少ないときはこうして発言してもらったほうがいい。
じゃあ、アタリさん。
はい。うーんとね。アタリさんは立ったままトントンと足で床を軽く叩いた。なんか、タチュの言ったことを聞いてて言いたいと思ったんだけどね、ヤマノさんが来てちょっと忘れちゃった。ヤマノさんは、ぺこりと首を曲げてあやまった。いや、いいのいいの。あっ! 思い出した。あのね、わたしうそがほんとになるときってあると思うのよ。なんか、メッセージ送って、返ってきた返事がなんとなくうそだと思うときがあるの。昔の彼氏なんだけど、あいつメッセージではわたしと会いたそうな言葉を書くんだけど、いざ会うとわたしと会いたくない感じで接してくるんだよね。あ、なんかうそだな、ってかんじで、文字面でうそだってわかるっていうか、うそついてでも私に会いたいって感じがわかるっていうか……
それを聞いて、まちさんとにしさんが笑った。ヤマノさんは不思議そうに話を聞いている。
あと、うそをついてそれを実はうそじゃないって相手に伝えようとするときもある気がする。たとえば、お腹空いてるのに、お腹空いたって言うのが恥ずかしくて、お腹空いてないって答えちゃったりするとか……
まちさんは固まって考えているがやがて手を挙げた。アタリさんは、話し続ける。ヤマノさんはうなずいている。
それってうそなんだけどうそじゃないっていうか……わかる? うーん。うそしかつけないってどうなっちゃったんだろう?
アタリさんの率直な言葉で、一気にヤマノさんも納得したようなうなずきをするようになった。
じゃあ、まちさん。
アタリさんは、まちさんを指名した。
はい、ありがとうございます。まちさんは一度髪を耳にかけ直した。やはり、うそしかつけないっていうのはとっても面白いわね。まちさんはとてもうれしそうに笑っていた。その笑いを見て僕は、頭が言葉を探してぐるぐると回り始めるのを感じた。どうやらまちさんが笑っているときも、考えるのが楽しいときなのだろう。まちさんの笑っている顔を見ると、どんなときにまちさんが笑うのだろうと観察を始めてしまう。タチュはよくわたしを観察してくれるよね、とまちさんに言われたことがある。よく人を観察しなさい、と学校で言われたことをやっているだけなのだが。それって楽しいの? 楽しいのかどうかはよくわからない。じゃあどうしてやってるの。僕にはじめからそう組み込まれている気がする。誰かが笑っている、誰かがうれしそうにしていると僕はそれを覚えておきたい。どういう風にまちさんがうれしいのかを、僕は知りたい。ふーんそうなんだぁ。まちさんはそうやって僕のことを理解しようと考えるのと同じ姿勢で、視線だけはにゅうらいふの床にやったうつむき加減で考えている。うそしかつけないということは、彼自身の意志じゃないんだ。「つけない」っていう言葉の使い方からそうだよね。何が彼をそうしたんだろう。誰が彼をうそしか言えなくしたんだろう。まちさんは首をかしげた。髪が揺れて顔に覆い被さった。その髪をかき上げた。まちさんの耳が見えて、すこし口角が上がった頬と床を見る鋭い目つきの右目が見えた。髪をかき上げた手をそのまま頬に当てて、肘を膝の上に置いて頬杖をついた。そのままだと、周りが見えていないから、にしさんが手を挙げようとしたけど挙げたそうにしたまま、手を挙げなかった。でも、ヤマノさんがもぞっと動いて手を挙げると、まちさんは気がついて顔を上げた。髪がさらさらと流れて、額が見えた。ヤマノさんはちょっとひかえめに首を前に出して、手を挙げてますよ、という感じでまちさんに目配せした。あ、ヤマノさんどうぞ。はい、ありがとうございます。ヤマノさんは手を膝の上にゆっくり置き直してから、話し始めた。目が一段大きく開かれて、喉が締まった声だった。
ええと、うそしかつけない人についての話だと思うんですけど、今からうそしか話さないで哲学対話してみたらどうかなと思うんです。わたしうそしかつきませんから。たとえばそれでも、お互いの主張が通って、哲学対話になると思うんです。これってどうかな。
僕は手を挙げた。
あ、タチュくんどうぞ。
ありがとうございます。僕は、実は今日のテーマを考えたんですが、今日のテーマは、うそしかつけない人がいたら、音楽と朝についてどう考えるだろう。というものです。もちろん哲学対話のルールには何を言ってもいい、というものがあると思います。でも、自分の言葉で話したほうがいい、というルールもあると思います。自分の言葉というか、自分の体験から出た言葉です。うそは、自分の体験から出た言葉でしょうか。僕はそれが気になっています。あと、僕は自分の言葉が自分の体験から出てきたのかよくわかっていないところがあります。だって、僕はやったことをデータとして記録しているだけなので、何が体験なのか。忘れたいときは、データを削除したりするのですが、それは体験としていいのか。自分で好きなように消したり書き換えたり、あるいは自分以外の人がプログラムして好きなようにしてしまえるのは、体験って呼ぶのでしょうか。
僕は電車に乗っているときに思ったんです。足が、足が等間隔に並んでいる。どれも人です。もしかしたら人に似たニューライフかもしれない。でも、その足すべてに体験がある。サンダルを履いた足。会社のマークが入った足。綿のズボンをはいた足、ジーンズをはいた足があります。それらすべてに体験があるなんて僕には信じられません。つまり、僕のからだの中にある、まちさんといるときの強烈な感覚や、言葉があふれて何も言えなくなるような感覚が、そのからだひとつひとつに宿っているなんて。僕はそこまで言って何を言えばいいのか忘れてしまった。
まちさん、お願いします。
手を挙げているまちさんに僕は渡した。
言葉にできないことが多すぎる。言葉にまだされていないことが多すぎる。まちがった言葉も多すぎる。どれだけ正確にタイプしようとしてもわたしは間違った文字を入力してしまう。機械とのやりとりが上手くいかないんだな。
まちさんがそう言ったとき、僕はまちさんと上手くやりとりできているのだろうか、と心配になった。でも、みんなが聞いている中でこの不安を言ってもいいのかが気になってしまった。だが、まちさんはそのまま思考を進めて、さらに核心に迫っていった。でも、タチュとせっくすしているときは、正確なタイプなんて考えないんだよ。せっくすはお互いのきもちのぶつかり合いだから。きもちのぶつかり合いと掛け合わせに間違っているとか、正しいとかは関係ないはずなんだよ。間違っていたとしてもそれが意味を持つから。キマグレにタイプした文字が、そのまま小説の言葉になるときだってある。一瞬しか見えなかったけど、予測変換で現れた文字が、そのあとの小説の流れを決定づけてしまうときがある。その瞬間があるから、わたしはなるべく机に向かっていたい気もする。でも、その瞬間は書くことのほかに、書くことの外からもやってくる気がしている。わたしたちが生きている時代、わたしが日々作っているもの、わたしが毎日くり返していること、そうした書いていない時間がわたしの小説を形作っている気がする。だから、書いているものは全部うそでもいいんだ。
まちさんは、最後の言葉を言うとき、顔を上げてみんなを見た。ちょうど最初に僕を見た。僕はまちさんの正面に座っていたから。まちさんは最初、手で小説を書こうとしていた。フルフルと震える手でノートにペンを立てて小説を書こうとしていた。でも、それは続かなくて、なんとなくパソコンで書き始めることになったのだ。でもそれはなんとなく逃げている気がする。まちさんは言っていた。わたしは向き合うためじゃなくて、逃げるために書いているんじゃないか。急いで文字を書いて、自分の心が怖いと感じる言葉を避けて通っているんじゃないか。
はい。
にしさんが手を挙げた。
にしさん。どうぞ。
うそをつくことは逃げることじゃないよ。たぶんそうだよ。あしたまた、元気にいきられるようなうそだってあるじゃないか。なんとなく、疲れて元気がなくて、俺だってからだが痛かったり、胸が苦しくて何もできないかもって思う朝があるよ。でも、音楽を聴いていると、ああ、頑張ればできるじゃんって思えるんだ。だから、疲れてるときって自分では頑張れないけど、なんか背中を押されたら頑張れるときってある。空元気かもしれないけど、それは俺の元気と、背中を押してくれた元気の掛け合わせみたいなものだと思っている。だから無理しても、無理できるときは無理してもいいし。ほんとに無理だったら無理って言えばいいし。
休むときも同じな。元気が出るって言ってても休みたかったら休んでいいんだぜ。誰かに手を引っ張られて仕事じゃない場所につれていかれたっていいんだぜ。って俺はそうおもう。何でなのかわからんが、思い通りに生きているときよりも、思い通りに生きてないときの方が、面白いって感じるときがあるんよ。
にしさんは肩をカタカタさせて笑った。まるで、寒くて震えているみたいだった。顔はすこし温かくなったみたいで赤くなっていた。にしさんにも血が流れている。お腹は半分だけ出ている。腹筋をつけてもらって片方は支えられているけど、もう片方は肉体のままで、お酒を飲んだりおつまみを食べたりしてできた脂肪がくっついている。にしさんはもう一回手を挙げて、アタリさんを呼ぶとビールと、唐揚げを注文した。唐揚げはちょっとでいいと言った。あいよ~とアタリさんが返事をするとちょっと経ってアタリさんがグラスに入ったビールを持ってきた。カウンターには何人かお客さんが座っていてぴったりくっつき合ったり、おはなしをして過ごしたりしていた。僕たちの方を見て何をやっているのか気にしている人もいた。
にしさんのビールが来て、ヤマノさんも手を挙げた。アタリさんがカウンターの奥に行ってから手を挙げた。アタリさんが注文と間違えないようにするためだと思うけど、アタリさんはしっかりヤマノさんの様子に気を使って注文したいのかどうか観察していた。ヤマノさんどうぞ。にしさんが言ったら、ヤマノさんは手を下ろして、アタリさんの様子は気にせず話し始めた。
わたしも、にしさんが言ったみたいなことある。元気出すんだけど。まあ、次の日大体疲れすぎているんだけど。わたしは疲れる前に休むのがコツかなぁ。休むときの理由を「疲れているから」にしちゃ駄目だと思う。疲れないように休むのがいちばんいいと思う。どれだけ働いたか、どれだけ動いたか、どれだけ人のためになったのかは知らないわ。でも、わたしを大事にするために休む。確かにわたしも電気を入れればいくらか頑張れるけど、頭も回るから電気入れっぱなしで、からだは動かさないとかもできるんだけど、それってやっぱり働いてないわよね。わたしって、なんか相談みたいな仕事が多いから、話を聞くだけならいいか、っていくらでも引き受けてしまえるときがあるの。人の話を一回聞いたら六八〇円。もう一度話しても、どれだけ長く話してもまあそんなに変わらない値段なの。で、わたしの方が寝っ転がって話を聞いてると、相手の方も寝っ転がっているのかだんだん声がゆったりになってくるの。でも、しゃんとわたしがしていると相手もしゃんとはしないこともあるけど、話が早く終わることもある。なんかわからないけど、話している人と話を聞く人のきもちはつながっているわ。ゆっくり、ゆっくね。だんだんつながってくる。話を聞いていると意味がないような話もちゃんとその人のからだにつながっているとわかる。花の名前をよく知っている人は、目がいいわ。そして香りを識別できいる鼻をわざわざお金を出してチューニングしていることもある。そんな人と話していると自分とその人の感覚が、鼻がよく嗅げるのか、とか花の名前をたくさん知っているか、どうかの違いではない気がしているの。そもそもその人が花についてたくさん話したくなったのには理由があって……うーん。
ヤマノさんは首を左に曲げて、両手を腰に当てて考えた。ヤマノさんのまとめたお団子の髪はどれだけ首を動かしてもヤマノさんの頭のてっぺんにある。
たとえば、あまりにも退屈だったから、ふと本屋さんで色のついた本を買おうとしたら、たまたまそれが植物図鑑だったっていう風にね。今は、色なんてペーパーディスプレイでつければいいから、紙の本はほとんど白黒よね。でも、花の図鑑だけはなぜか、色がついてたんですって。それで、その人は花の名前を覚え始めたの。一日に一つずつ。別に、適当に色を選び始めただけなのに、その人だってなぜ自分が色が好きだなんて知らないみたい。でも花の名前を教えてくれたわ。その図鑑を見つけたエピソードと一緒にね。ヤマノさんは笑った。とても誇らしげに、自分だけが知っていたことを初めて言葉にしたみたいな笑顔だった。頬の端っこが丸くなって、にこりと笑っている。
僕は思わず上を向いて、何を話そうか考え始めた。聞いているときは、思い切り聞いていて聞きながら話すことを探すなんてできない。自分の番になってから考え初めてもいいし、頭の中でまとまらないけれども考えが始まってきたら、それだけで手を挙げてしまえばいいのだ。
はい。にしさんが手を挙げた。
どうぞにしさん。ヤマノさんがにしさんにバトンを渡した。
ありがとうございます。今のヤマノさんの話を聞いていたら、うそをつく人にもその人なりの理由があるってことだよな。じゃあ、そいつは音楽と朝についてどう思うんだろう? ってのがタチュがくれたテーマだ。
音楽と朝だけには、うそがないっていう解釈はないか? 音楽の楽しさと、朝の澄み切った感じにはうそがないような気がする。
深い考えを表明するように、にしさんの声は確かだった。考えにいくらか自信がありそうだ。まちさんが手を挙げていた。そういう自信ありげな声にまちさんはほぐす一撃を与えるのが好きだ。音楽と朝にはうそがないってどういうこと? 答えられるならにしさん答えて?
はい。とにしさんが手を挙げた。
そうだな、俺は。うーんっと、音楽を聴いていると、その音楽は本当だなって思えるときがあるわけ。特に、ドラムのリズムとかにずんずんとからだを動かしていると、ああ、いいリズムと音楽だなぁって思える感じがするの。
僕は、まちさんとディスコに行ったことがある。みんながからだをひしめき合って踊っていた。からだがくっつき放題で、まちさんもいくらか背中や胸で他の人にも僕にもぶつかっていた。ああ、あの感じかなと僕は自分の体験と言えるのかどうかわからない思い出を、にしさんの発言から思い出してしまった。あれは、でもうそがないというより、うそばかりの空間のように思えた。にしさんが話している途中だけど、僕は手を挙げた。にしさんは、話し続けた。
なんか、音楽って考えることを忘れさせる機能があるよなぁ。何というか、何も考えないからうそがないというか。うそをつくか、ほんとうをつくかどっちでもないというか。朝もそれに似てるんだ。朝何も考えない。メモリも真っ白で、脳もぼんやりしている。充電は満タンで、さあ何でもできるぞってときに何をすればいい? 逆によくわからなくなるじゃないか。むしろちょっと疲れているときの方が気分がいい気がしなくもない。そんなときって、うそとかつけない。
ああ、タチュが手をあげてるな。どうぞ、タチュ。
はい。僕は話し始める。にしさんの言ってる音楽についてなんですが、僕は音楽をみんなで聴いているときは、逆にすべてが本当というよりかは、すべてがうそのような気がしてるんです。どういうことかというと、前にまちさんとディスコに行ったときに、みんなお祭りのように踊り狂ってたんです。
ここまで話すと、カウンターの向こうのアタリさんも笑った。テーブルに座っているにしさんとまちさんとヤマノさんも笑っていた。にしさんは、きもちよさそうにビールのジョッキを飲み干した。
なんだか、すべてがうそで、音楽という作り話みたいな感じ……
そこまで話したら、まちさんが仕掛けていたキッチンタイマーがじりじりと鳴った。机の裏に貼り付けてあったので制限時間に気がつかなかった。
あ、最後まで話してタチュ。とまちさんは言った。僕は、話したかったことを思い出して、言葉を言い直した。
ディスコだとすべてがうそのようで、音楽はうそを作り出す装置なのかと思った。うそが、すべてでそれは逆に何が本当なのかとか、何がうそなのかとか、考えなくさせるもののようで。にしさんとは全くちがうような考えな気がするけど、でも根本のところは同じような気もする。でもそのつながりは何だろう。でも、いつもは本当とうそで言葉として分けて使っているのはどうしてだろうと思ったのでした。おしまい。
僕はそこまで話して、みんなを見た。みんなも笑っている。まちさんが軽く音を立てずに拍手をした。にしさんも拍手をした。アタリさんもカウンターのむこうから拍手をした。ヤマノさんもすこし遅れて拍手をした。アタリさんが拍手をしていることに気がついたほかのお客さんも、振り返って僕たちのテーブル席に向けて拍手をしてくれた。
お疲れ様。じゃあ振り返り会しようか。とまちさんがテーブルの裏に貼り付けたキッチンタイマーを出して、みんなを確認した。じゃあ、わたしから話すわ。
まちさんは、髪を耳にかけた。にしさんが、空になったビールのジョッキをアタリさんに向けて、おかわりを注文した。
うーん、なんか今日は、わたしの考えからちょっとずれた対話だった。タチュのテーマがよかったからかもしれない。正直わたしにとって、書かれている言葉とか話されている言葉がうそか本当かだなんてほんとにどうでもいいことで……書かれていることよりも心が動いたり震えたりしたらそれでいいから。書いたことも覚えてなくていいし、律儀に守らなくてもいい。だからわたしの文章は矛盾だらけなんだけど、むしろそれが味になるはずで。というあざとい視点を持ってがむしゃらに書き続けているんだけど、今日の対話で特に、最後らへんのうそとか本当とか実は、底の方でつながっているっていう言葉には、実感を持ってうなずける。でも実は、曖昧でいることの方が、うそか本当かきっぱり決めるよりも豊かだとわたしは思っているんだな、だからそうやってあいまいな地点からかきつづけようとおもっているんだな、とわたしはちょっと実感した。でも、きっぱり決めたらそれはそれで、別の世界観が広がりそうで、そういう感じで書き始めてもまた面白いかもしれないと思えました。以上です。
まちさんはうなずいて顔を上げた。にしさんも、ヤマノさんも拍手をしていた。僕も拍手をした。
いいねぇ。またまち先生の新しい小説をよみたいなぁ。とにしさんが言った。にしさんはかなりまちさんのファンというか、ここで哲学対話をし始めて、よく参加しているまちさんが小説家だと知ると、即座にまちさんの小説を読んできて、感想を語ったりしてくれる人なのだ。ヤマノさんも、小説が好きで、まちさんが書いていると知ると、ちょっとうれしそうに参加してくれるようになった。にゅうらいふのカウンターの隅には、わざわざ製本化したまちさんの小説をアタリさんが置いてくれる。まちさんの小説ってでもそういうところありますよねぇ。とヤマノさんもにこやかに感想を言ってくれた。あ、やっぱりわかります? わかります。たとえば主人公の性格が急に変わったりしますよね。あ、はい、そうですね、というか性格ってもうない概念だと思ってるんで。まちさんが、きっぱり言うからヤマノさんとにしさんはあははっと楽しそうに笑った。かけちゃったら仕方ないって感じで、そのときのわたしを書いたら性格っていう決まったルールにしたがってられないんで。なるほどなぁ。さすが小説家だねぇ。にしさんはうれしそうだった。僕も小説家をしているまちさんがとても大好きだから、僕まで褒められているような気になった。
あ、じゃあ、次ヤマノさんお願いします。感想。
はい、わたしは途中からなんでテーマもよくわかってなかったんですけど。まあ、わからなくてもいいっていうルールにしたがって図々しく参加させていただきました。わたしの話なんですけど、わたし子どもの頃、大人はみんなうそをついてるって思ったんです。たとえば、人間はいつか死ななくなるとか。お母さんのお腹から生まれない赤ちゃんが出てくるとか。それがわたし、どうしても信じられなくて、で、おばあちゃんとお母さんで言ってることがちがう訳なんですよ。おばあちゃんは、人間は死ぬものだ、いのちは終わるものだって毎日仏壇の前で、おじいちゃんに手を合わせながら言ってるんですよ。わたしはなんか、そのお線香の香りが好きで、小さい頃はおばあちゃんのその言葉を信じてて。で、大人、はみんなうそをついているってわたしなんか思ってしまっているところがある。今でもそれはちょっと抜けない感覚になってて、ニュースとか見たり、知らない人が会話したりしているのを見かけても、あれはなんかうそだなって。ちょっと思い続けてた。それは抜けない。まさに、ディスコで踊っている感じで、うそだってわかってるけど、まあ、ほんとにしておこうって感じなんですよ。わたしそのニュースもわかるし、世の中ではこういうことになってるのもわかるけど、それうそだよね。ちょっとうそだよね。って。
ヤマノさんの言葉に、まちさんがうれしそうにわらった。
すべての言葉とか、すべての出来事って全部ちょっとずつうそで、うそだ~~って叫べない程度にうそが混じってて、だんだんそれが口づてにうそ度が高まってる感じ。濃縮されてるっていうか。たまたま、その濃縮に当たっちゃった人が、口をついてうそを言ってしまうという感じがします。だから、うそしか言えなくなっちゃった人っていうのはわたしからすれば、世の中のちょっとずつのうその毒がからだから抜けなくなっちゃったかわいそうな人のことで、そういううそは、なんかこうやって話したり、フィクションとか音楽について考えたりして解毒してやらないと駄目なんじゃないかって。だからまちさんの仕事にはすごく意味があるし、こうして哲学対話していることにはすごく癒やしを感じる。わたしもどこかで毒を吐かないと生きていけない感じがするから。わかったような感じで言っちゃうけど、まちさんがよく書かなければいけない気がするっていうの、書きたいきもちっていうのはそんなからだの中と社会の毒の濃さの違いを調整したい生理的な欲望に近いのかなって? どうですかね。問いを残して終わります。
まちさんは拍手をしながら、考えて今度は斜め上を向いて考えていた。下を向きながら考えているまちさんと、上を向きながら考えているまちさんの思考には何か違いがあるだろうか? まちさんはついに問いかけには答えないで、みんながまちさんの答えを待っていたのだが、問いかけありがとうございます。お土産として大事に持っておきます。とヤマノさんにお礼を言った。ヤマノさんも椅子に座ったまま腰を折ってお辞儀をした。じゃあ、次はタチュ。
まちさんに名前を呼ばれて僕は背筋を伸ばして話し始めようとした。だけど、何も準備をしていなかったため、頭の中で考えてから話すことを決める感じになりそうだった。
あの、えーっととても楽しかったです。僕は言った。哲学対話をしているとあっという間に時間が経っている感じがして……。今日は特にその感じがありました。あと、まちさんの言ってることとヤマノさんの言ってることが面白かったです。にしさんのうそと音楽の話も。どうしてこんなことになったんでしたっけ。あ、僕がテーマを決めたからか。そう言って笑ってしまった。ほかのみんなも声を出さずに笑ってくれたような気がする。僕が適当にきめたテーマでも哲学対話になるんだなって思った。このテーマにしたのは、朝に小説を書くまちさんのイメージがあって、小説を書きながらまちさんはコーヒーを飲んで、椅子に座って鼻歌を歌ったりしているんです。それって音楽に似ているなって。まちさんの思考がすこし刺激されたみたいでよかったな、って思います。ありがとうございました。僕は、にしさんの方をみて、話す準備ができているのかを確認した。タチュはほんとに私が好きだなぁとまちさんはあきれたように笑った。にしさんもつられて笑った。いいなぁ。まちさんと付き合ってるなんて。まちさんも僕のことを好きですよ。と僕はいった。そう言うと、カウンターの向こうでアタリさんがヒューヒューといった。まちさんはどこ吹く風で聞き流してグラスの水を飲んだ。あ、ハイじゃあ次はにしさんどうぞ。感想。
はい、僕は、うーん、音楽好きなんでタチュは俺のためにテーマを作ってくれたと思ったんだけどちがったか。にしさんは、頭をかきながら次の言葉をつなげた。俺としては、嘘と音楽と朝は関係のある言葉だったんだなぁ、というのが今日の哲学対話でわかった。裏テーマとして、タチュが思いついたままにいった言葉をどうやってその意味の深いところで結びつけるのかっていうのがあったと思う。で、このメンバーの豊かな発想力でその三つが結びついて結構感動した。ありがとう。楽しかった。後、ほんとにいつも思うんだけど、哲学対話しながらのビールって最高だな。
にしさんは晴れやかな顔で、グラスをもう一度あおった。みんな笑った。お酒に酔ってると頭が回らないと思うんだけど、とまちさんが突っ込んだ。いやいやいや、お酒に酔ってるのは脳のほうでさぁ、別のメモリが、酔いが回った脳をいい感じに暴走させたりコントロールさせたりするのがきもちいいのよぉ、とにしさんがさらに笑いながらビールのジョッキを置いた。もう二杯目なのに半分以上さっきのあおり方で減ったことがわかった。にゅうらいふの中の照明はオレンジ色でとてもきれいに金色の液体を照らしている。僕たちのからだの中の電気は見えないけど、にしさんのからだの中はこの金色のビールでできているのではないか。まちさんも、ときどき気分の差があったりするけど、にしさんの場合はビールが気分を左右するきっかけなのだ。
それに、考えない方が哲学対話的によいと思ってるんだよなぁ。にしさんは、残ったビールを飲んで、唐揚げもつまんだ。だって、自分の頭じゃなくてみんなで考えるのが哲学対話だろう。まあ、個人個人の脳みそがやれることは少ないしね。まちさんも、うなずいてコップの水をからにした。机においてある水が入ったボトルを傾けてコップに注いだ。まちさんは哲学対話をしているときは水しか飲まないけど、終わったら食べたり飲んだりする。まちさんは、にしさんの前に腕を伸ばして机の端のメニューをつかむとみんなの前に広げた。何か食べる? 僕には聞いてない疑問をヤマノさんに聞いた。ヤマノさんは人差し指を顎に当ててメニューを見た。今日はジャガイモのグラタンがおすすめってかいてあるけど。まちさんは人差し指で、黒く印刷されている「ジャガイモのグラタン」という文字にふれた。あ、それ頼もーぜ。にしさんが言った。オーケー、じゃあそれも。あ、私サラダも食べたいですねぇ。とヤマノさんがいった。サラダなら何がおすすめだっけ。あ、このあいだ食べてた今日のサラダでいいんじゃないかな。僕は提案した。アタリさんのほうを見るとカウンターで忙しそうに飲み物を作っている。それか、シーザーサラダでいいか。
僕はこういうときに、人が何を食べているのか観察するのがすきだ。まちさんの唇は素っ気なく、でも感触を味わうように歯で勢いよく葉っぱをかじる。ヤマノさんはゆっくりとものが口の中で柔らかくなるまで丁寧にかむ。まちさんとヤマノさんは似ているけど違う味わい方だ。にしさんはパクリと飲み込む。口で食べているというより、喉とおなかで食べているような気がする。喉でゴクンと唐揚げを飲み込むとき、唐揚げの肉が喉を通って空気を押し出す感じがする。押し出された空気は、一緒に飲み込まれるか、にしさんの鼻から吹き出るかする。ビールの泡がたまに口から逆流してくるが、にしさんは音を立てずにシュッと口から出す。喉が器用なのか。でもゆっくり食べればまちさんやヤマノさんのように喉を楽にして食べられるのに、なぜか頑張って喉を使って唐揚げを飲み込むのだ。まちさんは食感が好きで葉っぱを噛んでいる。ヤマノさんは葉っぱのそのままの味が好きで葉っぱを丁寧に噛んでいる。僕はどちらかといえば、まちさんに近く、味を感じない口で何を噛んでも振動やいろいろな分子が検出されるのを知るだけだ。のどのかわりにスピーカーが口の奥を塞いでものを飲み込めない。おいしいものを食べる幸せも、せっくすのきもちよさを味わうように自分のからだをいじることで味わえるようになるのかな。でも、食物を廃棄するのがめんどくさくて、もったいなくて性の楽しみよりも、贅沢なものとして僕は教わった。僕が食べて何も栄養にせずに捨てる食べ物を、どうしても食べたい人がこの地球のどこかにいることを考えるともったいないよね。まちさんはいっていた。僕は黙ってみんながものを食べるのを見守る。
電気味覚バーでゆりかわが楽しんでいたように、僕たちが何かを取り込み、あるいはその味に取り込まれて夢中になるためには、電気でできた情報が必要なのかもしれない。情報。一かゼロで表せる意味のあるもの。
タチュは、最近何か楽しいことしたかい? にしさんに聞かれて、僕はゆりかわとの話を正直に話した。おそらく僕の頭の中に残っている場面をできる限り詳細に話した。ゆりかわというやつが、三年学校で同級生で、僕たちの同窓会を企画してくれたこと。その帰りに僕は、愛とせっくすのようなことをしたこと。愛は、せっくすがよくわからなくて、よくわからないまま僕と別れた。でも、愛は何かきもちがいいことをお互いにするのがせっくすだとわかった気がする。
ねえ、それ哲学対話のテーマになりそう。ヤマノさんが言った。
せっくすって何?
いいね。にしさんが言った。まちさんも笑っている。どうにでもなればいい、という感じでまちさんは水とサラダの葉の感触を味わっている。そろそろサラダの皿は食べ終わる。アタリさんを呼んで、水のボトルを満タンに取り替えてもらって、サラダを食べきる。唐揚げの皿は結局全部にしさんが食べてしまった。にしさんのビールも変わって、にしさんは別のお酒を注文した。名前は何か忘れてしまった、音声として聞いていたのではなく、にしさんは注文するときに、今日のおすすめカクテルとかいった名前で呼んだからだ。へい、じゃあおすすめね~とアタリさんもおすすめなまま注文をうけていた。緑色で、水面のあたりだけが、クリームのように泡立っている、三角のグラスに入ったカクテルだった気がする。哲学対話、第二回戦が始まるらしいよとアタリさんが声をかけてくれた。バーで飲んでいた人たちの中から一人で飲んでいた、小見さんというめがねをかけた人と、さくらんさんという、ふわふわの頭をした女の子っぽい人が参加してくれた。まちさんが、ルールを説明した。ルールを説明している間、僕たちがやっていることは、カードゲームでもボードゲームでもない、ただの話し方の話をしていることに、初めての二人は驚いていた。そして、テーマがせっくすについてだから、話せることが何かを考えてばかりだったような気がする。僕が初めてした哲学対話のテーマはたしか、「誰かとは何か」というテーマな気がしている。哲学対話の二回戦は六人でやったけど、制限時間はまちさんの好きな短めの四十分で、みんな長く語るより、問いをたくさん出して不思議に思ったことをたくさん共有する感じになった。
せっくすがきもちいいのはなぜ?
人間はもう子供を産もうとしても無理だから、せっくすしても意味がないのでは?
せっくすだって食べることと同じで、生存のためじゃなくて楽しみのための部分が大きいのでは?
きもちいいときに、「きもちいい」と言うのはなぜ?
人間がせっくすして生まれてきた時代と、ニューライフが作れるようになった時代で何が違う?
若い人とせっくすするのと、大人とせっくすするのはどう違う?
今までで最高のせっくすは?
せっくすするのにいい時間帯は?
どうして最高にきもちがいいときを「いく」と言うのか? 誰が考えた言葉か?
いや、いくのがきもちいいんじゃなくて、ずっときもちいいのが続くのがほんとうはせっくすの醍醐味なんじゃないのか?
多分、ポルノの影響で人間が考えたせっくすの味が「いく」ことなんじゃないか?
この、ポルノの問いは僕が考えたことだ。最近僕は味について興味があって、そこから考えると問いがうまく作れるような気がしている。まちさんが、きもちよさを表す言葉をたくさん考えなければいけない。と言っていて、僕はたくさんの言葉があるなら、味のようにおいしい、まずいだけじゃなくて分子のフレーバーのように酸っぱい、辛い、甘いみたいな味が生まれてくるはずだと思った。
そこから考えたにしさんの返しがおもしろくて、せっくすは時間で進んでいくから、一つの料理というよりかは、コース料理で、さらに言うなら音楽に、にている。それを聞いたときのまちさんの顔といったらない。まるで全身に光を浴びたような明るさで、目を見開いた。目が太陽になって、口が三日月のようになった。あは、とまちさんが笑った。じゃあ、せっくすのリズムは祭りや踊りのようなリズムのはずだね。だって一定のリズムではなく、しぼんだり広がったり、早くなったり遅くなったりするんだもの。二人の動きがつながる瞬間を、僕は思い描いた。あのとき、世界の早さは二人だけでゆっくりと動いている。遅くも早くもない。まちさんがきもちよくなりたいように動くから、それに早くも遅くもない。一瞬一瞬がきもちいい。
ねえでも私は、一定のリズムが好きだと思うときもあるよ。ヤマノさんが言った。そのリズムをやめないでほしいときがある。ずっとずっと繰り返してほしいときがある。わかるわ。それって、このままどこまででも進んでいける気がする。らせん階段を上っているみたいな感じがするよ。でも、激しいとずっとつづけるのは無理だな。俺はだんだんわかってきたよ。刺激の強さは関係ない。リズムの相対的な揺れだけが、せっくすにおいて大事なんだ。だからせっくすは音楽だ。

電車で上を向いて眠る人。ただ眠って、目を閉じて喉を見せて、ただ眠る人。電車が駅に止まりアナウンスが鳴るけど、その人は何も反応しないんだ。窓ガラスの向こうの景色が変わる。赤いタイルが張られた駅、緑色のタイルが貼られた駅、コンクリートが打ちっぱなしの駅。ここは、地下鉄が走る東京の街で、僕たちは電車に横並びに座って哲学対話を終えた後のぼんやりモヤモヤした頭で、お互いの手をもみ合っていた。まちさんが、哲学対話をしたら頭がモヤモヤするもんだよ、と教えてくれたから、この感じがおかしいわけじゃないとわかった。そういうきもちを教えてくれなかったら、僕は頭がどこかおかしくてきもちわるいと思うだろう。僕の最初の思い出が、まちさんが素敵な名前をつけたものばかりになるのが、とても幸せだ。せっくすのきもちよさも、モヤモヤする頭も、どういうときに泣いて、どういうときにうれしいと思えばいいのか。恋という言葉を教えてくれたのもまちさんだ。ずっとふれたいと思う、わからなくて初めてのことがたくさんあるこの状態を恋というのだろうか。
タチュ、あなたはまだまだ話すことがたくさんあるよ。はじめてにゅうらいふに来たとき、まちさんが哲学対話に誘ってくれた。僕はルールに従って話した。でも、話せたことはほんのわずかばかりだった。話そうとすると、声が震えた。音声で話すことに慣れていないからだろうか。そうじゃない、僕は自分の言葉で話すことに慣れていなかった。自分の言葉があるかすら、わからなかった。でも今では、心はここにあると思う。だって、まちさんとせっくすができないでさよならをしなければいけない夜も、まちさんとただおはなしをするだけでさよならをしなければいけないときも、メッセージを交換するだけで過ごさなければいけないときも、僕たちはつながっていると感じるから。だから、そのつながりは、からだがなくても、時間がなくても、お金がなくても、ひょっとしたらどれだけ時間が経っても最後に残るものだ。
まだまだ話すことがたくさんあるよ。タチュ。まだ話せないことがたくさんある。話せなかったことがたくさんある。どうしても通じないこと、どうしても言葉にできないことがたくさんある。それを、学んでいく。まちさんが笑ったり泣いたり、喜んだり悲しんだり、苦かったり甘かったり酸っぱかったりするたびに、世界の味わいを学んでいく。そうしたらいつか、僕は自分の言葉で語れるようになるんじゃないか。誰かに書かれたプログラムじゃなくて、誰かに作られたからだじゃなくて、本当に自分の言葉で。
いつもここで待っているよ。アタリさんは言っている。まちさんも、いつもタチュのそばで待っているよ、と言っている。僕が話せるようになるのを、待ってくれている。

ふるさと村

ここにいる人たちのからだは、つなぎ目がなく頭から足の先まで同じ色の肌をした人が多かった。まちさんはシリコンで白い肌を持っているけど、そして僕も白いからだで覆われているけれども、ここにいる人たちの肌は、大抵は茶色か白の間の色をしていた。服は布でできているものを着て、とても軽やかそうだった。
地面は土だった。
僕は歩くたびに土の細やかな粒子の感触が、足の裏から伝ってくるのに落ち着かなかった。ここにいる人たちは、新しいからいいとか、早いからいいなんて考えないんだよ。生産性も、急ぐことにもここでは解放されている。だから、地面だって地面のままでいいんだよ。まちさんが教えてくれた。まちさんのいつもはいているリボンを足に巻き付けたようなサンダルではとても歩きにくそうだった。僕たちは手をつないでゆっくりと進んだ。土の香りがする。テントからはものを売る声や、みんなが話し合う声、みんなが黙々と何か静かな音がする道具を使って、糸を編んだり、料理を作ったりものを削ったりしているのが聞こえる。まちさんは道の両側のテントに目をやって珍しそうな食材や雑貨を気にしていた。まちさんの髪飾りのひもはここで買ったものだそうだ。あと化粧品も、あとブラジャーも。
リリコさんがいるテントのなかは、色とりどりの布でできた服がつり下がっていて、香りがまた変わった。さっきは土の成分ばかりが空気中を舞っていたけど、今は何かものが燃えた成分が空気中を舞っていて、全体にまんべんなく漂っている。こんにちは、とまちさんは店員さんに声をかけた。こんにちは、と返事をしてくれた。リリコさん。まちさんが僕に教えてくれた。初めまして、タチュです。ニューライフです。まあ、そうなの。リリコさんは驚いていた。まるで髪の毛から人間にそっくりだわ。リリコさんの肌には、まちさんの顔にはないようなシミやしわがあって、ここの村に集まっている人独特な感じがした。リリコさんの赤くて、必要最低限の布を使って編まれたドレスも、やはり街では見ないような服だった。
まちさんは洋服を買いたいなぁと言って、僕をふるさと村に誘ってくれた。そこには、肉体を保っている人もたくさんいるし、素材そのままの食料がある。タチュも行ってみたら面白いんじゃないかな、とまちさんが教えてくれた。僕は、まちさんが行きたいところならどこにでも行くよ、と言った。じゃあタチュも一緒に来て。まちさんに言われて僕はいくことにした。
まちさんは新しいブラジャーを買いたいみたいだった。綿でできていて柔らかいものがほしい。という欲望があるみたいだった。どうしてブラジャーがほしいのと聞いたけど、理由は特にないけど。というのがまちさんの答えだった。買うなら、前に服を買った店がいいとまちさんが、頭の中の記憶をたどって話してくれた。リリコさんっていうんだけど、とても優しいの。私もからだを捨ててしまったけれど、リリコさんはそんな私に合う服を教えてくれるの。元々、リリコさんの民族服屋さんは、どんな体型にも合う服だから、あとから作られたからだとか、生まれながらに作られたからだとか関係なく、着られるの。それで胸を包んでみたいわ。まちさんがセクシーなブラジャーを着てくれるならうれしいかもしれないが、まちさんはずっと僕のためではなく自分のためにブラジャーを買うと話している気がした。女性にとってブラジャーがどんな役割を果たしているのか、まちさんに聞いてみたけど、うーん、胸を隠すとか支えてきれいな形に見せるとかっていみかなぁ、まちさんはぼんやりしていた。ベッドに横になって語らっていたからこういうときに話した内容をまちさんは覚えていない。でもとにかく、まちさんはブラジャーを買いたい欲望だけを覚えていて、朝起きたら小説にブラジャーがたくさん出てくるの、と僕に話してくれた。コーヒーの香りとブラジャー、まちさんのゆるゆるとした胸を見て、僕は朝を迎えた。それにしてもリリコさんは、まちさんと話しすぎていると思う。街のお店だったらまちさんは好きに欲しいものを選んで、おしまいだ。なのに、リリコさんはまちさんに話しかけて、何を買い物すればいいのか教えてくれている。アドバイスのように、胸に合うものは実際に試着して選んでみてください~といったり、いいおからだですねぇと世間話のように話しかけてくるときもある。店のブラジャーは、まちさんがいつも羽織っているものよりかはもっと簡単で、繊維を編んでいるようなものに思えた。機械で作るのが難しいから人が手作りするしかなくて、この値段になっているのだろうと思った。
タチュ、これ試着しようと思うんだけど、見てくれる? まちさんは緑と赤が組み合わさった糸で編まれたブラジャーを胸の前に掲げていた。まちさんが今着ている服の色とは全く違う鮮やかな色で、僕は驚いた。まちさんはリリコさんに、声をかけながらお店の隅にある試着室に僕の腕を引っ張って連れて行った。まちさんは、僕に言葉で説明しても仕方がないときは、こうやって手を引っ張って連れて行ってくれる。面白いものを見つけたときも、僕の手を、引っ張って注意を向けてくれる。手はそうやって思いを伝えるための働きがあるのかもしれない。もし手がなかったら、まちさんはからだに合うかどうか確かめたりする、試着室の複雑な意味を僕に伝えなければいけなかっただろう。僕は、ヴァギナを買ったときの、まちさんのからだに取り付けるための手術室だとおもった。でも、カーテンの向こうには、人がひとり入るのが十分なぐらいの小さな空間が広がっているだけだった。あまりにも狭かったから、大きな鏡のむこうにもう一つ世界が広がっているのかもしれないと思ったのだ。でもまちさんは靴を脱いで絨毯の上に足をのせると、そのまま羽織をかけて、さらに上着を脱いで上半身をあらわにした。まちさんのシリコン製の肌がつやつやとしていて、丸い胸の先にはつい最近買った乳首がついている。タチュ、手伝ってくれない。まちさんに呼ばれて、僕も靴を脱いで絨毯の上に乗った。鏡の正面に僕たちが並んで立っているのが見えた。僕たちは、お互いにそれぞれを見るけれど、こうやって正面から二人並んでいる様子を二人で見るのは久しぶりだった。まちさんはこうしてすぐに裸になるのに、どうしてあらためて服を買うのだろうと思った。とくに外から見えないブラジャーを買いたいと思ったのだろう。まちさんからは、一度わからないという返答があったので、僕は自分で考えてみることにした。まちさんのことだから、小説を書くときの気分に服を着ているのかどうかが関わっていて、小説を書けるようなるために、ブラジャーを買いに行っているのかもしれないと考えた。それを確認するためには、まちさんが小説を書き始めるまで待たないといけないけど。でも、まちさんの口から出る言葉はいつも小説めいているから、ブラジャーをつけてみたときのまちさんの様子を確かめてみたら、どうなるのかわかるかもしれない。
まちさんは胸にブラジャーのカップを当てて、腕をひもに通した。カップの脇からひもも出ていて、まちさんは腕を後ろに回して、ひもを僕のほうに差し出した。僕は両手でひもを持った。それを結ぶの。はい。僕はそれを手元で結んだ。手を離すとぷらーんと、まちさんの背中にぶら下がった。ちがうってぇタチュ。まちさんは笑いながら、僕の腕を優しくたたいた。もっとこれを固定するの。まちさんは手でカップをゆさゆさと揺らしてちゃんと固定されていないことを示してくれた。僕はこのひもをまちさんの背中にぴったり結びつける仕事をすればいいのかと、納得した。もう一度まちさんの背中にひもをしっかり結びつけた。うん、きつすぎない。と、まちさんが言うぐらいの力で固定した。うん、大丈夫だけど、ちょっとひもが余ってるなぁ。前で結ぶのかな。まちさんは鏡の前でからだをくるくるとひねりながらブラジャーを確認した。鏡の中のまちさんもかわいかった。まちさんはいったんほどいて、ひもを回して、ブラジャーのカップの下で結ぶことにした。そうしたら、ちょうどいい感じに前から見たときにかわいいチョウチョ結びができた。僕たちはこれで完成だろうと思った。うん、かわいいと僕は言った。ありがとう。これ、着けて帰ることはできないのかしら、まちさんは言った。僕が、リリコさんに聞いてきてあげる。と試着室から出て、リリコさんに声をかけた。ブラジャーをまちさんは着けて帰りたいみたい。そうしたら、いいですよ~とリリコさんが答えてくれた。ブラジャー一つの値段をおしえてくれたので、また試着室に戻ってまちさんに値段を伝えた。まちさんはわかりました~と、試着室のそとのリリコさんにも聞こえる声で返事をした。まちさんは急いで上着を羽織ると、腰の小さなバッグからお金を取り出して手に持った。まちさんと一緒に試着室から出て行って、リリコさんにお金を渡した。紙のお金とコインのお金だった。おからだに合いましたか? と、リリコさんが聞くと、ええ、と、まちさんが上着の胸を少しはだけてブラジャーを見せた。バッチリです! とリリコさんは秘密の会話をするような小さいかすれた声で返事をし、親指を立てた。ありがとうございました。まちさんが言って外に向かうとリリコさんも僕たちを送るためにテントの入り口まで一緒に歩いてきてくれた。店の外までリリコさんは一緒にいて、今日はいい天気ですねぇと、今日の空に感想を言った。ふるさと村の空は、広い。ビルがないと空はこんなに人を包んでいるように見えるのかと僕は驚いた。日に照らされて土の温度があたたかいことを足の裏に感じた。粒子が細かくてざらざらしていないことを除けば、まちさんの肌の温度と似ていなくもない。温かくて柔らかい。コンクリートとは違う感触がする。
次は果物市を見た。木の箱の中に、色鮮やかな物体が並んでいる。黄色くて丸いものがミカン、赤くて丸いものがリンゴ、ピンク色で紙に包まれているのがモモ。大きくて緑のしましまが、スイカ。網の目をまとった球体がメロン。リンゴに似ている緑っぽいざらざらしたものが、ナシ。粒状のものがブドウ。この粒の一つをブドウと言うのか、それとも粒が集まっているものをブドウと言うのか忘れてしまって、まちさんに聞いたら、粒の集まりも、粒もブドウと言うと教えてもらった。オレンジ色のカキ。とげとげした南国グループの、ドラゴンフルーツや、スターフルーツは個性的だからすぐに覚えられた。パパイヤとか、ヤシとか。でも奥の方にいくと、ミカンに似た形のものでも、ブンタンとか、ナツミカンとか大きさと香りが違うものがたくさん置いてあって、分類しようと覚えていたのがややこしくなった。どうしてミカンばっかりこんなに種類が多いのか気になったが、季節に限らずここでは取りそろえているからだと教えてくれた。まちさんは、季節の果物はどれですか、と質問したが、今は多分スイカとかがおいしいですよ、と店の人が答えてくれた。店の人の腕は太くて、果物を指さすたびに腕の筋肉が動くのが外側から観察できた。でも、どれも季節のものと同じぐらいおいしいので食べたいものをどうぞ。とその人は言った。まちさんは、小さい皮を食べるミカンのキンカンを買った。そして二つそれを買うと、おつりを入れた袋に転がすように入れた。タチュ、あなたは何が好き? と聞かれて答えたのがキンカンだったからだ。皮を食べるところと、小さくてまちさんが持ちやすいだろうと思ったからだ。もしドリアンとかを買おうとするとあのとげとげしたものをずっと持ち運ぶ目に遭うだろうから。
リリコさん以外にも服屋さんを営んでいる人はいっぱいいて、それぞれ縫い目の粗いものから、細かいもの、香りがするもの色がついているもの、絵が描いてあるもの、文字が書いてあるもの、いろいろな形の店があった。まちさんは、自分が今着ているものが一番気に入っているのか、新しいものを買わなかった。ハンガーにつるされている、白い服をかわいい、といいながら手に持つけど、それが何で編まれているのか、それが自分のからだに合うかどうかを考えた結果、元に戻した。その店は、帽子とかズボンとかも売っていて、それを着ないで自分のからだの前に重ね合わせて、鏡で確認してから、うん、いいなぁこれも、といいながらも元の場所に戻している。まちさんはこのやりとり自体がひょっとしたら楽しいのかもしれないと思った。タチュも何か服を買ったらどう? と聞かれたが、僕はまちさんが持っているようなお金を持っていないと答えた。ちょっと比率は損するけど、入り口でトレードできるわよ、とまちさんが教えてくれた。でも、いろいろな店を見た限り、僕が欲しいものは一つもない。まちさんにそれを言うと、それはそうかもね、と、まちさんも納得したようだった。
僕たちは歩いた。風が向こうから強く吹いて、街の中とは違う感じがした。人がいそいそと僕たちが来た方角へと歩いていくのを見た。自転車に乗って、かごに食料をたくさん持っているのも見た。太陽はもう半分以上傾いている。道は狭くなってきて、ブロック状の建物がたくさん並んでいる。その中からそれぞれ何かを焼いたような香りが香ってきた。声も聞こえる。さっき、いただきます、と聞いて、また別の家からもいただきます、と聞こえた。みんなご飯を食べているのかな、と僕はまちさんに言った。きっとそうよ。哲学対話をしながら食べるのかな。いや、それはしないと思うよ。私の家族では哲学対話なんてしなかったもの。
まちさんは、まっすぐ道の向こうを見つめながら歩いていた。私の家族は、ご飯を食べながら、哲学対話じゃなくてもきっと楽しいおはなしをしているんだわ。どうして、まちさんがそんな風に、実際にあったのか、なかったのか、過去なのか未来なのかよくわからない言葉遣いで話すのか。僕は聞き逃したまま、うなずいてまちさんと一緒に歩いて行った。ほとんど服を着ないで、自転車で通り過ぎていく人を見かけた。肌がオレンジ色に近い色をしていて、真っ黒なめがねをかけている。太陽に照らされてそういう色をしているのかと思ったが、光の向きから見て元々そういう色の肌の人だとわかった。
そのまま歩き続けると、何もない空間があって、何もないと思って僕は歩いていたが、よく見ると地平線の手前にゆらゆらと揺れているたくさんのものがあって、光輝いていた。その向こうは何も見えなくて、ぼんやりと青かった。壁のように見えるけど、どこまでも遠くにあるように見える。どこまでも遠くにある壁かもしれない。足下の土の感じが変わって、粒子が細かく、沈み込むようになった。海だよ、タチュ。まちさんが言った。キラキラに包まれて、頭だけ出している人がいる。白い地面にシートを引いて横になったり、ものを食べたりしている人がいる。目の前から、音の塊がやってきて、それがキラキラが一体となってこっちに向かってくる動きが生み出したものだと気がつく。波があるんだね。僕は言った。そう、海は波打つよ。まちさんは言った。私、タチュと海に行ってみたかった。まちさんは歩き続けて、波のほうにいく。キラキラした小さな波が、集まって、まちさんを迎える。波が集まって、まちさんの足を捕まえる。まちさんの長い裾が水に濡れて色が変わる。タチュ! まちさんが叫んだ。僕はまちさんの手を取った。僕の足も濡れている。もっと足が沈み込んで、目に光が散乱してまぶしい。遠くを見ても、青いくすんだ壁ばかりで何を見ればいいのか。まちさんは僕の手をつかんで、私、もっと海に入りたい。と波の音に負けない声で叫んだ。いいよ。僕は言った。服を脱ぐね。まちさんは羽織を脱いだ。上着を脱いだ。赤と緑の繊維のブラジャーが残っていた。下にはいている柔らかなズボンも脱いだ。もっと短いズボンのようなものが残った。まちさんの白い肌が見えた。つなぎ目はない。でも、ブラジャーの下には、一つ残っているろっ骨のくぼみと出っ張りが見えた。そこにはなめらかなグラデーションで、生きた色からシリコンの白でつながっている。まちさんは脱いだ服をひとまとめにして、波が砂を濡らさないぐらいまで引き返して、それを地面に置いた。せっくすをするときみたいに、まちさんが服を脱いだから僕も服を脱ごうと思った。まちさんに合わせて、上着とズボンだけを脱いで、まちさんの服の隣に置いた。もっと入ろう! まちさんと一緒に手をつないで、海の中に進んでいった。
僕はいつもまちさんの、表面を見て他の人とまちさんと見分けられるかを気にしていた。今日のまちさんの元気はどうか、今日のまちさんの着ている服は、どうか、まちさんの表情や、からだにふれて確かめたかった。でも、波に打たれて、赤いブラジャーを付けているまちさんは、疑いようもなくまちさんな気がした。初めて見る姿なのに。まちさんのからだにしぶきがかかる。まちさんが見えにくくなる。僕は、反対にまちさんの服がなくなって、髪の毛が抜け落ちて、白い肌が剥がれて、骨がなくなって、肉もろっ骨もなくなってしまったら、まちさんとわかるのだろうか、と思った。今までの僕はまちさんの外側だけを見ていた。でも、まちさんの中身は、よくわからない。まちさんが、何もかもを失ってまちさんだけになっても、僕はまちさんを見つけられるのだろうか。僕は、まちさんの手を離さないようにした。自信がなかったから、手を離さないようにした。
タチュ、私海に行きたかったんだわ。
まちさんが叫んだ。
まちさんは腕を開いて波を受け止めた。赤いブラジャーが波を受け止めた。だからブラジャーを買ったの? 僕は叫んだ。きっとそう! まちさんは叫んだ。とってもかわいい。僕は叫んだ。ありがとうタチュ。まちさんは腕を開いたままの姿勢で僕に胸を近づけて、ぎゅっとしてくれた。まちさんのあたたかさは、水の中でも感じられた。僕は、水泳の授業のことを思い出した。あの水は、はじめからあたたかくて、僕たちの境界は曖昧にとけていた。でも、この海の水は、僕のからだの腐食を防ぐ成分は入っていないし、ただただ冷たくて激しい波だった。違う種類の水だ。まちさんのからだはあたたかくてきもちいい。でも波の力で簡単に揺られて、海の向こうに連れ去られてしまいそうだ。いかないで、まちさん、と僕は言った。まちさんがどこかに行ってしまったら僕は見つけられないかもしれない。もし、ぎゅっとして離してしまったらまちさんとずっと離れてしまうかもしれない。タチュはまだ不安なの。不安って何。私は一緒にいる。たちゅといっしょにいるよ。一緒にいるって何。私があなたを見つめたら、あなたも私を見つめているってこと。それって、そう、私の中にもう分けられないものとしてタチュがいる。私の言葉の中に、私の世界の見方の中に。タチュもそうでしょ。うん。だからきっと私たちは一緒にいる、と私は思うよ。うん。まちさんは、ぎゅっと言って僕をぎゅっとしてくれた。僕は、疲れてごちゃ混ぜになった心を波にかき混ぜられたような気がした。もどろう。まちさんは、僕の手を引っ張って砂浜に引き戻してくれた。まちさんの手やからだは、大きくないけど、それは確かに海のような優しさだった。

タチュ。あなたは迷うことがあるの。僕はいつも戸惑っているけど。僕は、二段ベッドの上で、まちさんと窓から星空を見ていた。車の形をした家のようなもので、キッチンやベッドが中にある。でも、大きな面積はないから、ベッドは二段だ。まちさんは上に寝るよりも下の方が安定していると希望を言ったけど、眠くなるまでは僕の隣で星を見ていたいと話して、そばにいてくれる。小さな窓から、小さな空が見える。まちさんは迷うの。うん。まちさんはそう答えた。どんなとき。僕の質問はずいぶん抽象的だけど、まちさんはそれでも答えようとしてくれる。小説を書いているとき。迷うのに、小説を書くの。うん。どうして。どうしてってそうしなきゃいけないから。そうしないと生きていけない。その答えだけは、まちさんは少しも迷わずに答えたのだった。なんかね、今まで書いていたのに突然書きたくなくなっちゃうときがあるの。なんか、書くのがめんどくさいなって。そうなんだ。今は、大丈夫? うーん、ちょっとめんどくさいかな。どうして。うーん、タチュの面倒をたくさん見なきゃいけないから。まちさんは、僕の方に首を向けた。僕もまちさんの方を見た。まちさんは、にやりとわらっている。そんなぁ。僕はまちさんにたくさん小説を書いてほしいよ。うふふ。もしかしたらタチュとのことを小説に書いちゃうかもね。まちさんは、僕が困っている姿を見ると、満足したのか腕を柔らかく僕の方に伸ばしてきた。僕は首を軽く持ち上げた。まちさんはするりと手を僕の首のしたに通した。近づけるようになって、僕はぴったりとまちさんにくっついた。まちさんは、もう一つの手を僕の背中に回して、ぎゅっと抱きしめてくれた。僕の口は自然にまちさんの口にふれてしまいそうになった。でも、勝手にキスをすると、まちさんは僕を叱るのだ。だから僕も少し我慢する。その代わり、まちさんの首元に唇をつけて、もごもごと話す。これもキスをするようなものかもしれないけど。
あたたかい。まちさんは僕の言葉を包み込むように問い返す。あたたかいの? うん。僕はうなずく。こんなにあたたかいの、今までなかったから。そうなの。新しくしってしまったのね。うん。いいの、タチュ。ずっとしらずにすんだかもしれないのに。うん。いいの。だってうれしいから。うれしいの。うん。うれしいの。
うれしいって、不思議ね。タチュはうれしいことたくさんあるのね。うん。たくさんある。まちさんの手はいつの間にか僕の服の中に入り込んで、胸や背中、脇をするするとなでている。僕は、さっきまでの話を忘れて、その手の感触にすべてを任せたい気分になった。僕のからだはふれられるたびに、ふれられる時間を増やそうと、まちさんの手にそって、くねくねとゆるく曲がっている。まちさんが言うには、いいかんじに動いてしまうらしい。僕もまちさんの胸にふれようと、上着から手を入れたけど、ブラジャーの生地にふれて直接胸をさわれなかった。ブラジャーの周りで軌道を変えて、胸の周りをふれることにした。急いで胸をさわってもあまり意味がないかな、と思った。ねえ、でもタチュが迷うってどういうこと。頭の中の考えが止まったり、ずっと繰り返したりするの。
うーん。僕は、いったん胸の下あたりで手を止めて、考え始めてしまった。まちさんは、その間もゆっくり呼吸をしてろっ骨を動かしている。
いつもだったらすぐに服を脱いで、お互いのからだを好きなだけなであうのに、今日はなぜかゆっくり、まちさんと話しを続ける感じだった。
僕はまた、手を動かして、まちさんのろっ骨をゆっくりとなでた。なんだか、空回りしているようなきもちなんだよ。僕は、例えばまちさんに会いたくても会えなかった締め切りの夜のことを思い出してみた。まちさんは小説を書かなくてはいけなくて、とても一生懸命書いていたから、今日は会えないと一日の始まりにいきなり言われてしまった。そのときは、僕は仕事も休んで、一日中街をぶらぶらすることしかできなかった。街で、無駄にお金を使ったり、意味もなく服を買ったりしてしまった。その服を着ていくと、まちさんはかわいいと褒めてくれたのだった。

僕、まっすぐな線が引けないんだ。まちさんに言うと、まちさんは僕の腕を軽く握って、窓に掲げた。窓のそばは星の光なのか月の光なのか、優しくぼんやり僕の手を照らして、トレーラーの中の闇より少し明るかった。わたしもまっすぐな線はかけない。タチュもなの。
そうだよ。僕は答えた。僕のからだと僕の頭は違うから、頭の中ではどれだけでも、どこまででもまっすぐな線が引けるけど、その通り指を動かそうとしてもどうしてもずれちゃうんだ。工業用の機械だったら失格だけど、僕たちはアバウトにできてるんだね。ご飯を食べたり、まちさんと楽しく一緒に過ごしたりという思いだったら僕はある程度できるんだ。でも、まっすぐな線を引くということだけはどうしても、この指ではできないんだ。
まちさんは、光にかざした僕の手を、まちさんの指でなぞった。まちさんは僕の中指の先から、関節のくぼみを辿りながら手のひらを、そして親指の付け根の膨らみから、手首、そしてなだらかに膨らむ腕をなぞっていった。これはまっすぐな線じゃない。僕のからだの外部はどうしても、まっすぐではいられない。僕のからだの中の回路や、プログラムはまっすぐな線でできているのに、からだとしてここに置こうとすると、どうしてもまっすぐでは居られなくなってしまった。まっすぐの線にぶつかると痛いし、手を切ったりするかもしれない。まちさんが怪我してしまったら嫌だから、仕方がない。そうだね。こうやってくっつけるのも柔らかいからだのおかげだよね。
文章ならまっすぐな線が引けるよ。多分。まちさんが言った。地平線がどこまでもまっすぐに続いていた。って書けばそれがまっすぐなんだよ。ねえ、心はまっすぐなの。まっすぐな線でできているの。ううん。心はまっすぐじゃないよ。私はひねくれもので意地悪だから。まっすぐな人もいる? まっすぐな人も、いるねえ。でも彼は、まっすぐに心を鍛えたり曲げたりしている。まっすぐすぎて、ちょっと不自然なんだ。じゃあ、自然……自然てなに。
まちさんの目を見ると、わずかに光が宿っていて、ツヤツヤとしていることがわかる。ちょっと前に流行ったアートではね。たくさんのオブジェクトが並んだ表現をしていた。でも、それを私たちは「アート」という一つの塊として捉えられるんだ。なぜか知らんけどね。たくさんの丸が泡のようにたくさんたくさん描かれているんだ。普通にその丸を数えていたら、私たちの頭はパンクしてしまうだろうね。でもその丸の集合体を見ていると、いや、集合体として捉えられることが、自然っていうことなんだが、一つの塊として丸が捉えられる集合性、それが自然ってことだろうねぇ。ただ丸をいっぱい描いただけじゃダメで、その丸が一緒になって蠢いたり、組み合わさって一つの形になってたら自然てことだろうねぇ。まっすぐさっていうのは、丸がいっぱい組み合わさって自然な形になるのを待たずに、まっすぐっていうルールに早く押し付けようとしているんだ。だから、きっと私はつまらないんだろうね。
でも、震えるの。僕が線を書こうとすると。紙の上に書いてみようとすると、紙の繊維で震えるの。壁に書こうとすると、壁の傾きでふるえるの。まちさんの上でも、震える。それって仕方ないものなの?
タチュは、震えるのが怖いんだねぇ。いいんだよ、ちょっとづつでも。一日にちょっとずつでも。それに、どんな場所だって、どんな時間帯だっていい。習慣にしなくてもいい。思いついたらでいい。どこでだって、書き始められるんだよ。前になにが書いてあったかなんて関係がないんだから。書くことで関係が始まるんだから。丸を一つ、書くだけでもいいんだよ。明日には違った形に見えてくるから。
私、何か書こうとしてたの。でもわすれちゃった……。
わすれちゃったの。
うん。でもこういうこと、よくある。
そうなんだ。
まちさんはしゃべっている間中、ずっと優しくなでてくれていた僕の手を、ベッドに降ろした。まちさんはそれから、息を吐いて、吐き切るまでなにも言わなくて、吐いたあともなにも言わずにまた、息を吸った。
息をしているって、どこまでなのか。僕にはわからない。息を吸って次の息を続けることなのか。それとも、一つ一つの息が、息をすることなのか。それも、まちさんがさっき言ってた丸の話なのか。まちさんがなんとなく息をするその積み重ねが、積み重なっているのか、息は時間の中に、積み重なっているのだろうか。その積み重ねが、まちさんの息になって、僕の前に現れて、まちさんが息をしているように見える。見えているだけじゃなくて、まちさんが息をしている。
おもいだしたいな。あのとき確かに、これを書きたいって思ったの。だから、書きたいことは明確にある。でも、いまこうやって話しているだけで思い出せる気にはならない。パソコンを開いて、文字を並べていればいつかは文字が思い出してくれるかもしれない。
書きたいことだけで、文章はできているんじゃないの。
そうだね。書きたいから書こうとしたのかもしれないね。でも、その場で生まれた文章は、なんか書きたいってきもちが表れる前から、書かれちゃっているの。溢れるというか、流れるというか。だから書いてみないとわからないものがあるよ。
そうなんだ。
僕は、まちさんがこう答えている間に、書きたいことをいっぱい逃してしまっていないか、心配になった。まちさん書かなくていいの。いいの、今日はタチュとゆっくりおはなししてる。書かなくていいの。そうなんだ。そう。せっかくの旅行だからね。
まちさんは、横向きになって、僕の方を見てくれた。僕はまちさんが横向きになるよりも前に、まちさんの方に横向きになって、まちさんの肩にくっついていた。ぎゅっとして。と僕は言ったら、まちさんは首の下に腕を通して、ぎゅっとしてくれた。こうするのがすきなの。まちさんは言った。うん、好き。僕は答えた。
あ、思い出したかも。
何。
うーん。思い出したかも、って言ったら思い出したような気になっただけ。
うふふ。うふふ。僕とまちさんは面白くなって笑ってしまった。これは、もう忘れてしまったかも。まちさんは、諦めて僕のことをもっとぎゅっとしてくれた。僕も、思い出すのは手伝いようがないから、諦めてぎゅっとされることにした。
まちさんは懐かしいというけれど、僕には懐かしいという感情も、帰りたいという場所も、帰るべき場所もない。どこから来たものでもないから、どこに帰るものでもない。でも、ニューライフが造られる場所はあるはずだよ。と、まちさんが言う。きっとあるね。僕は想像するけど、その頃には何の記憶も持たず、きもちも動かず、まちさんのことも、三年学校のみんなも、にゅうらいふに集まるみんなのことも知らなかった。僕は、深い深い眠りの中にいて、それが何のことだか全く知らなかったのだと思う。それって、わたしたちと似てるよ。まちさんは言う。私たちも生まれる前、お母さんのお腹の中では、何も覚えていないんだよ。でも、何も覚えていないところから、きっと、文章は生まれてくると思うの。だから、私は書きたいと思わずに書くことがきっとできている。タチュも、こうしてここにいる。そうじゃない? わからない。僕は言った。これはわからないなぁ。わかるって何。難しいね。私たちはいつも、何かをわかるために時間を使っている気がする。わかったところで、何が変わるのか知らないけど。筋肉がつくわけでもないしね。でも、なんだかわからずにはいられないよ。生きているとどうしてもわかってきてしまうから。野菜の切り方とか、美味しいご飯の味とか、タチュのからだにふれたときのきもちとか。わからないまま、これ以上わからなくていいとやめるときもある。タチュはいつも通り元気なんだ、とか、わたしたちずっとこうしていたいな、とか。それでいいのかな、それでもいいのかな、なんてちょっと思うよ。
波の音が聞こえてくるんだよ、タチュ。こうやって耳に手を当てると。波の音が、ざあ~って。まちさんが耳に手を丸めてくっつけた。僕も真似してみた。何も音がしないという音がした。こんな音がするのは、僕の頭が勝手にハウリングを消して、耳から入る音が鳴る音、それ自体を耳が聞くのをやめてしまうからだろう。耳は音を直接頭に送っているんじゃなくて、耳から入った空気の振動はぜんぶ鼓膜という壁で電気信号に変えてしまっている。人のからだはそうなっている。だから、直接に音を聞くことなんて誰にもできない。人のからだが聴いている音だって、電気のはずなのに、まちさんは波の音を聞く。それって不思議だな。子供の頃に、先生が読んでくれた本に、書いてあったの。耳に手を当てると、空気が流れる音がするって。それが波の音に似ているって。でも私、思うの。空気の流れる音はきっと、一人一人の耳の形によって違うって。私、耳をすませすぎると耳鳴りがするの。こうすると。まちさんは、もう一度僕の方を向いて、耳に当てた手がよく見えるようにした。僕もまちさんの方を向いて、それをみた。これは、耳が何かを聞こうとして、聞こうとしたあまり、本当はない音を勝手に鳴らし始めた音。書くことだってそれに似ている。文章を書こうとする力が、むしろ文章を生み出している。耳鳴りのようにずっと鳴っている。私は、起こったことを書いていたり、そのままを書き写しているわけじゃないと思うの。
私がわすれちゃったのは、いつかの耳鳴り。いつか聴いた、聞こうとした思い出。そこには、何か音が鳴ったわけじゃない。だから私以外きっと誰も思い出せない。でも思い出すためには、きっと聞こうとし続けなければいけないんじゃないかしら。タチュが、何かを話したくて、話したくて哲学対話に行くみたいに。それって、あったことを思い出すんじゃないわ。なかったことを思い出すの。
なかったことを思い出す、なんてできるんだろうか。
できるわ。きっと。この世界は言葉で溢れているから。
そうしたら、僕には何もないことばかりだよ。僕は嬉しくなって、まちさんにすぐにでも教えてあげたくなった。僕には、何もない。僕の心は真っ白で、でもいつにだって、真っ白にできるよ。
いいわね、それ。真っ白で、何よりも綺麗だわ。
まちさんは、また僕をぎゅっとしてくれた。
次の日、ここで起こったことを全て忘れたような、真っ白な顔でまちさんは二段ベッドの下で眠っていた。僕は下に降りていくまちさんにおやすみと言って、まちさんもおやすみと言って、昨日は眠っていたのだった。手でふれたらすぐそばにいるぐらい近くにいたから、元気でね、とか、また明日ね、とか、また今度ねとか言わずに、おやすみとだけ言った。それがちょっと寂しくて、でもその寂しさがちょっとだけなことが少し嬉しくて、僕は眠りについたのだった。まちさんより早く目が覚めてしまった僕は、ベッドの下段で眠っているまちさんをそっとみた。まちさんの隣で眠ってもいいか少し考えた。考えて、まちさんが起きてきたら、一緒におはようと言おうと決めて、また梯子を登って二段ベッドの上に乗った。そして、背中にケーブルを刺した。このキャンピングカーのベッドは、まさに昔のベッドで柔らかい布団が敷いてあるだけだった。昔、人間は目を閉じるだけでそこで休めたらしいけれど、僕たちは改めてケーブルを差して電気を充電しなければいけない。まちさんのケーブルは白くて、白い首元から臍の緒のように伸びていた。お母さんの中の赤ちゃんだったら、臍の緒が首に巻きついていたら死んでしまうかもしれないけれど、まちさんは平気のようだった。しばらくぼうっとして、僕は、昨日話した窓の外を眺めていた。まちさんの優しい声が僕の耳に残っていた。
僕とまちさんは、それでも声を出して話す。まちさんは人の声が好きだ。小説を書いているときも、人の声で聞こえてくるらしい。まちさんの喉を震えは、小説の言葉の震えにそのまま生きている。僕はまちさんの小説を読むと、まちさんがその場で読み聞かせてくれているようなきもちになる。まちさんの小説を、まちさんの目の前で読むのはちょっと恥ずかしいけれど、そして本屋でインストールするのも恥ずかしいのだけれども、まちさんがそばにいなくてもまちさんがそばにいてくれるのを感じる一つの方法として、ずっと忘れないで覚えておこうと思う。
窓の外は白くてオレンジの光が雲に宿って、空を走っていた。僕はそのオレンジ色はまるで、まちさんの書く小説の世界だなぁと思った。昔、少しだけまちさんが今書いている小説を教えてくれたことがあった。オレンジの空が広がっている。僕はその世界に立っていて、朝、始まったばかりの一日の空を眺めていたっけ。小説に「僕はその空に下に立っていた」と書かれていたら、僕はその通り、その空の下に立っている。まちさんの小説には、まちさんが好きな朝がたくさん出てくる。僕はまちさんに、毎日でもおはようと言いたい。別々に過ごして迎える朝も、せっくすをして起きた朝も、仕事をしなければいけない朝も、哲学対話をして徹夜した朝も、何をしたか忘れてしまった、ただの朝も。その全てに、おはようと言いたくて、それがずっとずっと続いてくれたらいいのに、と思う。だから、まちさんに朝、会えることがすごく嬉しい。タチュは、朝からご機嫌だねぇ。まちさんと、朝、布団の中でおはようと言ったとき、まちさんはそう笑っていた。私は寝起きの機嫌が悪いんだよ。そう言うまちさんも、僕につられて笑っていた。僕は、朝から機嫌が悪いまちさんをみたことがないけれど、それはたまたまなのかな。それとも、僕がご機嫌だから、まちさんもご機嫌に笑ってくれるのかな。だとしたら、今日も、まちさんにおはよう、と言ってみよう。
そう思って、身を起こそうとしたら、まちさんは、梯子から顔を出して、「タチュ、おはよ~」と挨拶をしてくれていた。タチュ、起きてたの。私が起きたときには、タチュ、眠っていたよ。そうなの。うん。すごく幸せそうな顔をして眠ってたよ。そうなの。うん。とってもきもちよさそうだった。そうだったんだね。
ねえ、こっちに来て。そう言うと、まちさんは梯子を登り切って、僕の布団に入ってきた。僕も布団を捲りあげてまちさんを入れてあげた。まちさんはほとんど服を着ていなくて、胸の柔らかさも足の艶やかな肌も、すぐ手を動かせばふれられそうだった。おはよう。おはよう。まちさん、おはよう。おはよう、タチュ。おはよう、うふふ。タチュ、今日もご機嫌だね。うん。まちさんと会えて嬉しいから。そうなの。ありがとう。
まちさんは、僕の首の下に腕を回して、僕はそれを首の下に受け入れて、まちさんはもう片方の腕を背中に回して、僕をぎゅっとしてくれた。僕は、まちさんに包まれて、柔らかさを感じながら、もう一度、おはよう。と言った。

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