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書くことは教えられない

 次の日のフリータイムにも、ぼくはジュンコさんをドトールで見つけた。
「ジュンコさんは毎日書いているの?」
 また隣が開いているので、座って聞いてみた。
 ジュンコさんは、目をパチパチさせて、横の髪を耳にかけたり、コーヒーカップを口にはこんだりしながら、ポメラの上を動く指のスピードをゆるめた。ジュンコさんの指はつるんとした楕円形で、大人の女性にしては珍しく何も指に塗っていなかった。
 同じクラスのヒナちゃんは、夏休み前、ぼくにマニキュアを塗った爪を自慢してきて「大人になったらもっとおしゃれなの塗りたいんだ~」と言っていた。ぼくは、マニキュアを塗っていない大人もいるよ、と教えてあげたくなった。
「ん? 毎日? う、うん。毎日だよ少年。」
 ジュンコさんの反応が鈍くてちょっと寂しくなったが、答えてくれてうれしかった。ジュンコさんはなぜ、ぼくのことを少年と呼ぶのか。大体何歳ぐらいから少年になるのか。
「毎日が気になるかね?」
「うん。どうしてそんなに毎日書いているんだろう? 忙しいの?」
「そういうわけではない。毎日水やりしているみたいなものさ。」
「なるほど……。アサガオの観察日記書かなきゃ。」
「そうだな、アサガオの日記みたいなもの。」
「それを大人になってもやってるの?」
「うん。楽しいからね。」
「そっか。」
 ぼくは毎日書かなければいけない観察日記は負担にしか感じなかったが、それをジュンコさんは楽しみに感じている。楽しい気持ちもわかる気がする。だって、アサガオが日々育っていく様子を絵に描いたり、言葉でうれしさを表現するのは、とても生き生きと自分の力を出せる気がするからだ。
 けれども、毎日マリオカートの練習を弟としていると忘れてしまう。オンライン対戦をいっぱいやって気がついたら夜になっている。そんな風に、夏休みが始まって以来ずっと続いていたから、お盆休みにジュンコさんが家にやってきたのは、とても面白かった。
「少年、ともかく小説を書いてみないか?」
「どうやったら書けるの?」
「それはともかく書いてみないと。」
「どうして?」
「小説を書くことは自分でやってみるほかには、教えられないからな。」
「え?」
 ぼくはまたジュンコさんと話していて不思議な感じに突き当たった。
「教えられないってどういうこと?」
 国語の勉強とか、作文の練習を想像して、少しワクワクしていたぼくはがっかりしたのだ。そして、教えられないと聞いて突然、気持ちが沈みはじめている。けれども、目の前のジュンコさんはドトールの茶色いソファに座って丸い机の上にポメラを載せて書き続けている。
「君の体験がすべてと言うことだよ。少年。」
 ジュンコさんは、にこりと綺麗な形で笑って歯を見せた。「君の走り方があるように、君の泳ぎ方があるように、文章の書き方も、君が体で覚えるんだ。一度覚えたら、想像の世界はどこまでも行ける。そして、大人になってもずっと鍛え続けられる。だからわたしは書いているんだよ。」 それはとても楽しいことなのだ、とジュンコさんの笑い方を見てすぐにわかった。そして、ジュンコさんはそうした楽しみのために毎日ドトールで書いているのだな、と少しわかった気がした。
「ぼくの書き方って、紙に書いてもいいの?」
「うん。パソコンは必要ない。好きな紙とペンを持ってたらそれでいいよ。」
「わかりました。書いてみます。」
「えらいえらい」
 ジュンコさんに褒められて、ぼくは家に帰った。そして、好きな紙とペンを自分の部屋からさがし出すことにした。

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