「働く」という概念の外に出たい



数ヶ月前の日記をぱらぱらと見返していたら目に留まった一文。

「働く」という概念の外に出たい


パッと見て何言ってるんだコイツ、と思ってしまったけど、この歳になって数ヶ月で考え方が変わるはずもなく、少し考えると成る程、合点がいってしまった。合点どころか表現が違うだけで毎日考えていることだった。


「働く」という概念は、私の個人的な解釈だと「義務」とか「使命感」みたいな「やらなければ」感が強い。

別に働くことが嫌いなわけではない。

やらされている、やらなければと思っているせいで疲れるのが嫌いなのだ。

疲れと引き換えにお金を貰っているように錯覚してしまう。実際そうなのかもしれない。私がしている仕事は正直言ってお金にはならない。前時代的に思える組織で煩わしい手続きのために働いている気がする。

でも、疲れなくても業務をこなせばお給料は貰えるし、極端に言えば業務をこなさなくても時間が過ぎるのを待てば1日が終わり、1週間が終わり、1ヶ月が終わり、給料日が来る。そうしている間に他の人が助けてくれる。でも職場に出て、他人と無意味なやりとりをして、おしゃべりをして、1日を浪費してもそれなりに疲れるし、それを働いたと勘違いしているだけなんじゃないか…

こんなことを考え始めると止まらないし、それこそ疲れる。

私は疲れたくないし嫌な思いもしたくない。

だったら、自分が楽しいと思えることに時間を使って、それでついでにお金が貰えたら最高なのではないか?

と思ってしまった。

この考えに大学2、3年くらいで至りたかった。

今考えると明らかに就活失敗である。このご時世、転職する勇気もない。ご時世のせいにしてるけど結局今のぬるま湯に甘えているだけ。


だから、自分が楽しめることで、お金貰えたらラッキー程度の気持ちで、副業やりたい。本職のぬるま湯に浸かりつつ。

それって私の考えでは「働く」の枠から出てるんですよ。

それで勝手に持ってしまった「働く」へのマイナスイメージを払拭したい。


社会の「義務」「使命感」でなく、自分の「楽しい」「やりたい」を軸にする。

それが私が思う「働く」という概念の外 です。



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