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"先輩"がいない世界

わたしは元々先輩といういきものがすきだと思う。

が、留学に来てからというもの、(英語で生活しているからか?)他人の年齢をほぼ全く気にしない。
まわりに"先輩"がいない状態である。

というわけで先輩ロスなので、なぜ自分が先輩がすきなのかについて考えてみる。

答えは簡単、甘えられるからである。
集団の中にいるとき、窮屈さを感じる。
なぜか。無意識に"しっかり"してしまうからだ。
動かない周りを見て自分が動いてしまう、そして疲れてしまう。

先輩の前では気を抜ける、たぶん。(もはや先輩といる感覚を忘れはじめている(笑))
相談もできる。
先輩には甘えられても、同い年や年下にはうまく甘えられない。

…なぜだ。1つや2つの年齢しか変わらないのに、わたしの中で明確な区別がある。
なんだこの差は。
"先輩"というだけで、半ば自動的にその人へのリスペクトがうまれる気すらする。
うーーん……論詰まり。


視点を変えて書く。
なぜ留学に来たとたん"先輩"が姿を消したのか。
1. 英語に敬語があまり存在しない。
2. 留学生は学年問わず授業をうけるのでみんなの年齢、学年など把握できない。

この2つくらいがパッと思いつく理由であるが、
1が大きいのではないかと考えている。
留学生の中にも年上と分かっている人は当然いて、でもその人たちに対して日本で感じていたような"先輩"へのリスペクトというか、自動的な憧れはあまり感じない。

敬語を使わないというのは、案外結構な違いがある。
誰に会っても同じワードで話すというのは、日本人にとってはなかなかないことではなかろうか。
(韓国人の友だちはこの差をより大きく感じているようだった。)

ちょっとこの辺りの考察が足りないのだけれど、とにかくいまのわたしの世界には"先輩"がいない。
言語の違いでわたしが見ている世界ががらっと変わっているのだとしたら、おもしろいな
まあ良く聞くような話ではあるのだけど、自分がいざ体験するとまた違った感覚である。

ていうか、まわりに誰がいるかに左右されずに、いつも居たい自分でいられたら良いのにな。


#留学 #英語 #すき #言語 #集団 #窮屈




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