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多様性

みなさんもご存知の「多様性」
特にこのnoteのような界隈では扱われることがよくあったのではないでしょうか
ここ最近ではちょっとずつ話題になる機会も減ったような気がします

今回は私が思う多様性についてダラダラ書いていこうと思います。

私は「多様性」と「多様性という言葉」でなんとなく意味を分けています。

「多様性」…幅広く性質の異なる群が存在すること。性質に類似性のある群が形成される点が特徴で、単純に「いろいろある」こととは異なる。

Weblio辞典

「多様性」とは。
『多様性ということについて考えよう』と言われても、
はあ?
と思ってしまう。
そこには怒りみたいな、呆れみたいな呼気を纏っている。呼気に色をつけるならダークグレー。交通機関の運転手が勤務前後で行うアルコールチェックみたいに呼気を検査するものであれば、それはストレスチェックという名前の検査項目になるだろう。私の
はあ?
には怒り、呆れに加えて苛立ち、ストレスも表れている。

「最近はさ、いろんな人がいて、いろんな生き方があるもんね。それを理解しあう世の中になったよね」
大衆居酒屋の端っこ。掘り炬燵の掘りの部分でパンプスとストッキングと足の裏とが密着して生まれた悪臭のミルフィーユの層を開放している。少しでも早く層の隙間を開けたいので、足先を下から上に下から上に、足の指と指の間を開いて閉じて開いて閉じてを繰り返す。「キタキタ!レモン酎ハイ、はーい。生ビール、はーい。あ、お通し美味しそう!とりあえずカンパーイ!」1杯めのグラスを7割くらい飲んだところで、私の頭のなかの(ひと昔前でいう)OLたちが言う。
「昔の人はさ、LGBT?とか?ゲイとか?嫌悪感出す人多いけどさ、私たちの世代になれば、別に特別変なことじゃないよね〜」
「でもさ、そんなこと言ってたら、痴漢してくる人とかってどうなるの。そういう人も多様性っていって認めなくちゃいけないってこと?それはなくない?」
大衆居酒屋の隅でタコのアヒージョにバケットをつけて食べる。レモン酎ハイにも、生ビールにも合う。

空気中は約2割が酸素、約8割が窒素の組成でほぼ一定である。
私は「多様性」を「空気」みたいなものだと思っている。
生理学上、私たちは酸素を取り込み呼吸(酸素と二酸化炭素の循環)をすることで生命維持ができている。
確かに酸素は有難いし、ないと生きていけない。
「じゃあ窒素は?いらないんじゃない?100%酸素で良いよね〜」私の頭のなかのOLが幼い忍びのようにいう。もうやり切るしかない、と。

100%酸素の中で生きたことがあるのだろうか。
どうして窒素はいらないと思うのだろうか。
空気の存在を否定する必要があるのだろうか。
私たちは「空気」を認めないと生きていけないのだろうか。
私は「多様性」を「空気」みたいなものだと思っている。


「多様性という言葉」
「多様性」とは似て非なるなと思う。
メディアで『多様性とは』を挙げられるとき、私にとっては「多様性という言葉」に近しいものが挙げられていると思う。

私たちはよく、ギャップがあるものに魅了されやすい。どこから人に殴られてもびくともしない体つきの人が幼女とお人形遊びをしている姿に癒されたり、少女漫画で最初は嫌なやつだと思っていた相手の優しさに触れ次第に恋心を抱いたり。
自分が思っている想像(Image)と実態(Real)にずれが生じる時、それに惹かれることがよくある。しかし、それは惹かれるというだけではなく、なぜか心に印象深く残ったり、モヤモヤするという表現で記憶に残ることもある。

私は「多様性という言葉」にどうしようもないわだかまりを抱えていた。

多様性、多様性、多様性を大事に、多様性の社会、多様性を認め合おう、、、
そんな言葉になんとなく、どことなく違和感を感じる。
こんな始めたてのアカウントの記事投稿を読んでくださっている方もタイトルやハッシュタグの「多様性」という言葉に惹かれたのではないだろうか。

「そりゃあさ、痴漢は罪だと思うよ。でもさ、人に言いにくい自分の趣味とか、性癖みたいなものを理解するっていうのが多様性なんじゃないのかな。私もさ、小学校の頃からずっとゲームとかアニメが好きだったけど、ちょっと前はそういうのオタクって言われて、引かれたりするからリアルの友達には言えなくてさ。ネットの友達と毎週放送されるアニメを語り合うみたいなのが本当に楽しくて楽しくて…。今ではそういうこともオープンに話せるようになったからよかった」私の頭のなかのOLの化粧が少し落ちてきている。「わかる〜。私も今SPY FAMILY超ハマってる!」何杯したか分からないおかわりレモン酎ハイがもはやただの酎ハイになっている。

多様性という言葉の裏側で四方八方に広がる筋。
多様性という言葉を用いることで繋がる筋、この「繋がり」が「多様性という言葉」の意味なのではないだろうか。
人には言えたり、言えなかったりする自分の思考、嗜好、誰かにわかってほしい、誰かと共有したい、私だけじゃないよね、私と同じような人がいる。
人と人との「繋がり」が自分の人生をより豊かにしてくれる。なんとなく、私たちは本能的にそれを知っていて、「繋がり」を求めては部活に入ったり、サークルに入ったり、転職したり、結婚したり、noteを始めてみたりする。

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