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068:空間と平面の折衷であるがゆえにそこには「厚み」が見出される

前回のnoteを書いてすぐにウェブページに「空間」という語を使うのは不適当なのではないかと思い始めた.ウェブページに「空間」が生まれると書いてしまうと「サイバースペース」のように拡がりが意識されてしまう.エキソニモも「空間性」と書いていて「空間」とは書いていない.マウスとカーソルとの組み合わせにせよ,タッチパネルにしろヒトと接触する平面が重要で,その接触平面をサーフェイスとして,そこにそれほど拡がりをもたない「厚み」があると考えてみたい.この「厚み」は,ウェブページ自体の「厚み」でもあると同時にウェブページを表示するデバイス📱🖥の「厚み」である.本来は厚みを持たないとされているところに,「厚み」を見出していく.物理空間とディスプレイ平面とが重なり合ってできるのは「折衷空間」ではなく「折衷平面」と言った方いいし,空間と平面の折衷であるがゆえにそこには「厚み」が見出される.

連載「サーフェイスから透かし見る👓👀🤳」では,普段は厚みを持たないとされるサーフェイスに見出される「厚み」を「バルク」と呼んでいる.バルクはサーフェイスを含む全体ではあるが,サーフェイスから独立したものではない.サーフェイスは「硬い」けれど,バルクはサーフェイスとのあいだの「空白」を含んでグニャグニャとした「柔らかい」練り物になって,サーフェイスからはみ出してきて,「厚み」を示すようになってきている.膨大なデータが練りこまれた画像や映像を考えるには,画像や映像を極薄のサーフェイスとしてではなく,バルクという厚み=全体とともにあるサーフェイスとして考える必要があるのではないか.バルクとともにある画像や映像はタッチパネルにおいて指で練られながら,気づけばサーフェイスからはみ出してきている.

エキソニモの《No ID》シリーズを撮影したときの一枚だが,本来は黒いサーフェイスとなっているところが,白熱電球💡の光を反射してぼんやりと白くなって,ウェブページの「空間性」を押し拡げているように見える.空間を持たないされているウェブページが物理空間と重なり合わされて,ディスプレイ,画像,写真と言ったサーフェイスから物理空間の方へはみ出てきて,そこに「厚み」をつくりだしている.けれど,その「厚み」は空間というほどには拡がっていかない.空間未満で平面以上の「厚み」がぼんやりと柔らかなかたちで物理空間の光を自らに練りこみながらサーフェイスからはみ出してきている🍥



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