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📖「正欲/朝井リョウ」

『正欲 (新潮文庫 あ 78-3)』の感想

「私たちは正欲の外に出ることができず、誰かを傷つけることから逃れることができない。」
あとがきの一節だ。
私が誰か(自分)を受け入れ肯定する限り、誰か(自分)を否定し続けることを思い知る。
絶望であり希望。二律背反、表裏一体。

傷付けないように生きることなどできないと気付いてし、せめて常に誰かを傷付けていると自覚して生きていこう。

#ブクログ


性欲やフェティシズムの話とは少し逸れてしまうけど、無自覚に人を傷付けてしまったかもしれないと感じた出来事を懺悔する。

30代に突入し酒席で「恋愛は上手くいっているのか」「結婚の予定は?」「子どもは?」そんな質問をまるで挨拶かのように浴びることが増えた。
私はプライベートを明け透けに話すタイプの人間なので(あ〜、これも人を傷付ける行為として描かれていたな)、その日も「私は30代前半で子どもを産みたい。リスクを考慮して逆算して考えているのに、パートナーはあまり真剣に捉えていない!」「YouTubeで出生前診断のドキュメンタリーを見たりしてしまう」などと声高らかに主張していた。

結婚や妊娠といった話題はセンシティブな話題なのに、答えてあげている。
人によってはセクハラと感じるであろう質問に、答えてあげている。
相手は加害者になりうる、私は被害者になりうる立場なのだと言う、謎の傲りがあったのだと思う。
いや、何も考えていなかったのかもしれない。聞かれたことに正直に答えただけ。

とにかく日常のよくある一コマだった。
だけどその後の何気ない会話の中で、その席に居合わせた方のお子さんに障害があることを知った。奥さんとは歳の差があるらしい。
本当に何気なく、他意もなく、繰り広げられた会話だった。

(あ、私、まずいことを言ったかもしれない)
(でも、謝る方が失礼かな)
(そもそも聞かれたことに答えただけだし)
(精子が死ぬからサウナに行かないで欲しい、とか言わなくてよかった)
(聞いてくる方が悪い)
(不快だったかな、嫌われたかな、、)

ーーあの日から、ずっと胸の片隅に小さいな後悔が影を落としている。

関係性に変わりは無いし、相手は全く気にしていないかもしれない、なんならもう忘れているかもしれない。

それでも自分の悪意無い一言で、他者を傷付けてしまったかもしれないという可能性。
私の主張が、誰かへの攻撃になりうる可能性。

恐ろし可能性に気付いてしまった、と思った。今までも、無自覚にどれだけの人を傷付けてきたのだろう。さも善人顔で。さも正論かのように。

怖い。人と話すのが怖い。

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