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岡嶋二人『あした天気にしておくれ』と、井上夢人『おかしな二人』について【過去日記蔵出し】

(はじめに)これは、十年以上前に某SNSに書いていた日記を加筆再構成の上、転載したものである。当時読み返していた岡嶋二人作品、とりわけ『あした天気にしておくれ』と、岡嶋二人解散後に井上夢人さんが発表された『おかしな二人 岡嶋二人盛衰記』について感想などをまとめたものだ。
なお、元々は3回に分かれていた日記を統合しているので、やや整合性がおかしいところがあるがご容赦いただきたい。また、引用等の太字は私が意図的に強調した部分なので、原文は太字ではない。

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岡嶋二人『あした天気にしておくれ』(講談社文庫)現在は品切れ
(HonyaClubにリンクしても品切れなので、Amazonキンドルにリンクしている)

岡嶋二人の『あした天気にしておくれ』は、『焦茶色のパステル』で乱歩賞を受賞する前年に乱歩賞に応募した作品だが、最終候補まで残りながらも、落選した。
マイナス要因になったのは、「トリックが実行不可能だったこと」と「トリックに先例があったこと」だったのは、有名だ。
岡嶋二人は本書文庫あとがきで、これに反論している。トリックは本書執筆当時まだ実現可能だったことが解説されている。
そして、先例(夏樹静子の短編)について、その存在は執筆時知らなかったことを明かしながらも、
「私の基本的な考え方は、その小説に「どんなトリックが使われているか」ではなくて、「どんな使われ方をしているのか」だからです。」
と書いている。

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かなりの覚悟で、思い切って言うなら、私の目標は、二度目を読んでもやはり面白いものを書くということです。
推理小説を書く側にとっての、これが最も大きなルールのひとつではないかと、私は思っています。
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さて、岡嶋二人回顧録である『おかしな二人』(井上夢人)では、本書執筆時の話も克明に書かれている。最初の案では「殺人」があったこと、なにかが物足りないと思ったところに「犯人側から描く」というアイデアを思いついたこと。周囲にも絶賛されて応募し、最終候補にも残ったが、落選してショックだったこと、講談社の編集者から「来年は受賞する」と言われ、逆にプレッシャーになったことなど。

そして選評を読んだ時の感想もある。

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 その年の受賞作は、長井彬氏の『原子炉の蟹』だった。その選評を、僕は繰り返し繰り返し読んだ。泣きたくなるほど、嬉しい言葉が連ねられていた。選評は、僕たちへの激励で埋められていたのである。それは、今井さん(担当編集者)の言葉から想像していたものよりも、はるかに暖かかった。五人の選考委員全員が、異口同音に「次作に期待する」という言葉を添えていた。
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編集者から翌年の乱歩賞への応募を勧められ、書いたのが『焦茶色のパステル』である。そして見事受賞するが、実はその時点から、岡嶋二人の崩壊が始まっていた、という話は、いろいろと考えさせられる。

岡嶋二人『焦茶色のパステル』(講談社文庫) 現在は品切れ(リンクはキンドル)

他にいくつかをメモ代わりに引用してみる。
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「江戸川乱歩賞というのは、これまでたくさんの作家を輩出してきましたが、素晴らしいのは、物故者を除いて受賞されたすべての方たちが現在でも第一線で活躍されているということですね。他の賞の場合、芥川賞にせよ、直木賞にせよ、脱落者というか、消えて行く作家がかならずあります。つまり乱歩賞は十割の賞だということですよ。あなたがたにも、大いに期待しています」
 ほとんど、脅迫されているとしか思えなかった。この立派な賞を汚すことなど絶対に許さないからね、と言われるのと、どこが違うのだろう。
(「貴賓室とゴム長靴」より)

(乱歩賞受賞式の日、)あまりにも騒々しく、あまりにも気忙しいその一日の中で、鮮明に残っている記憶がただ一つある。それは、何軒かのバーを連れ回された途中のハイヤーの中で、今井さんが僕たちに告げた言葉だった。彼は、ほんの少し酒の回った舌で『焦茶色のパステル』について、こう言ったのだ。
「本当はね、こういう小説が売れなきゃいけないんですよ。こういう小説こそ売れなきゃいけないんです」
 僕と徳山は、今井さんの言葉の意味がよくわからず、顔を見合わせた。
 しかし、その言葉は、それからずっと岡嶋二人について回ることになった。「売れなきゃいけない」という言葉は、裏返せば「売れない」ということだった。
(「不吉な予言」より)

 僕たちとほぼ同時期にデビューし、のちにかけがえのない友人となった島田荘司氏は、はじめて中華料理屋で対面したとき、僕たちにこう言った。
「あ、表通りを歩いてこられた岡嶋さんは、どうぞ上座にお座り下さい」
 当時、報われることの少ない苦労ばかり重ねなければならなかった作家の、精一杯の厭味だった。その後、島田さんは日本ミステリー界の先導役を果たすまでの存在になるが、少なくとも、そのころの彼は苦労ばかりを押しつけられるような仕事をさせられていたのだ。
(「二日前」より)
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この当時のミステリ界全体の不遇振りも伝わってくるようだ。


世の中に小説作法本はたくさんあるが、ことミステリに関しては、絶対に読むべき本が二冊ある。
土屋隆夫の『推理小説作法』と、井上夢人の『おかしな二人』である。
『おかしな二人』は、岡嶋二人の暴露本的な意味合いもあって、そっちの方がクローズアップされがちだが、同時に、優れた「ミステリの書き方本」である。
アイデアがどのように生まれ、どう膨らませ、どうプロットを作り、どう書いたか、というプロセスを、ここまで丁寧に解説した本を、私は他に知らない。多くの岡嶋二人作品のネタバラシになっているが、こういう経緯を経て、あの作品が書かれたのか、という裏事情も分かる。プロ作家志望の人は必読。

さて、その井上夢人『おかしな二人』について。
井上夢人『おかしな二人 岡嶋二人盛衰記』(講談社文庫) リンクはキンドル

岡嶋二人の作品をほぼリアルタイムで読んできたファンとして、本書の、特に後半は辛いものがある。次々に傑作・話題作を発表していた裏で、こんなに冷め切った関係があったことは、今から思い返しても、驚嘆しかない。

岡嶋二人の小説は、基本的に徳山諄一が設定やトリックなどのアイデアを考え、二人でディスカッションしながら纏めた上で、井上泉(現・井上夢人)が文章にする、という形式だった。競馬・野球・ボクシングといった初期作品の舞台は、徳山の趣味がかなり反映されている。
しかし徐々に徳山からのアイデアが来なくなり、井上は痺れを切らしていくことになる。ついには自分から新しいアイデアを出して文章化していった。

最も極端な例は、これだ。

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僕は、渡されたレポートの数行のメモに目を通した。
『郵便局への住所変更届のトリック。
 郵便局の遅配。遅配がひんぱんに起こる。届いた郵便物を、誰かが開封した痕跡。怪しんで調べる。あくどいポルノ雑誌の通信販売に、自分の住所が使われていたことを知る。』
 メモから、顔を上げた。
「なに、これ?」
「こんなもんだよ」と、徳山は笑いながら言った。「短篇は、こんなもんだよ」
「……ちょっと待ってくれよ。これで、僕、書くの?」
「あとはイズミのアドリブ。書けるよ」
「…………」
 今になって思うのだが、この時、僕は椅子を蹴っ飛ばし「じゃあ、徳さんが書けよ」と言うべきだったのかも知れない。
(中略)
 結局、僕は一日だけ考え、二日間で『遅れてきた年賀状』という60枚の原稿を書いた。
 数日後、徳山はウキウキした声で僕に電話を掛けてきた。
「小説宝石から連絡があったんだよ。『遅れてきた年賀状』を絶賛してた。今月号の短篇の中で一番の出来だって。またよろしくお願いしますとさ」
 どこか、釈然としないものが残った。
(「遅れてきた年賀状」より)
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そして、井上自身がアイデアを考えて膨らまし、実質上井上一人で書いた『そして扉は閉ざされた』、二人がお互いのアイデアをカードのように出し合い、ちゃんとした合作ができた『99%の誘拐』を経て、これも井上主導の小説『クラインの壺』で二人はコンビを解消する。電話で話すうちに、突然井上から、コンビ解消を伝えたのだ。

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〈岡嶋二人〉という名前を二人でデッチ上げてから13年後――その最後を、顔も合せず、電話だけで終わらせた。とてもさみしくてしかたなかった。
 居間へ上がると、洋子(奥さん)は食器を洗っていた。振り向いた彼女と目が合った。
「岡嶋二人をやめるよ」
 言うと、彼女は、ふっと笑いを顔に出した。
「よく続いたね」
 言いながら、妻は塗れた手を拭き、床のネコを抱き上げた。
(「消滅」より)
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コンビ解消後、二人は「週刊新潮」に約束していた連載をどちらが書くかを、編集者の目の前で、つかんだマッチ棒の本数が偶数か奇数かの「賭け」で決めた。井上が書くことになった。それこそが、井上夢人のソロ第一作にして、大傑作SF恋愛ミステリ『ダレカガナカニイル……』になる作品だった。連載中のタイトルが「ふたりは一人」だったのも、意味深である。

井上夢人『ダレカガナカニイル……』(講談社文庫) リンクはキンドル

(この稿・了)

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