見出し画像

私の成人の日



私の成人式を誰よりも待ち望んでいたのは他ならない祖母だ。

私の振袖は祖母が仕立てたものである。
といっても祖母が私の為に作ったものではなく、母のお下がりなのだ。祖母は懇意にしている坊さんの袈裟を縫う手伝いをするほど和裁が得意だった為、私の母の成人の際は反物から選んで振袖を拵えた。

「反物だけで庭に池が作れるくらいの金額を使った」

と絶妙に分かりにくい例えで高価な振袖である事をアピールする祖母。そんな会心の出来の振袖が、母が嫁に行ってからは日の目を浴びずに箪笥の肥やしになっている事を日々嘆いており、孫娘が成長するにつれ「そろそろか…」と密かにアップを始めていた。ところが私のひとつ上の姉が「振袖なんて着るガラじゃないから」と成人式出席を断った事で激しく落胆。更に私への期待が高まっていたところだった。

誰よりもうるさい癖に自分よりうるさい人のいる場所と人混みが大の苦手の私は、成人式へ出席するつもりは毛頭なかった。しかし高校のクラスメイトと成人式の後振袖姿を先生たちに見せに行こうという話になり、それなら成人式終わりのみんなと合流すればいいかと祖母孝行を兼ねて振袖を着る準備をしてもらう事になった。

祖母はニコニコしながら力作の振袖を広げ「ここの柄を合わせるのが大変でねぇ」「ここの縫い合わせが我ながら素晴らしい出来でねぇ」と私に説明した。この振袖はただの振袖ではなく祖母にとっては作品なのだ。作者として作品を人に見てもらう事は、やはり何物にも変え難い幸福なのである。

「ばあちゃんは振袖の着付けとヘアセットはできんから美容院で予約せにゃよ」と言われ、へいへいと適当な返事をしたまま気がつけば数週間が過ぎ、そろそろヤバいぞと焦った私はようやく重い腰を上げて美容院に電話をかけた。

「すみません、成人式の日に振袖の着付けとヘアセットの予約をしたいんですけど」

「はい、来年度のご予約ですか?」

ハ?と一瞬思考が停止したが、私が電話をかけたのは成人式の1ヶ月前。当日は市内の新成人がこぞって式に間に合うよう早朝から支度に入る為、みんな半年から1年以上前には美容院を予約する。こんな直近でかけてくるとぼけたヤツなど居ないのだ。

「いえ、今年の成人の日です」

私がそう答えると、美容院の人は申し訳なさそうに

「申し訳ありませんが今年の予約はいっぱいなんですよ」

と言った。そりゃそうだ。

「12時でも駄目ですか?」

「12時ですか?!成人式始まってますよ?!」

何故この女は成人式に行かないのに振袖を着るんだ?と言いたげな美容師さんの気持ちをお察ししながら

「成人式行かないので大丈夫です」

と伝えると、その時間なら大丈夫ですとすんなり予約がとれた。しかし時間外とはいえこんな直近に予約を取るものではない。いつも腫れ上がる直前まで尻を叩かれなければ動かないのは、数ある私の悪い癖の中の一つである。美容師さんから着付けに必要なものの詳細を聞き、祖母に伝えた。

「タオルは一応4枚いれとこうかね」

そう言って祖母は補正用に新品のタオルを準備してくれた。補正とは胸の膨らみや腰のくびれなどによる体の凹凸を、タオルや綿を巻いて寸胴にする為の作業である。着付けにはタオルを始め帯を締める際に使うバンドや帯紐など、こまごまとした備品が必要なので漏れがないように何回も確認した。

当日。振袖と帯と小物一式を風呂敷に包み、泥棒のようなスタイルでオシャレな美容院に足を踏み入れた。

「いらっしゃいませ〜、本日はおめでとうございます」

今にもヘロヘロと腰が砕けそうな美容師さんたちが最後の力を振り絞って出迎えてくれた。みんな笑顔だが目の下にうつるクマと疲労は隠せない。
成人式は美容院の1番忙しい日といっていい。ようやく終わったとみんなで両手をあげて喜びたいところにノコノコと登場してしまい、申し訳なさで胸が痛む。

席に座るなりすぐにヘアセットが始まった。
好みのスタイルを聞かれたが「絶対に盛らないでください」とだけ伝え、あとはお任せした。地域柄、気を抜くとグリグリのモリモリにされてしまうかもしれないという恐怖がつきまとう。
なんとなくそれっぽい髪型にしてもらい、「仕上げにラメのスプレーかけときますか?」の申し出も全力で断っていよいよ着付けの時が来た。

別室で振袖や小物を広げ準備していた若い女性のスタッフさんが「こんなに見事な振袖は今までで初めてです」と祖母の力作を褒めてくれた。全員に言ってる事であろうが素直に嬉しいものである。祖母の手作りである事を伝えると「気合が入ります!」と言いながら腕まくりをしていた。挙動の一つひとつがジブリ作品のヒロインみたいな方である。

男性諸君はご存知ないかもしれないが、着物の着付けで何より大事なのは土台作りと言っていい。ここが疎かになると一気に気崩れしてしまう為、メリハリのついたセクシーなボディは着付けの際に相当な苦労をされるのだ。
そこで私の登場である。胴長短足だがその割に長い首と撫で肩を持つ、着物を着る為だけに生まれてきたかのようなスーパーキューピーちゃんボディの私の肉体を見て着付け担当が唸る。

「…エムコさんは補正が必要ないですね!」


その言葉を聞いた私は、祖母の準備してくれたタオルを差し出そうとした手を引っ込め、そのままぎゅっと、ぎゅっと握りしめた。


素晴らしいスピードで体に着物が巻かれていく。祖母の振袖に袖を通した喜びを噛み締めているといよいよ帯を巻かれる段階にさしかかった。

「ここが1番大変なんです、一緒に頑張りましょう!」

たっぷりと施された刺繍の糸でずっしり重い帯を腰にグリグリと巻き、勢いよく締め上げる。そのファーストインパクトに思わずグゥ!と声が漏れた。

「エムコさん、生きてますか?!」

スタッフさんが独特の言葉選びで私の安否を確認する。

私は深く息を吸い込み「はい!」と返事をした。

「まだまだ行きますよぉ〜、生きてますかー!」

「グェッ!」

これが後に語られるセカンドインパクトである。
グググッと更に強く締め上げられ、腰回りにこれ以上ないテンションがかかる。

「あ゛い!いぎでばず!」

「オッケーです!」

虫の息だったが返事が出来るというだけでオッケー認定をいただき、あれよあれよという間に帯は美しくひだを作っていく。幾重にも重なる帯はまるで蝶の羽のように軽やかに私の背中にとまった。

「お疲れ様でした!」

私よりあなたの方が疲れただろうに。こちらこそとお礼を言って小物を身につける。最初は苦しく感じていた帯の締め付けも着付けが進むにつれて呼吸が苦しくない絶妙な圧へと変わり、いいところに収まった。

着付けを終え、私の振袖姿を見た祖母は感激していた。その顔を見る為に着たといっても過言ではない。目に涙を浮かべ「よう似合っとるねぇ」と微笑む祖母な顔を私は忘れることができないだろう。
くるくる回り、ヘアセットと着付けの出来を披露しているうちに友達との約束の時間が近づいてきた。

「おばあちゃんごめん!私もう行かなきゃ。これ持って帰っててくれる?」

私がタオルの入った風呂敷を渡すと、中身を確認した祖母は驚きながら言った。

「…エムコちゃん、タオル使わなかったの?」

「そうなんよ、いらんかったらしい」

「1枚も?」

「…うん」

「そう……………………それはいい事やね」


1人タクシーに乗り込んだ私は、祖母が振り絞るように言った「いい事やね」の意味を考えながら、車の揺れに身を預けた。

いただいたお気持ちはたのしそうなことに遣わせていただきます