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その日にしか、その本を読めないとしたら何を選んでどこまで読むか #13

1年以上更新してなかったら、もう終わったも同然ですね。
更新していない間も色々な本や文芸雑誌の文章に励まされたり、事実を突きつけられて衝撃を受けたり、自分の心を揺さぶられ続けていました。

話し言葉で自分の感情が揺さぶられるような場合、今までの経験を暴かれるような言葉が多く、慰めや優しさを感じ取れないことが多いです。
恐らく、幼少期のトラウマや両親との関係が歪んでいるため、話し言葉から事実を抜き出して、理解することができない気がしています。

一方で、書き言葉は時間をかけて読みながら、自分の考えと照らし合せて、どのような表情や感情で表現されているのかを解いているため、慰めや優しさを感じ取れるようになっている実感があります。

時には心が深く沈むくらい哀しい表現や冷淡な書き言葉の表現に出会うと、何も考えずに発した言葉なんだろうなと簡易的な解釈をするようにしています。自分が傷つかないように物語の人物の生い立ちや当時の環境を一切考えず、上手く背を向けることで、向き合う必要のない人間だと割り切っているのかもしれないです。

たまに、負の感情を抱いてしまう登場人物の背景を妄想して、哀しい人なのだなと自分の脳内に埋め込むような作業をして、本を読みながら悶えることもあります。話し言葉の場合、ずっとこの作業をしているため、精神的に辛くなったり、不条理な世の中を嘆いてみたりして、つくづく人って嫌だなと思ってしまう訳です。

ちなみに365日の中で心の中が澄み切って快晴が広がるようなことは4日くらいしかないため、ほとんどの時間、話し言葉で悶えています。

悶えている時間が苦しいので、自分を慰めるために読書をしているのかなと最近気がつきました。

話し言葉で救われるような場合もあるのかもしれないですが、自分の受け取り方では到底、救われるようなことがないため、自分の生い立ちに目を向けてみたり、過去のトラウマと向き合ってみたりするため、長年避けていた精神分析の本を手にとってみました。

文/リチャード・アッピグナネッセイさん
イラスト/オスカー・サーラティさん
訳/加瀬亮志さん 
「FOR BEGINNNERS フロイト」 現代書館

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1980年に発売された古い本で、アメコミ風の漫画になっています。
図書館で何気なく見つけた1冊ですが、一番興味のあったフロイトの入門本でした。内容は少し読みにくさを感じつつも、長年悩んでいたうつ病の根本的な原因の原理を知ることができました。

先月あたりに今まで通っていたメンタルクリニックやカウンセリングを変えました。単なる考えすぎ、気質、うつ病をどうしても解明して欲しくて、今まで口にすらできない事実を打ち明けたことで、今まで自分の弱さばかりを責めて苦しかった日々に救いの手が差し出された感覚がありました。

誰にも分かってもらえないなら、急死するしかないかと思いつめていて、医療従事者でも分かってもらえないんだと悲観することしかできなかったので、眠る前に明日目が覚めていたら死んでますようにと願っていました。

そんな汚れきった肥溜めみたいな沼から、上半身でれたような身軽さを経験できたのは、自分と向き合おうとした自分と今通院している医師のおかげだなと感謝しています。少し、疑い気味の部分があるのは正直ありますが、沼から一生懸命、這い出ています。

そのような日々の中、上記の本を読んでみると、うつ病は自分が人に向けた憎悪を自分自身に取り込むことによって、他人から非難してもらい、自分を責めているという説が書かれていました。

今の精神分析で正しい説となっているのか不明ですが、自分のうつ病の原因はまさしく憎悪している母親を自分の中に取り込んでいて、母親のようになってしまう恐怖から自分を傷つけて、死んでしまおうとしていたことに気がつくことができました。

母親に憎悪をぶつけることが一切できない自分にとっては、最適な方法だったのかもしれません。止まらない負の連鎖に嘆き悲しんできましたが、自分を救おうとしていたのは、他の誰でもない自分だったんだなと解明された気がしました。

父から性的虐待、母からは心理的ネグレクトを受けて、「まともな家族ごっこ」をしていたことに気がつき、他人なら許されないような事実を家族の中ではなかったことにされる恐怖に直面していました。今回の本は感情や感覚ではなく、分析され解明されている事実なのだと世に知らしめている1冊だったので、心救われる1冊になりました。

フロイトって、すげー。

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