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身もこがれつつ 小倉山の百人一首周防柳著      その四

歌札を院に献上してのち、水無瀬の離宮へ、院からのお召しを受けた。使者は速く速くと急き立てる。こういう時は遊宴の相伴だ、到着してみれば、怪しげな小舟が湊に停泊している。予想にたがわず都の白拍子や江口神崎の遊女を揃えて盛大なお遊び中、お気に入りの蹴鞠の名手を集めての蹴鞠の競演、白球を追った後は、水干を脱ぎ捨て前庭で水遊び。半裸で射的の大会。夜は琴、琵琶、笛、巧者による管弦の宴。翌日は雨もよいのため、室内で今様合が始まった。目もあやな白拍子が姸を競い、男たちは囃し立て艶姿を肴に朝っぱらから酒盛り、続いて賭け碁、賭け双六、果ては得体の知れぬ軽業一座がなだれ込んできて、上を下への大騒ぎとなった。遊び好きの院、側近には芸達者が揃っている、彼らは主君の時々の興に即して、得意技を披露し、無聊を慰める。これに比して歌人は不器用で身の置き所がない。院に名指しされ、衆目の真ん中へ引っ張りだされぬよう、目立たぬように奥まった隅に座るようになり、歌詠みの眺め桟敷と揶揄された。宴は続きお開きになったのは、夜が白んだ後だった。ようやく眠りについたら二時で叩き起こされ、院が狩りにお出かけになるので、幸先よい歌を詠めという。二首ほどひねり出し、威勢のよい出立を見送った。側近によると院の帰着と同時に散会となるという。あと少しの辛抱と控えの間で眠り込んで居たら、家長に定家殿急がれいと声がした。なんだろう急いで渡殿を走り釣殿へ向う、昨日とは打って変わって晴天、成程本日は狩り日和だ。釣殿に人だかりができてい、船溜まりに笹舟が浮かび、遊女の衣装が水面を染めている、この離宮の釣殿は院のお気に入りの場所、あれこれ催しができるように造られていた、その中央に緋の毛氈が敷かれ、向かい合うように三つずつ、円座が設けられて。六席を見渡す奥に院の御座が美麗にしつられている。定家よ遅かったな、家隆が心配そうに声をかけてきた。いかなる趣向か、と問うたとき主が登場した。後を内大臣通親が続きその後に妖艶な白拍子が従う、よほどの気に入りの妓らしく、三日間院の傍にはべっている。水干はお馴染みの菊花の地紋、焼けた肌と冷たい銀白の色が対比をなして自信に満ちた風情に似つかわしい。来たのう、眺め桟敷の面々、主君は扇の端で、ちょいちょいと、定家、家隆、雅経と、左手の円座をさし、有家、家長、内府と、右手の席を指した。続いて主君は背後に、合図した。控えていた侍童が六人それぞれ腕に文箱を抱いて歩み出た。先頭の侍童が箱を開け、無造作に中身を一つ掴みして高く掲げた。定家は仰天した。手の中に見慣れたものが。ついこの間おのれが作成した秀歌の札だった。隣の家隆と顔を見合わせた、六人の侍童がこちらのたもとに座り文箱の蓋を取り、いっせいに札を撒きはじめた。一瞬にして赤い地の上に白い花びらの渦になった、どっとどよめきが起こる。院が話し始める。、本日の狩猟は豊猟で、朕は満足じゃ。良い心持のまま散会しようと思うたが、一つだけ気がかりがあっての、それを果たさなければ終われぬ。ほかでもない、歌詠みたちのことじゃ。皆も知っておろう、歌人というものは生真面目なもの、いかに誘う手も、そそのかしても乗ってこぬ、日なが一日高尚な雅語の世界を逍遥しおるゆえ、凡人の宴などは面白うもないそうだ。くすくす笑いが起こる、歌人たちは襟元に目を落としてかしこまる。この面々が本領を発揮できる遊びが無いか、朕は知恵を絞って考え、これを思いついた。歌札取り。とでも呼んでもらおう。この札はいにしえの名歌である。いずれも歴代の勅撰集に選ばれしもの、これから朕が題を出すゆえ、六人はそれに適うた歌の札を取れ。歌の名手というものは、一つ題を与えられたら、即座に十や二十の古歌が頭に浮かばねばならぬそうな、六人はいずれも当代精通の歌人ゆえ、勅撰集の歌など皆そらんじておろう、さあ、いかなる勝負になるのかみものである。周りの楽しげなざわめきとは、裏腹に定家のみは恐怖で固まった。いつぞや院に召されて、言上したわがせりふ、そのまんまではないか。あの時さんざん熱弁をふるったことが、お気に召さなんだのか、だから今意趣返しをしようとしているのか、そんなに古歌古歌と叫ぶなら、古歌にいかに通暁しているか、皆の前で照明してみよ。そう挑戦か、まさか、いやありうる、これほど勝気な方だもの。さらに宣言をした、勝者にはとっておきの褒美を遣わす。誰が勝か、皆の者大いに賭けたまえ。では、始めよう、最初の題は秋の愁い、最初の袖を翻したのは内大臣だった。次々と賑やかしの参加者に、先を越されている。いかぬ、これは難儀な遊び、院の視線が自分にばかり注がれている気がする。こんな時に限って見つからない。隣の家隆も同様動かない、様子を窺いみると、顔色が悪く冷や汗が滲み、後れ毛が耳の脇に。常に冷静なのに、もしかしたらこの友も同じことを考えているのか、誇り高い院の意趣返し。この歌札のことを院に教えたのは家隆である。出過ぎた真似をして主君の不興を買ったか、と動揺している。としたら、なお困る。俊成一門が揃ってこのざまでは。どんどん先を越される。嘆息した瞬間、定家の少将、院に鋭く呼ばれた、いかがした具合でも悪しきか。いえ、なんでもござりません。なら、励め、壬生もな、愕然とした。衆人環視の場で不覚の名指しされた。お遊びでも、こんな不名誉はあってはならない。藤原定家の名折れ、しっかりせい。そして毛氈の手前に両手をつき、ちらりと隣の友を窺った。取りに行くぞ相棒、ちらりと視線が返され、伝わったらしい、定家と同じく両手をついた。間合いをはかったように、帝王の鋭い声が響き、次なる題は波によする恋、札の海を眺めた、見慣れた癖字が呼んでる。一枚取ったら次々と歌の札がここだと、知らせはじめた。それからは院の題に合わせ、歌の札を取る、調子をもどした相方と、いつしか家隆と二人だけの掛け合いになっていた。歌の申し子のように、ただ札と戯れ、躍る文字と、美しい言の葉と家隆への親愛とそれだけ。だしぬけに、院の鋭い制止が入った。我に返った、見渡すと従者が篝火を、据えてい、日はいつに間にか傾き夜の帳が下りている。最後の題はわりなき恋、また奇妙な題を、そして二人で取り合った、[そこまで]院がくさびを打ち込んだ。家隆とまなこを、交わして微笑みあった。負けたかでも、家隆になら譲ってもよい。見事なものじゃ、この三日のうちで、もっとも興な遊戯であった。満悦の笑みが浮かんでいる。しからば発表する、定家十二枚、家隆十三枚、やっぱり、しかし院は集計した箱の中の歌札を、つかみ落しばしもてあそんだ。数のみではなく内容も勘案し、吟味したところ少将定家の獲物がもっとも面白かった。よって定家の勝ちとする。何故周りから微妙な声が、なぜ、なにゆえ、だが主君の決めたことだ、有難き幸せと、ひれ伏した。定家よ、とっておきの褒美をつわす。受け取れ、ワッと拍手が起こった、野次と哄笑が混じってい。顔を上げ絶句した。それまで院の後ろに控えていた妓が、手首をつかまれ面前に引き出されていた。京一番の白拍子より至福のもてなしを受けよ、朕の船を一夜貸し付ける。存分に楽しめ。とんでもない迷惑千万、勘弁してくれ。侍童に前後左右を固められ、引きずられるように御座船へ導かれる。主君が壬生と友を呼ぶ声を背中で聞いた。白拍子と同衾するなどもっての外、だが院からの下賜である。ぞんざいに扱って後で告げ口などされたら困る。だから酔っぱらって寝てしまうしかない。やけくそに、飲み臥所に倒れ込んだ。そして夜明けとともに起き出してきたのだ。御殿が森閑としてい、すでに引き揚げた者も多いだろう。おのれもさっさと帰京すべし、だが主君に退出の挨拶をせねばならない。正殿は一、二か所蔀が上がっているだけで、まだ眠りの中にあるらしい。誰が女官でもおればよいが、ぎい、と妻戸の開く音がして、歩を止めた。人が出てきた白っぽい袖が見えた。反射的に柱の陰に、誰、覗き見した。見覚えのある美しい銀白のある水干。こんな時間に、一人でどこへえいかれる。さらに様子を窺い、わが目を疑った。家隆だった。すらりとして、見惚れほど姿の良いわが相棒。なぜ家隆が院の水干をまとっている。なぜここに、次の瞬間後頭部を殴られた。まぶたの裏には昨日の札取り合戦が浮かんだ。去り際に聞いた言葉。壬生そなたにも褒美を遣わす、後で朕が許へ参れ、そういうことか、だから院は順位を入れ替えたのか、おのれを公然と厄介払いして、家隆を寝所へ召すため。やり場のない想いに胸を占領された、家隆を他の男に取られて怒り狂っている、おのれはなんと間抜けなのだろう、今頃になって自分の気持ちに気が付くとは、こんな思いをするくらいなら、なぜあの時家隆を手放したか、われは馬鹿だ。    その五、最終章へ



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