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from 湖

中秋の名月 の前日のこと

月が煌々と上っていた、ずっと下を見ていたので言われるまで気がつけなかった。いつもなら気がつけるのに。

見上げるとそこには、まだ低い位置にいるお陰で大きい月。まんまるに見えた、けどまだ満月では無いらしい。

秋が来た、秋はいつも悲しくて、悲しくて、悲しい。私にとって秋 とは自分が一人であることを噛み締めながら、月を見る季節。月も独りぼっちなのに、何故かいつも綺麗で、独りぼっちの私達を惹き寄せる。


彼氏が出来た、それは何ヶ月か前の事だけど、秋の月をみて、1人歩いていたいつもの道に、私以外の人が、一緒に居てくれていた。
幸せであったことは今思えば間違いない、けれど今までに無かった事で、ひどく動揺していたんだと思う。
そして、あまりにも自分と深くて近い関係に人間がいることで沢山見えてきていた、自分の愚かさと幼さと弱さにひどく疲弊してしまっていた。 

私は弱くなった、とても
もっと自分は強いんだと思っていた

ひとりぼっちで歩いている時、部屋にこもっている時、寝る前。泣く時はいつも必ずひとりだった。ひとりだから泣いていた。それでも泣いた後はいつも通りに戻って、みんなと一緒に笑って、笑って、ずっと笑顔でここまで生きてきた。笑顔でいる事が私のアイデンティティだと思うから、それを保ちたかった、そういう自分であり続けたかった。そんな自分にしんどさを感じつつも、そんな自分が好きだった、全部含めて、これが私だって思っていた。

今の私には、ありのままの自分でいても許してくれる人が、あまりにも近くにいて、私は非常に甘えてしまっていた。もう既に何度か距離のとり方とか、色んなことを失敗しているのに、またしても私は失敗してしまった。難しい。本当に難しい。けど、確実に学びがあって、すこしずつは生きるのも上手くなっていると思う、思いたい。思わないとやっていけない。

けれどやっぱり、1つ悲しい事がある。
人間が人間に期待することはやっぱりいけない事なのかなって思った事。
期待して、それがかなったりかなわなかったりするから恋愛は楽しい。けれど期待する事で両者ともにすり減ってしまうのならば期待はしたくない、その楽しさよりも、長く一緒に居られることを望むから。一緒に居られることが、1番幸せで楽しいことを知っているから。
けれど他の人には期待しないで生きていた分、この人には期待をしたい、そう思ってしまう事が多々ある。この考えが幼いのかな、って思うし、そういうことをあまりしてこない彼の方はとてもとても大人で健全だな、とも思う。(それがまた少し悲しかったりするのだけど。)好きな所は沢山あって言いきれないけど、こういう点も含めて、とても尊敬している。私も大人にならなきゃ、上手い付き合い方をみつけなきゃ、そう思ってもちろん頑張っているけど、人間関係ってそういうものだったのか、と思うとやっぱり少し悲しくなる。私が弱いだけなのはもちろん、分かっているけれど…。


っていうのがここ1週間?ぐらい考えていたこと。

今はすんごいびっくりするぐらい元気がある。ここ1年で1番元気かもしれない、受験受かった時とかよりも元気。活力がある、認知能力もあまり歪んでない、素直でいられる。元気無い時、とにかくしんどくて、自分を追い込んで、他人にぶつかって、そんな自分がまた嫌いになってしまって、本当にしんどくて、我慢出来ずに電車で泣いてしまう程だから、今自分が元気なのがすごい嬉しい。

どん底にいる時とかの方が、味のあるものを生み出せたりするのかなって思ったりもするけど、私はやっぱり元気な時の方が、キレもあるし、別にそれに深みが無い訳でもないし、いいものを生み出せているなと思う、何事にも。
し、なにより、底にいる時は、何かを生み出す余力が基本的にない、本当に自分の事しか考えられなくなるし、本当に死にたいって思ってしまうし、本当に死にかける。それが最善の選択だとしか思えなくなる。
死ぬ前に底から救いあげてくれた周りの人間とか、推しとかもろもろ本当にありがたい。運があるなって思う。
どん底から上がってきた時のこの元気は本当に妙で、気持ちが悪いけれど、今のうちに出来ることを沢山やりたい、どんな小さいことでもちゃんとやりたい。無理するとかじゃなくて、自分が好きな事をやって、精神の基礎体力を上げたい。あと、今のうちに沢山他人に+を与えたい。

おわり

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