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上を見てもキリがない、下を見てもキリがない

発達障害という言葉がよく聞かれる。

スターブロッサムの活動をしていると、やはり周りも発達障害と診断されている方が多い。

しかし、発達障害って定型発達とのグラデーションのようなものなもので、

診断がでている人もいたら、診断には至らなかったグレーゾーンと呼ばれてる人たちもいる。

私は今から5年前にADHD、適応障害で診断がおりた。

カミングアウトしたら「わからなかった」「(発達障害に)みえない」とよく言われる。

勿論、短い世間話や簡単なコミュニケーションで発達障害かどうかを見抜くって中々できない。

発達障害と診断されている人たちの中には自分の得意な事を生かし仕事で成功したりそれなりの地位を築いてる人もいる。

逆に発達障害の特性が仇となり、社会に上手く適応できなくて退職した人、中には二次障害で鬱などの精神障害を発症した人もいる。

先述した通り、発達障害はグラデーションのようなものであり
能力は人それぞれ。
発達障害に限らず、知的障害でも、軽度(境界知能)と言われてる方から〜重度と言われている方、身体障害でも下半身のみ障害がある方もいたら、全身麻痺など身体全体に障害がある方もいる。

悲しいことにこの成功した人たちの中には社会に上手く適応できなかった人を馬鹿にする人もいる「努力不足」だと。

そして逆に、自分より社会に適応できている同じ発達障害の人を「働けてる時点で発達障害じゃない」「そんな人は健常者だ」という人たちもいる。

前者は、自分が成功できたから、社会に適応できたからこそ「自分はできたのに、何故できない人がいるんだ。そのんなの努力が足りない」という思考になってしまうのでは無いだろうか。

後者は、社会に適応できてる発達障害者の存在によって「努力不足」「怠け者」とレッテルを貼られることを恐れているように感じた。

当の私は、現在訪問介護の仕事5年目。フルタイムではないが、短時間勤務の正職員(私の職場は障害者雇用の対象ではない)。クローズ就労だがカミングアウトしてるため実質オープン。ありがたいことに色々と配慮して頂いてる。一人暮らしもできる位は稼いでる。短時間勤務(フルタイムの4分の3)のため、わりとギリギリだが。

では、私のこのケースは前者からすると「何故フルタイムではないのか?」「もっと頑張ったらフルタイムで働けるだろ」と思うかもしれない。

後者からすると「理解のある環境で働けてるだけ恵まれてる」「自分の給料で一人暮らししている時点で健常者だ」という人もいるかもしれない。

私は訪問介護の仕事に至るまでは、保育士の仕事をしていたが、全然ダメだった。       毎日、上司に怒られてたし仕事できなさすぎて退職勧告される程だった(退職勧告は労働基準法で禁止のはずなのに)

保育士の仕事辞めてすぐに自分にあった訪問介護の仕事を見つけれたのは本当に運が良いし、しかも私の特性を理解してくれる上司がいる。自分でもとても恵まれている。ちなみに最初はフルタイムで働いていたが、発達障害特有の体力の無さがついていけず今に至る。

前者のような人に今の私の状態を甘えとか言われたら流石にぶちギレる。今の私にやれることを精一杯やってるのだから。

でも、後者のような人たちに「仕事できているのは環境が恵まれているからだ」と全て環境や周囲の人だけで上手くいってるような言い方されてもぶちギレる。確かに私は恵まれてる。職場にも家族にも友達にも。でも今の私になるまで努力もしてきた。発達障害界隈には努力という言葉を嫌う人もいるが私はそれでも努力してきたと思ってる。発達障害云々に限らず人はいくら周りの人が協力しても本人に変わる気がないと、変われないのだ。

勿論、努力ができる環境というのはとても大切である。私も保育士してた時は出勤するだけで精一杯だった。前者のような人には、努力が思うようにできない環境もあること、その人それぞれの事情があることを解って頂きたい。

「宝あれば恐れあり、貧しければ嘆き切なり」 by鴨長明

この言葉の意味は、宝などの高価な物を持っていても盗まれてしまう可能性の心配などの悩み、貧しかったら生活が苦しくなる悩み。どちらにも悩みがあると言うことである。「人には皆、大なり小なり悩みがあり、悩みのない人など存在しない」*ということだ。自分より恵まれてるような人でもそれぞれその人の悩みがあるのだ。

だから、私は例えば診断には至らなかったグレーゾーンの人たちに「私より能力あるってことじゃん」「そのくらい大丈夫ってことだよ」とか言うような事はしないし、            私より環境的にも体力的にも精神的にもしんどい思いをしてる人に「甘えだよ」「私にもできたんだから、貴方にもできるよ」とは言わない。

人それぞれ、その人の事情、悩みがあるのだから。

スターブロッサムの活動も1年が経ち、活動上キラキラしているように見えるかもしれないが、メンバーそれぞれの事情や、特性の悩み、生きづらさはこれから先も抱えて生きていかなければいけないと感じている。そして、後者のような方たちの存在も置いてけぼりにならないように留意していかなくてはと思った。私も一歩間違えたら、努力至上主義の人間になりかねなかった。


※上西聰著「"魅力的な女性"になるための心の持ち方」(辰巳出版)から引用。

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