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母に障害者手帳を取得した事を伝えた話 前編

私は精神障害者保健福祉手帳3級を取得している。
ちなみに診断名はADHD 適応障害(過去に診断されてる)

今年2月に申請、4月に取得。

京都市では、障害者手帳を持ってると等級関係なく市営地下鉄、市バスは無料で乗れる。
ありがたい

当たり前だが可愛くない手帳

この前は手帳で、京都でやってるジブリ展を無料で見てきた。
なんやかんや、手帳ライフを満喫している。
でも、手帳を出すことにより偏見のような眼差しを感じる事は多々ある。
仕方ない、地下鉄、市バス無料の代償だと思うことにした。

職場や、一部の友達には伝えてるし、自分はもう障害者だということは受け入れてる。

ただ、母に伝えるのは気がかりだった。

母は私がADHDなのを知ってる。寧ろ小さい頃からその兆しを感じとり療育を受けさせてくれたり、去年のスタブロのクラウドファンディングにも一万円程寄付してくれた。

でも、診断は受けさせなかった。

グレーゾーンの類いで育てられてきた。

それは、私に発達障害というレッテルを貼りたくなかったからだそう。

グレーゾーンの人間で生きてきた私も、社会人一年目で保育士として仕事してたが、仕事内容や人間関係が合わず、精神科へ初めて通いADHDと適応障害と診断された。

そのことも母に伝えたし、何も反対はされなかった。
診断されることで、私が楽になるならそれで良いと

今は保育士の仕事を辞めてから始めた訪問介護の仕事を5年ほど続けており、訪問介護の仕事はとても自分に合っており、割と早めに自分に合う仕事を見つけれて良かったと思う。

周りから見たら仲良し親子に見えるだろうし、実際に仲は良い。帰省したら2人でランチに行ったりするし、ショッピングもする。

ただ、娘である私が障害者というレッテルをハッキリ貼られるのには親として抵抗はあるらしい。

母はそれをハッキリとは言わないが、ひしひしとそれを感じる時は過去にいくつかあった。

「あんたの場合、障害じゃなくて個性でしょ」

「少しハンディーキャップがあるっていうか、、」

注釈すると、別に母は障害者に偏見があるわけではない。(偏見があったらそもそもスタブロの活動も応援してないと思う)

ただ、自分の娘が障害者だと言うことは認めたくないのであろう。

母はそうハッキリとは言わないけど、なんとなく私は感じ取っていた。


後編へ


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