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パフォーマンスとしての読書

しんどい。何もしたくないのに、何もしていない自分もしんどい。
何か、有意義で、将来の役につような、自分の成長につながるような、特別な何かをしないいと。強迫観念がしんどい。

朝起きて、ご飯を食べて、洗濯をして、買い物をして、それでいいはずなのに、それではダメな気がする。何がダメなのか?なぜダメなのか?

何もしていない自分を正当化するため、時間の穴埋めとして本を読んでる。読書は嫌いじゃないけど、今の私が本を読む動機は「本を読んでたら、なんかそれっぽく見える」から。
何もせずにぼーっとしているよりは、本を読んでいたら、「本を読む」という目的のために時間を過ごせていると思えるから。

私は、電車の中や喫茶店など、人混みで本が読めない。
「情報」がノイズになって、何も集中できなくなる。
電車に乗るのは、移動のため。ただ外の景色や電子広告を眺める。
喫茶店に行くのは、その店の雰囲気や食べ物を楽しむため。
私にとって、本を読むなら純粋に本を読むための時間と空間が必要になる。

知り合いに、家にいる間中イヤホンをして、オーディブルやYoutubeで勉強したり本を読んだり(聞いたり?)している人がいる。
移動時間は言わずもがな、トイレやお風呂の時間も。
とにかく、何もしていない時間が無駄に思えて耐えられないらしい。

なんかしんどい。
知り合いを否定する気は全くない。その人はその人の時間、人生を好きなように過ごしているだけ。

ただ床に寝転がって、風に揺れる洗濯物を眺めるだけの時間が、私は好きだし、大切にしていきたい。
それなのに、しんどい。楽しめない。何も楽しくない。しんどい。

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