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香りの記憶

 10代の頃から香水に興味を持ち、20歳代以降、出産後の数年以外、具合が悪い時を除いて、ほぼ毎日何かしらの形で香水に触れている。身体に纏わせない日でも、バスルームにひと噴きしたり、手帳に一滴付けたり。

 そんな風にして香水ライフを満喫しているが、40歳代に入ってから、嗅覚の衰えを実感している。加齢によるものなのか、新型コロナウイルスに罹患したことにもよるのか、原因は分からないが、細やかに香りを嗅ぎ分ける力が薄れてきている気がする。

 そのような実感をきっかけに、昔の自分はどんなふうに匂いを感じていたのか、振り返ってみた。

 幼少期は、嗅覚過敏気味で、当時を思い出すと、匂いが鼻にパンチをくらわせてくる、匂いが襲ってくるような印象だった。親戚の間で語り草になっているエピソードがある。「この子を植物園の温室に連れて行ったら、ドアを開けて一歩入ろうとした瞬間、『くさい!』と叫んで逃げていったのよ」というものだ。これに類したエピソードは複数あるが、要は、幼少期の自分にとっては、強い匂い=臭いで、ただただ臭気に圧倒され、それがどのような匂いなのか嗅ぎ分けるような余裕は、とても無かったということだ。

 そこまでの強さではない匂いであれば、匂いの違いということに注意が向くこともあった。幼少期は、人様の家にお邪魔する機会がそれなりにあったが、家によって、家の中の匂いが異なることに気付いていた。当時は、一般家庭にルームフレグランスが置かれていることはまず無く、住んでいる人達の匂いが割と感じ取れた。自分が住んでいる家の匂いは、鼻が慣れてしまい感じられなくなっているため、「人様の家には匂いがある」という認識になっていた。特に、赤ちゃんがいる家庭には、よだれやミルクの匂いが充満していた。また、仏壇がある家庭には、お香や煙の匂いがそこはかとなく漂っていた。これは、今思い返すと、という話で、当時はそこまでの認識は無かったが、赤ちゃんも、仏壇も、普段の生活の中には存在しなかったので、記憶に残りやすかったのだろう。

 その後は、良い匂いの記憶よりも、「臭い」記憶の方が強烈に残っていった。勿論、親がごくたまにケーキを作る時に使っていたバニラエッセンスの香りや、瓶の口から嗅がせてもらった洋酒の香り等、現在に至るまでのグルマン好みの土台になるような体験はあった。それでも、小学生の頃の匂いについての記憶を辿ると、真っ先に思い出すのは、煙草を吸う大人の体臭、煙草の吸い殻から漂う煙の匂い、ガソリンや排気ガスの臭い、何日も風呂に入っていないらしい人間から発される電車一両分の空気を腐らせる臭気等だ。

 中学生になると、友達から香水の存在を教えてもらい、そこから自分の香水ライフが始まった。それまで、香水というものを知らなかったわけではないが、自分の認識は、「ある種の大人が特別な時に使うことがある、くさいもの」といったもので、自分に関わってくるものでは無かった。友達が教えてくれたのは「ダリの香水」で、これは今でもあるようだが、シュールレアリズムの画家サルバドール・ダリの絵画にあるモチーフを落とし込んだ香水瓶に目が釘付けになった。しかもそれが、近所のショッピングモールの薬局に並んでいた。テスターで香りを試すこともできた。30年以上前の香りの記憶になるので、定かではないが、ずっしりと重いオリエンタル調の香りだったような気がする。残念ながら、その香りに対しては、「くっさ!」という感想しか出てこなかったが、それからは、友達と時折、薬局や雑貨屋に置いてある香水のテスターを試して歩くのが、楽しい遊びの一つになった。

 それから程なくして、THE BODY SHOPが日本に上陸して、次々にオードトワレをリリースした。それらの中のフルーティーな香りのシリーズに、私は夢中になった。初めて自分のお金で買った香水は、ファジーピーチだった。これは、当時の自分には、桃の香りそのものに思えた。甘酸っぱい、食べたくなるような香りだった。この香りは私に、香水(これはオードトワレだが、当時はトワレとパルファンの違いなんて分かっていなかった)の中には、臭くないどころか、幸せな気分にさせてくれる、美味しい香りも存在することを教えてくれた。

 今思えば、中学生の自分にとっては、しっかりとした調香の複雑な香りは、鼻がびっくりしてしまうばかりで、びっくり=臭いという認識になっていたのかもしれない。それが、高校生以降、変化していくが、それについてはまた別の機会に振り返りたい。

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