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禁酒-なりたい自分になる手段として②

 今回、初めて2週間以上の禁酒が成功しているが、それまでに数回、節酒を試みて失敗したことがある。節酒の失敗を繰り返したことで、自分には、節酒よりは完全に酒を断ち切る、全く飲まない方法が合っているかもしれないと気付いた。
 ここでは、自分にとっての節酒の難しさについて記しておきたい。

 まず、何故最初に「休肝日を設けるようにして、徐々に飲む日を減らしていく」節酒という方法を選んだのかについて記す。これは完全に、自分の飲酒への思い、未練を断ち切るふんぎりがつかなかったというのが理由だ。「お酒が無い人生なんて、そんなの味気なさ過ぎる」と思ってしまった。
 また、「お酒を止めます」と宣言すると、周囲から必ずと言って良いほどかけられる言葉がある。言葉をかけてくれる人によって表現はそれぞれ異なるが、どれも要は「ほどほどが良いんじゃない?完全に止めるのは、心には却ってストレスになるよ」ということだ。
 確かに、自分でもそう思う。実際断酒してみて、最初の1週間は、「もう、休肝日は作れた訳だし、今日は飲んじゃおうかな」みたいな自分自身の弱い心と戦わなければならないので、実際、心には大きなストレスがかかったと思う。

 が、自分の場合、たとえ週1日であっても、飲んでしまうと、却ってお酒の味や束の間の楽しさ等、アルコールの引きずり込んでくるような魅力が強烈に植え付けられてしまい、日常が、「お酒を飲んだ輝かしい日」と「飲めなかった苦しく味気ない日」に二分化されてしまった。お酒を飲めたかどうかで1日の価値が決まってしまうという…。
 これでは、お酒を飲まない日=ネガティブな日を減らすべく、結局毎日のように飲む方向に逆戻りしてしまう。節酒失敗の顛末だ。

 飲まない日を作ることで、却って飲んだ時の嬉しさや美味しさといったポジティブな側面がクローズアップされ、強烈に記憶に植え付けられてしまうというのであれば、全く飲まないという方向に進むしかない。
 何回か節酒に失敗したことで、自分には完全にお酒を飲まない=断酒という方法が合っているのかもしれないと思い始めた。

              -続く-

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