外から見える日本30年 (めっちゃ駆け足で要約)
日本を出てほぼ3ヶ月。NZの生活も落ち着いてきたこの頃、外にいるからこそ見える日本についてまとめてみたい。
この30年間、日本に住んでいた時期がほとんどとはいえ、アメリカ・NZと何年ずつか暮らしてきて、その視点から見える日本について書きたいと思う。
1 30年前のアメリカ
30年前にアメリカに行った時は、「日本人」ということだけで箔がついた時代だった。バブルが弾ける寸前、「日本人はすごいね」「Nikkei Averageは〇〇万円に到達するんじゃない?」「日本の教育は世界一らしいね」という好意的なメッセージを多く聞いた。
その一方で日本の存在は「脅威」で、アメリカの主要な建物や産業を全部持っていってしまうんじゃないか、っていう否定的なイメージもあった。いずれにしても「日本がアメリカに追い越せ・追い抜け」という時代だった。
そんな中、日本語をアルバイトで教えていたけど、ビジネスマンや学生や大学教員(大学の街に住んでたから)などいろんな人が日本に行きたいから・日本のことを知りたいから、と日本語熱も高かった。
「日本人」という蓑を被っていれば、他の外国人とは別格に扱ってくれるそんな雰囲気だった。日本ってすごい国なんだと日本を離れて初めて感じた。
2 20年前のニュージーランド
ニュージーランドには縁は全くなかったんだけど、大学院に進学すると決めて自分が師事したい先生がたまたまニュージーランドの大学にいらっしゃったので、こちらに初めて来たのが20数年前。
よくイギリス人やアメリカ人が、自国の30年ほど前を思い出させるのんびりした良い国、というのがニュージーランドのイメージ。私ものんびりした空間や時間の流れが大好きになった国。
先述のように研究したい先生がいらっしゃったから、という理由だけでNZを選んだのでこの国に関する予備知識はほぼゼロだった。こちらに来てまずびっくりしたのが、日本車の多いこと!
右ハンドルで左側通行という交通システムは日本と同じ。そして日本の中古車は走行距離がとても短く、品質がいいというので、こちらの車はほぼ日本車!といっていいほど、にまず驚いた。ここでも日本の車産業はすごいんだ、と改めて納得した。
オーストラリアやNZは地理的にアジアに近く、アジア圏との貿易を視野に入れているらしく、日本語が小学校・中学校・高校・大学と外国語科目として選択できる。これは日本で日本人の子どもたちが学校で英語を学ぶ、という感覚に近い。
この当時、私が聞いたのはフランス語の次に日本語を選択する子どもたちが多いとのこと。これは、すごいことだと思った。言葉を学ぶって同時に文化にも触れたりする機会がある、それも子供の時から、というのはものすごい影響力がある。子供の時にその言語や文化(特にアニメなど)に少しでも触れていれば、身近に感じるだろうし親近感もでる。日本は遠い国ではなくなる。
日本車が多かったり、日本語勉強してる子供がいる、という素地の中、日本の経済力もまだ強かったのか、日本の影響力もNZで感じた。まず、Sushiと呼ばれる食べ物がすごい人気だったこと。にぎりのお寿司ではなく、海苔巻き(中身はチキンやアボガドやツナなど)が一般的に普及していて、みんなが食べていたことにびっくりした。
異文化に触れる時は、言葉そして食べ物なんだな、と感じた。この頃はバブル崩壊後とはいえ、日本の勢いもまだ強くて、日本の存在感がまだまだあった。例えば日本食レストランは、ちょっと高級感のあるところ・オシャレなところ、という印象だった。他には、Japan festival(日本についてのお祭り)なるものがあって、多くの人が日本の文化に触れたり食べ物を楽しんでた。
3 14年前のニュージーランド
勤務先の大学から長期研修という名目で1年間NZに滞在したのが2010年。この頃になると中国の勢いが顕著に現れてきた。中国人の人が多くなり、あちこちに中華レストランができ、傍目で観てても「中国は勢いがあるなあ」というのが肌で感じられた。
反対に日本はその勢いに負けてきて、日本の影がどんどん薄くなってる気がした。日本車の存在はまだまだ健在だったけど。
4 そして今
ちょうど一昨日あたりにNZの首相が日本を訪れるというニュースが流れていて、レポーターが、「日本は輸出入ではNZの5位に当たる重要な国」と説明していた。私の感覚的には「3位くらいかな?」と思っていたので、「そうか5位か」と認識を新たにした。
NZ(特にオークランド)は移民大国でいろんな国の人が、それぞれのお国訛りの英語を使って、それぞれの文化を引き継ぎながら生活している。← NZ人にならなくちゃ、という感覚はない。こういう意味では、私も移民の一人なのですごく暮らしやすい。
その中でも中国やインドの人の進出が顕著だ。日本人や日本食も地元の人には普通に溶け込んでいるけど、当初の日本人だから特別、という感覚はもはやない。外国語に日本語を選択する子供の数も減ってるらしく、中国語の履修者の方が多いと聞いた。
日本車もまだまだいっぱい走ってる(うちの車もトヨタのハイブリッド中古車。燃費もいいし運転しやすい)けど、テスラなど新しい車も増えてきた。これからの電気自動車、AIの時代に日本はどう世界で生き残っていくのか、を考える。
とにかく「影が薄くなった」という点に尽きる。公の場面ではよくも悪くもあまり話題にならない。世界のニュースという観点からは、「世界のリーダーたち、例えばアメリカ・中国・EU」となり日本はその中に列挙されることが少なくなった。10年前だったらそんなことなかったのに。
でも一方、超円安を利用して、たくさんのNZ人が日本を訪れている。実際行った人からは、「日本に行ったことあるよ」「日本は最高だね」「日本人の人に優しくしてもらった」「東京や大阪の大きさにはびっくりした」「また行きたいよ」と口々に日本のことを褒めてくれる。
日本政府は観光立国を目指すというのを柱の一つに掲げてるらしいから、それが功を奏しているのかも。ただ、車やいろんな電気製品を作り出し世界に売り込んでた「ものづくり大国」を肌で感じて育った世代としては、それに翳りがみえ観光で生きて行くという方針が寂しくもある。今年は日本のGDPが3位から4位になり、来年はインドにも抜かれて5位になるという予測だそうな。
5 まとめ
なんかこの書き込みは「国の力や目標は経済にあり」という観点から書いてしまったような気がして、ちょっと私の信念としているところとはずれてしまった感がある。けれども、日本を離れた時にみえる日本の姿を私なりにまとめてみた。
日本の高度成長と共に育った私たち世代の感性は、若い人とは違うんだろう。日本も先進国として成熟期を迎えた今、他の国と競っていかなければ、というような刷り込みは若い人には少ないのかもしれない。
まとめとして言いたことは「右肩上がりの成長=幸せ」と思ってきた時代が終わり、それに変わる日本人にとっての幸せとか日本人であることのプライドってなんだろう、って改めて自問自答する必要があるな、と思う。
そういう意味でみんながこちらに遊びに来て、改めて日本を外から眺める機会を楽しみにしてるよ。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?