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推しがいなくなる世界

推しがバンドを脱退する。

人生半分以上ずっとライブハウスで過ごしてきた生粋のバンギャルの私なので、もちろん今までだって好きだったバンドの解散や脱退、活休とそのあたりのおよそ悲しいことというのは経験してきたのだけど。

活動量でいったら、そりゃよそに比べると少ないバンドだけど、1回1回のライブで得られる多幸感だったり満足度だったりはそれはもう今までに感じたことのないくらいに満たされて、幸せになれるバンド。それが私の推しがいるバンドなのだ。本当に良いバンドなのでもっともっと書きたいけどそれはまた今度…ひとまず、そんなバンドとしても大好きな場所から私の推しはもうじき脱退する。

正直、脱退が発表されたときやその後数か月はあまり悲しいなと思っていなくて。私って本当にドライというか、本当はたいして好きじゃなかったのか?我ながら薄情なやつだ!とさえ思うくらいで(笑)私は毎日平々凡々な会社員として仕事をしている。終わったら夜は近くの神社まで7キロランニングして、海外ドラマを観て、好きな入浴剤をぶち込んだお風呂に入り、土日はカレーを食べる日々を送っている。バンギャル活動であるライブに行く、音楽を聴くというのはそういった私の何気ない人生、生活にほんの少し彩を添えるものだと思っていた。推しがやめる、なら次は何処の誰を推す?自然にそういう風になるのだと。無論、今までだってそう。だからこそ私はいまだ懲りずに小さなライブハウスで音楽を奏でる人たちばかりをずっと好きでいるのだから。

脱退まで残すところあと3回、いや2回だったかな。忘れた。とりあえずもうあと少しとなった時いつものようにライブを観ていたら、突然ぶわっと今だかつて感じたことのない恐怖を感じた。ぶわっと!

「今聴いたこの曲はもう聴けないってこと?」

「まだやってないあの曲はもしかして最後の日までやらない?」

「今目の前にいるこの人にはもうあと指折り数える程度しか会えない?」

本当に突然すべての現実が隕石みたいに落ちてきた。頭上から押しつぶされてただでさえ寸詰まりの私だけど、多分あの日3ミリは縮んだ。

その時に、ずっとこの「推しが脱退する」という現実から目を背けて平気なフリをしている自分に気付いた。厭、薄々は気付いていたけれどそんなことで一喜一憂する私じゃなくってよという周りへの強がりもあったりで。何のアピールだよ。ライブに行くこと、推し活動をすること、それらは私にとっては何てことない些細な趣味のひとつでしかなく私にはほかにもたくさんやりたいこと行きたいところ食べたいものたくさんあって忙しいんだから!ということをずっと自分に言いきかせていたのだと。

でも、実際は違ったらしい。

隕石を頭上から浴びたその日、私は自分で思っている以上にそのバンド、音楽、推しすべてが大切で愛おしく代えのきかない存在なのだということを知った。というか、認めた。私にとってたかが趣味と思っていたバンギャル活動はとてもそんな趣味という単語で片づけていいものではなかった。大好きだ!世界中を敵に回したとしても私はきっと彼らの音楽を守るし、私の大好きな推しの味方であり続ける。そのくらいに大好き(規模)(壮大)(ゲームオブスローンズの観すぎ)

そんなこんなで、残すところあと1回となってしまった。脱退ライブだ。

あの時ああしていたら良かったな、もっとこう言えば良かったな、思えば思うほど悲しくなって正直突然泣いたりしてる。相当気味が悪い。

最後の日は笑って迎えたいと推しに言われた。無理じゃん。

今は堕ちるところまで堕ちておこうと思う。自他ともに認める精神ドMなので自分で自分を痛めつける。つらい状況をこれでもかってくらい作っていく。そしたらきっと最後の日も笑うことはできなくてもちょっと嗚咽漏らすくらいで済むかもしれないから。



はーーーーーーーーーーーーまじで無理!やめるのやめよ?!(笑)

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