道標

「自由がこんなにもつまらなくて苦しいなんて。」
ほとんど校則のない高校で過ごした3年間を振り返って、強烈に思ったことを今でも覚えている。
 自立していた友達は、好きなことに真っ直ぐに、人によっては仕事に繋がりそうなほどにのめり込んでいった。でも、中学卒業してすぐの、良いなり少年の僕にはそれが難しかった。
 自分で決めたことなんてほとんどないままに、責任なんてほとんど負わないままに、僕は自由をもてあましてしまった。

 今の世の中は、自由を叫ぶ声で満ち溢れている。自分の「好き」にのめりこんでいくことが良しとされてきている。しかし、それが難しい人もたくさんいる。ときには自分の先にいる輩の声に頼りたくなることもある。

 そんなときに、人生の先輩がつくった「校則」は、支えになりうる。自由な世界の中で、責任に押しつぶされそうな背骨を、規則が矯正してくれる。無理くりでもいいから、真っ直ぐ立つのを助けてくれる。

 もちろん、がんじがらめはごめんだ。自分の選択も打ち消されるほどの堅苦しさは、今までの義務教育から何の発展もなく、「選択できない幼さ」をただ長続きさせるだけだと思う。縛ることで形を変えてしまったり、伸びたい方向に伸ばせなかったりすることもある。

 しかし、その一方で崩れてしまうことも防いでくれる。先人たちの経験をもとに作られたその規則は、ある程度社会の中で生きていけるような体裁を整えてくれる。
 校則とはいわば「道標」だ。先陣を切って歩いた人が、後を進む我々を導いてくれる。

 そんな道標も、進むべき方向を間違えていては役に立たない。先に進んだ人が今どのような道を進んでいるのか、その方向性をみて、ときにはその道標を取り外す選択も必要になってくる。そして、先を歩く我々も、学生生活を通してその道標が必要だったかどうかを、声を上げて伝えなくてはならないと思う。

 後ろを歩く未来のためにも、社会全体で校則について考え、それをフィードバックさせることが、迷う人を少しでも減らせるような道標を作るのではないかと思う。

#みらいの校則

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