村上宗隆、リーグ最年少本塁打王、NPB史上最年少の「優勝チームで全試合、四番打者で先発出場」

東京ヤクルトスワローズが2015年以来のセ・リーグ優勝を決めたが、それを打で牽引したのは、山田哲人と村上宗隆であり、チーム史上初となる「シーズン30発・100打点」コンビを結成した。

また、村上宗隆にとって今季は、数々の「NPB史上最年少」「セ・リーグ最年少」という枕詞が付く、記録達成のシーズンとなった。


村上宗隆、NPB史上最年少の「通算100号本塁打」「シーズン100打点」

21歳の村上宗隆は今季、9月19日の広島戦(神宮)で今季35号ソロ本塁打を放ち、清原和博(西武)の21歳9か月を上回る21歳7か月、「NPB最年少での通算100号」到達を果たした。
9月26日の中日戦(神宮)で自己最多をさらに更新する今季38号2ラン本塁打を放ち、2018年の岡本和真(巨人)の22歳を上回る「NPB史上最年少で100打点」に到達している。

NPB最年少「シーズン40本塁打」は逃すも、セ・リーグ最年少「本塁打王」

10月13日の中日戦(バンテリンドーム)では、決勝打となる39号2ラン本塁打を放って、本塁打、打点で岡本和真(巨人)と並びセ・リーグトップタイとなった。

村上は11月1日の広島戦(ヤクルト)の時点で自身初の本塁打王を、セ・リーグ最年少で獲得できる可能性があり、そして、NPB史上最年少でのシーズン40号本塁打に王手を懸けていた。
一方、後方から鈴木誠也(広島)が38本塁打と猛迫していたが、鈴木もこの試合で不発に終わり、途中交代で退いたため、その時点で村上宗隆の本塁打王が確定した。

結局、村上宗隆は10月13日の39号本塁打以来、本塁打は足踏みが続き、この試合も5打席、4三振と、12試合ノーアーチでシーズンを終え、NPB史上最年少のシーズン40本塁打到達は幻となった。
それでも、村上宗隆の21歳での本塁打王は、セ・リーグではスワローズの先輩である町田行彦(国鉄)が1955年、21歳で31本塁打を放って本塁打王を獲得して以来、セ・リーグ最年少タイとなった。

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村上、リーグ最年少「打点王」「打撃二冠王」は逃す

また、打点に関しては、村上は10月21日の広島戦(マツダスタジアム)で1試合4打点を挙げ、112打点とし、再びトップの岡本和真の113打点に1打点差に迫ったが、その後、村上は6試合で打点なく終わった。
5打席ノーヒットで終えた最終戦、第4打席では一死二、三塁の好機でショートフライに倒れた。

もし、村上があと1打点を挙げていれば、岡本和真と並び、本塁打、打点の部門で「二冠王」となり、セ・リーグ最年少タイとなるところであった。
一方の岡本は昨季2020年に続いて、セ・リーグの本塁打王、打点王を手中に収め、1976年・1977年の王貞治以来、44年ぶりとなる「2年連続で打撃二冠王」の勲章を手にした。

セ・リーグの最年少打点王は、1958年の長嶋茂雄(巨人)、1962年の王貞治(巨人)の22歳、また22歳以下での「本塁打王・打点王の打撃二冠王」は、1953年の中西太(西鉄、20歳)しかおらず、セ・リーグの最年少「打撃二冠王」は1958年の長嶋茂雄(巨人)、1962年の王貞治(巨人)の22歳であったが、村上はONを超えることができなかった。

NPB史上最年少の「優勝チームで全試合、四番打者で先発出場」

それでも、村上はシーズン通して全143試合で、「四番」で先発出場しており、優勝チームで全試合、「四番」で先発出場したのは村上がNPB史上13度目(12人目)の快挙であり、しかも21歳での達成は、1962年の張本勲(東映)の22歳を抜いて、NPB史上最年少である。


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山田哲人、自身5度目のシーズン30本塁打、3度目のシーズン100打点

一方、今季29歳を迎えた山田哲人も長期契約を結んで臨んだ最初のシーズンで復活を遂げた。
今季は4月末までに村上と並んでチームトップタイとなる10本塁打を放つと、好不調の波はあったが、オールスターゲームまでに25本塁打をマークした。

9月26日、中日戦(神宮)で今季30号満塁本塁打を放った。シーズン30本塁打の到達は自身5度目、チームでは池山隆寛(5度)、ウラディミール・バレンティン(8度)に次いで3人目の達成となった。

10月17日、DeNA戦(横浜スタジアム)、ヤクルトが4-3と1点リードで迎えた9回表の攻撃、「3番・セカンド」の山田哲人に打順が回ると、山田はDeNAの三嶋一輝から34号3ランホームランを放って試合を決めた。
この時点で、ヤクルトの優勝へのマジックは5となった(その後、ナイトゲームで阪神が広島に敗れて、マジック4になった)。

しかも、山田哲人はこれで今季100打点とし、2016年以来、自身3度目のシーズン100打点に到達した。

“ヤクルト史上初の「30本塁打・100打点コンビ」の誕生 今季、高津臣吾監督が率いるヤクルトは2年連続の最下位から、2015年以来のリーグ優勝に向かって、中継ぎ陣の踏ん張り、そして、打撃陣では村上宗隆と山田哲人らのバットが牽引している。 まさに畠山和洋と山田哲人の「100打点コンビ」の再来だが、2015年は畠山和洋が30本塁打を超えていないため、今季の村上宗隆と山田哲人は、ヤクルト史上初、「30本塁打・100打点」コンビの誕生となる。”

ヤクルトの「30本塁打」コンビの誕生は、前身の国鉄スワローズから含めて、

1992年 古田敦也、池山隆寛(各30本塁打)、
2019年 村上宗隆(36本塁打)、山田哲人(35本塁打)

に次ぎ、チーム3度目であるが、今年の村上・山田の二人の本塁打数の合計はすでに74本となり、2年前の71本を超えて球団史上最多となった。

また、NPBで日本人野手同士による「シーズン30本塁打・100打点」コンビは、2018年の西武ライオンズの浅村栄斗(32本塁打・127打点)、山川穂高(47本塁打・124打点)以来である。この年、西武はリーグ優勝を果たしている。

NPB史上初、日本人野手によるシーズン40本塁打コンビの可能性は?

山田哲人は最終戦を34本塁打で迎えたが、第1打席でのスイングで違和感を覚えたようで、2回も守備についたが、途中交代した。そのため、自身4度目となる35本塁打以上はならなかったが、34本塁打、101打点でシーズンを終えた。

山田哲人と村上宗隆にとっては、2019年以来となる、「35発コンビ」の再来はならず、また、巨人の長嶋茂雄・王貞治の「ON砲」すらなしえていない、NPB史上初となる「日本人野手コンビによるシーズン40本塁打」の到達は来季以降に持ち越しとなった。

(1968年に、王貞治が49本塁打、長嶋茂雄が自己最多の39本塁打を放っているが、二人そろって同一シーズンに40本塁打を超えたことはない)

だが、この二人の打棒が引き続き、ヤクルト6年ぶりの日本シリーズ進出と、2001年以来、20年ぶりの日本一を手繰り寄せる原動力となるには間違いない。

かつて巨人V9を牽引した長嶋茂雄(右)・王貞治(左)の「ON砲」のように、山田哲人(右)・村上宗隆(左)の「YM砲」が、スワローズ黄金時代の序章を開きつつある。

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