斎藤佑樹、現役引退①早稲田大学での成績を振り返る

北海道日本ハムファイターズの斎藤佑樹(33)が現役引退を表明した。

斎藤は2004年に、早稲田実業高校に入学、野球部のエースとして、3年生の春、2006年のセンバツ大会で初めて甲子園の土を踏んだが、準決勝で敗退。
しかし、斎藤は、野球ファン以外にもその存在を知られるほどの大フィーバーを巻き起こす。

その夏の大会では、決勝に進むと、田中将大を擁する駒大苫小牧高校と対戦し、延長15回引き分け再試合。翌日も先発し、4-3と1点リードで迎えた9回2死、田中将大と対戦し、空振り三振に斬って取り、早実を悲願の初優勝に導いた。

斎藤が投げた69イニング、948球は甲子園大会史上最多、78奪三振は歴代2位と、記憶にも記録に残る投手となった。
斎藤の代名詞となった「ハンカチ王子」はその年、2006年の「流行語・新語大賞」にノミネートされるほど、社会現象となった。

早稲田大学野球部の歴史に残る大エース

斎藤は早実を卒業後は、早稲田大学に進んだ。東京六大学野球リーグでは1年生の開幕戦から、背番号「16」を背負って先発のマウンドに上がり勝利投手になると、最多勝となる4勝無敗でいきなり早大をリーグ優勝に導いた。ベストナインに1年生で選出されたのは、東京六大学野球リーグの歴史で初である。
さらに、1年生の秋のリーグで連覇し、かつ2季連続で最多勝、ベストナインに選出された(早稲田大学は3季連続リーグ優勝)。
2年生の秋から、背番号「1」を背負うと、自己最多となる7勝を挙げ、自身3度目のリーグ優勝を経験した。
3年生の時は、調子を落とし、それに呼応するようにチームも優勝を逃したが、早稲田大学野球部100代目主将として迎えた4年生は、背番号「10」を背負った。同級生の福井優也(のちに広島、楽天)、大石達也(のちに西武)らの投手を擁したものの、春は優勝を逃した。
その秋、最後のリーグ戦では慶應義塾大学との早慶戦が優勝決定戦となった。斎藤は3万6000人と超満員の神宮球場のマウンドに立ち、8回までノーヒットノーランという快投を見せ、甲子園同様、大舞台での強さをさらに印象づけた。
その後、慶應の猛迫を受けたが、6-5で逃げ切り、有終の美を飾った。
その優勝決定時、早稲田の主将としてインタビューに答えた斎藤から、あの有名な「持っている男」発言が飛び出したのである。
「(斎藤佑樹は)何か持っていると言われ続けてきました。今日何を持っているのか確信しました…それは仲間です」
この言葉も、この年の「流行語・新語大賞」で選考委員特別賞を受賞した。

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また、斎藤は1年生から「世界大学野球選手権大会」と「日米大学野球選手権大会」に大学日本代表として選出されていたが、4年連続選出されたのは史上初である。

斎藤は東京六大学野球リーグで通算31勝を挙げたが、これは史上14位タイで、早稲田大学の投手としては、末吉俊信、若原正蔵、安藤元博、織田淳哉に次ぎ、三澤興一に並び5位タイである。

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斎藤は奪三振数でも秀でていた。
通算323奪三振は、東京六大学野球リーグでは史上11位であり、早稲田大学の投手としては、織田淳哉、三澤興一に次いで3位である。

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東京六大学野球リーグ史上7人しかいない「通算30勝・300奪三振」

斎藤は当時、六大学野球リーグ史上6人目となる「通算30勝・300奪三振」に到達した。
通算30勝以上は22人、通算300奪三振以上は16人いるが、両方を達成したのは、過去に秋山登(明治大学)、江川卓(法政大学)、織田淳哉、三澤興一(共に早稲田大学)、加藤幹典(慶應義塾大学)の5人しか達成していなかった偉業である(その後、野村祐輔(明治大学)も達成)。

ドラフト会議で4球団競合

こうした華々しい実績を携え、斎藤佑樹は2010年のドラフト会議を迎えた。斎藤は、東京ヤクルトスワローズ、北海道日本ハムファイターズ、千葉ロッテマリーンズ、福岡ソフトバンクホークスの4球団から1位指名を受け、抽選で日本ハムに交渉権が決まった。
同僚の大石達也は広島東洋カープ、横浜ベイスターズ、東北楽天ゴールデンイーグルス、オリックス・バファローズ、阪神タイガース、埼玉西武ライオンズの5球団から1位指名を受け、西武に決まり、福井優也は、大石の交渉権を外した広島が外れ1位指名を行い、それぞれ入団が決まった。

ドラフト会議で同じ大学から3人が1位指名されたのは、1996年のドラフトで青山学院大学から井口資仁(内野手、ダイエー)、澤崎俊和(投手、広島)、清水将海(捕手、ロッテ)の3人が逆指名して以来、2度目だが、同じ大学から同じ守備位置の選手が3人も指名を受けたのは、斎藤佑樹、大石達也、福井優也の3人が史上初であり、その後も現れていない。

(2018年のドラフト会議では、東洋大学から3人の投手、上茶谷大河(DeNA1位)・甲斐野央(ソフトバンク1位)・梅津晃大(中日2位)が上位指名されている)

斎藤佑樹は、日本ハムでエースナンバーの背番号「18」を与えられた。
2011年4月7日、斎藤佑樹はプロとしての第一歩を踏み出すことになる。

(つづく)


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