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【1950-2022年】セ・リーグチームの累計本塁打数の推移(阪神、2リーグ分立後チーム8000本塁打)

阪神タイガースは2リーグ分立後、球団8000号本塁打に到達した。

2023年5月19日、阪神甲子園球場での対広島カープ戦で0-4と4点を追う4回、先頭打者の5番・佐藤輝明が広島先発の左腕・玉村昇悟の初球、143キロのツーシームを捕え、甲子園のセンターバックスクリーン横に飛び込む本塁打を放った。


阪神タイガースのメモリアルアーチ



阪神タイガースのメモリアルアーチの記録者は以下の通りである。

1号 藤村富美男(1950年)
1000号 マイク・ソロムコ(1963年)
2000号 遠井吾郎(1972年)
3000号 佐野仙好(1979年)
4000号 真弓明信(1985年)
5000号 ロブ・ディアー(1994年)
6000号 金本知憲(2003年)
7000号 新井良太(2012年)
8000号 佐藤輝明(2023年5月19日)

阪神タイガースの前身である大阪タイガースは1936年春夏の公式戦から参加しており、1949年シーズンまでのいわゆる「1リーグ時代」に365本の本塁打を記録している。
従って、佐藤輝明の今季8号本塁打は、1リーグ時代から数えるとチーム8365本目となる。

阪神の球団8000号本塁打到達は、セントラル・リーグの中ではもっとも遅い。

(太字:現役)

セントラル・リーグの各チームの本塁打数の累計推移

では、セントラル・リーグが発足した1950年以降、各チームの本塁打数の累計がどのように推移しているかみてみよう。
(消滅球団である松竹ロビンス、西日本パイレーツは含まない)

https://public.flourish.studio/visualisation/13831705/



NPB セントラル・リーグ チーム本塁打数の累計(1950年-2022年)

読売ジャイアンツ

セ・リーグのチーム別本塁打数は、読売ジャイアンツが2リーグ分立の2年目となる1951年以降、現在まで断トツのトップを続けている。
そのうち、王貞治さんが868本、チーム全体の8.4%に当たる本塁打数を記録している。

中日ドラゴンズ

続いて、中日ドラゴンズが後を追っていたが、2018年、広島カープに2位の座を奪われた。
やはり、1997年のシーズンから本拠地をナゴヤ球場からナゴヤドーム(現バンテリンドーム)に移したことが大きい。

広島カープ

広島カープは2リーグ分立後と球団創設が同じで、チーム本塁打数もしばらく最下位であったが、1961年に国鉄スワローズを抜いて5位となり、その後、再び最下位に転落したが、1974年に再び5位に浮上すると、1986年には4位、1996年には3位、2018年にはついに2位まで登り詰めた。

横浜DeNAベイスターズ

横浜DeNAベイスターズの前身である大洋ホエールズは1950年に球団創設と同時にセントラル・リーグに加盟してからチームの本塁打数は4位で始まり、1964年に3位に浮上したものの、1984年に4位に落ち、1987年には5位、1993年には6位まで落ちた。
その後、横浜ベイスターズを経て、横浜DeNAベイスターズとなり、2016年にようやく最下位を脱し、現在は5位。

東京ヤクルトスワローズ

東京ヤクルトスワローズの前身は国鉄スワローズだが、広島カープ同様、チーム力が弱く、ホームラン数でも5位・6位を争っていた。
1973年以降、万年最下位であったが、1993年に大洋を抜いて最下位を脱した。2004年に阪神を抜いて4位に浮上して以降、維持しており、目下3位の中日まで2022年シーズン終了時点で、160本差に迫っている。

阪神タイガース

阪神タイガースのチーム本塁打数は2リーグ分立後、しばらくは3位であったが、1964年に大洋ホエールズに抜かれ、3位に落ちた。1984年に再び、抜き返したものの、1995年に広島カープに抜かれ、4位に転落、2004年にはヤクルトスワローズに抜かれ、5位となり、2016年には横浜DeNAベイスターズにも抜かれ、最下位となった。

チーム本塁打数は、本拠地の大きさや形状によって左右される側面もある。
阪神は球団創設以来、甲子園球場を本拠地としているが、NPB12球団の本拠地の中でもホームランがもっとも出にくい球場の一つとされている。
甲子園球場は海に近いため、海から吹き付ける独特の「浜風」によって、ライト方面に打った打球が逆風で押し戻されることが多く、特に左打者はライトに引っ張ったホームランを打つのが難しいと言われてきた。

ホームランで優勝を掴んだ1985年の阪神タイガース


そんな阪神でも、ホームランで掴んだリーグ優勝があった。

吉田義男監督が2度目の監督に就任した1985年、4月17日の甲子園球場での巨人戦で、3番・ランディ・バース、4番・掛布雅之、5番・岡田彰布のいわゆる「バックスクリーン3連発」で波に乗り、快進撃を続けた。
10月12日、バースがシーズン49号本塁打を放って、1978年に広島カープが記録したチーム本塁打数のセ・リーグ記録である205本を更新する、チーム206本目を記録した。
阪神は10月16日、神宮球場での対ヤクルト戦で延長10回、5-5で引き分けたことで、1964年以来、21年ぶりにセ・リーグ優勝を果たした。

この年、阪神のチーム防御率は4.16とリーグ4位であったが、バースが打率、本塁打、打点の3部門で三冠王を獲得するなど、チーム打率は.285、最終的にチーム本塁打数は219本に達し、1試合当たりの平均得点は5.62点と、まさに打ち勝って掴んだリーグ優勝であった。

日本シリーズでも、西武ライオンズを相手に、3勝2敗で迎えた第6戦、長崎慶一、真弓明信、掛布雅之の3本のホームランで圧倒し、二リーグ分立後初の日本一を手にした。

翌年1986年も、阪神はバースが2年連続の三冠王を獲得するなど、リーグトップの184本塁打を放つ一方、チーム防御率は3.69とリーグ3位にまで改善したが、投打が噛み合わず、60勝60敗の3位に終わった。

これ以降、阪神がチーム本塁打数でリーグトップになったことはない。

阪神は1991年に甲子園からラッキーゾーンが撤去されて以降、本塁打王なし

甲子園球場では外野フェンス前に「ラッキーゾーン」が1949年から常設されていたが(1976年に改装)、1991年のシーズンを以って、撤去された。
このことも拍車をかけ、翌1992年シーズンから10年間で、チーム本塁打数がリーグ最下位を8度、記録し、チームの低迷の要因ともなった。


その後は2010年、真弓明信監督の下、173本を打って、リーグ2位になったのが最多である。本塁打王も、バースが1986年に三冠王を獲得した時以来、日本人に限れば、1984年の掛布雅之以来、生まれていない。



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