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「もの寂しい」のが正解。

こんばんわ。
今日は、お掃除の重要性シリーズを少し横に置いて、感じたことを感じたままお話しようと思います。

今日、日が暮れる時間帯の早さや、肌寒くて、「なんとなく物寂しいなぁ」って感じたんですよね。
(多分毎年感じてるだろうけど)

ネットの辞書を引くと、

❝「物寂しい」 とは、明確な理由がないのになんとなく寂しく感じること

と書いてありました。

そのまんまじゃん。

南向きのマンションというのもあって、家で家事をするときは今でも半袖だし、アクティブに動きまくった夏の感覚のまま10月を過ごしたこともあって、少しテンション高めな状態が続いておりました。

が…

今年も例にもれず、「もの寂しいなぁ」って感じたんですよね。

引き寄せとかスピリチュアル的には「物寂しいなぁ」って思ったら、それを引き寄せちゃうと思いがちですが、

「ソレって、どうなんやろ?」

と思っちゃったんですよね。


私は、この世の彩りがとても好きです。

悲しかったり、辛かったり、
寂しかったり、切なかったり、
腹が立ったり、悔しかったり、
涙も出ないほど苦しかったり、
悲しくて泣いたり、
寂しくて涙が出たり、

そういう「色」があっての、この世だから。
それなくして、「光」はないのだから。
芸術(音楽も歌も、美術も、映画もドラマも舞台も、書籍も全て)が、美しく感動し、心を打つのは、陰陽の「陽」だけじゃなく、「陰」があるから。

良い者しか出てこないドラマなんて、つまらないですもんね。
(一時、ゆとり世代の教育を受けた人たちは、舞台上で全員シンデレラとか、全員手をつないで一等賞とかあったみたいだけど。)

言葉では言い表せないんだけど、特に何かがあったわけじゃないんだけど、もの寂しさや、もの悲しさを感じるのって、人間が創られた時からプログラムの中に入ってる感情なんじゃないかなぁ…と思ったんですよね。

私たちは、どこかで「味わいたい」んだよなぁ、きっと。

少なくとも私はそうです。
賑やかだった夏が過ぎ、ひと気がなくなって、全体がグレーがかった寂しい海や、いわゆる「哀愁」な感じ。
お鍋や温かいシチュー、人肌、こたつ、マフラーなどを求める人の姿や、コートの襟を立てて肩をすぼめる人の姿...などなど。
八代亜紀さんの「舟唄」なんか、サイコー過ぎて、鳥肌立っちゃう。

なんか、やるせなさとか、切なさとか、もの寂しさとか、もの悲しさとか...。全部好き。
それがないとその反対側の喜びも嬉しさの感動も半減しちゃいます。
上記イメージはマイナス的だし、スピリチュアル的には「手放しなさい」と言われそうなことだけど、

違うんじゃないかなぁ…
別に手放さなくってもいいんじゃないかなぁって思った。

年齢的なものもあるかもしれない。そういうのも全部ひっくるめて、人生を味わってこそ、深みが出るし、良い時もあれば、悪い時もあるね、嬉しい時もあれば、悲しい時もあるねって、包み込める優しさも強くなるから。

元気いっぱい太陽ギンギンキラキラの夏が終わったら、冬を迎える心の準備を始めるのが秋なんだよね。

都会はいつも賑やかで、冬になるとクリスマスムードとかいって、ネオンキラキラさせて、素敵な冬の装いを売りまくったろう、男も女も金使わせたろう的プロモーションや、あったかムードを作り出したようなイベントが満載です。

若い頃はそんなんも嫌いじゃなかったけど、今は焚火とか「本物の火」(暖炉とか焚火とか)に手をかざして本物の「灯り」や「燃える火」を見ることの方が圧倒的に贅沢なことのように思うんですよね。

「かがり火」や「漁火」や、「ろうそく」や、そういうのがいい。
真っ暗な田舎で見る星々がいい。

そうなってくると、ホント、もの寂しさを感じる心も、「美を感じる感性」として必要なんですよね。

ま、中学生の頃から中島みゆきさんが大好きだったし、何故か好きで歌いたくなる歌が黒鍵ばっかりのマイナー(短調)の歌だったり、色も彩度の高い色じゃなくて、少しくすんだ色が好きだったりと、表側の「陽」の印象とは裏腹に、中身は「陰」的なものに惹かれていたので、そういう傾向はあったと思います。

やっぱ、闇や影がないと光の良さって引き立たないんですよね。
春や夏の氣と、秋や冬の氣は、違うから、

なんとなくブルー、とか
なんとなく切ない、とか
なんとなく物寂しいとかは、ちゃんと感じれる方が自然の摂理に適っている思うんですよね。

ま、当たり前のことと言えば当たり前なんですが。

なんか、「幸せになる」「お金持ちになる」「成功する」ための引き寄せとかスピリチュアルの世界で言ってることが、「常に前向きな波動」ばかりに偏ってるのが、ちょいと気になっておりまして。

みんな願望を叶えたいし、理想の人見つけたいし、幸せになりたいし、成功したりお金持ちになりたいから、ネガティブはあかんっていう風潮があるけど、人間も自然界の生き物だから、やっぱり陰陽併せ持って、バランス取りながら、目の前にある「幸せ」を感じながら喜びながら螺旋階段を登るように上昇していくのが、最も理に適った、何千年も前からマスターたちが言っていることだと思うんだ、おばさんは。

上がったと思ったら下がってるように見えて、実は上がってる感じ。

秋(晩秋)に「もの寂しい」って思うのは、って生物として当たり前
「落ちちゃった」とか思わなくていいし、存分にもの寂しさを味わえばいい。
その味わいの中に「哀愁」を感じる心を育てたり、人や温かさを恋しく思う当たり前の感情をちゃんと味わえる人になれることの方が大切だよね!

って、思って過ごす方が自然だよね😊💕


今週、今日で仕事終わりの方はお疲れさまでした!
明日からの連休に予定の入ってる人は気をつけて、存分に楽しんできてね!

今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

ほなまた、明日!  ~祗是未在~


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