愛ちゃんの離婚からみる使命感という呪い

幼い頃から泣きながら卓球をする姿が可愛らしく国民的卓球少女であった卓球の愛ちゃんが、不倫して離婚した。

世間ではあの愛ちゃんが?残念!

そんな子じゃないと思ってた!


みたいな話が聞こえてくるが、愛ちゃんって本当はどんな人なんだろうか。


卓球よりお母さんが好き


2歳から卓球漬けで、家も練習場。

今季のオリンピックに出る卓球の子も同じような環境で育っているようだが

「夜中までの練習は眠いが、あくびすると叱られるからトイレでしてた。」

「トイレでちょっと寝たりしてた。」

とインタビューで答えていた。


本人は笑って答えていた。

それは、思い出話のように笑っていたのか?
もしくはこんなに頑張ってきたからなんですよっていうマウント的なアピールだったのか?
それはよくわからないが、幼い頃のインタビューで

「お母さんと卓球どっちが好き?」
と聞かれて

「お母さん♡」
とニッコリ笑って答える幼児の姿に胸が締め付けられた。


卓球ではなく、お母さんが好き。

だけど、夜中まで卓球の練習をしている。

切ない。


愛ちゃんも美誠ちゃんも、大好きなお母さんと一緒に練習するから長時間の練習も、厳しい練習も、耐える事ができたのだろう。

そしてお母さんの卓球のコーチがうまかったから、伸びたのだろう。

どんなに才能があっても、環境がなければ世界で活躍することは出来ない。

本人の才能、大好きなお母さんがコーチ、それが揃うと無敵といったところだろうか。


虐待された人は虐待する理論

才能のある子の大好きなお母さんが上手な教え方をできる環境を用意でき、厳しく育てることができればオリンピックに出られるのかもしれない。


オリンピックに出る為にはやはり、

オリンピックに出ること
メダルを取ること
そのために国内の試合で勝ちまくること
そのために死ぬほど練習をすること

それ以外を考えることなく、視野を狭めて、親子共々自分を追い込みまくって、全速力で走らなければならないのだろう。


ただ、ここで問題になるのは、オリンピックに出れたあとのことである。

だって彼女達は人間だから。


人間は、見たことがあること、してもらったことがあることしかできない。

想像したことをそのまま行動に起こせることはあまりなく、潜在的に自分のしてもらったことを相手にしてしまうのだ。

虐待をされた人が虐待をしてしまうのもそのためだ。

愛されなかった人が、人を愛せないのも、愛したいけどどうしたら良いのかわからないのも、そのためだ。

犯罪や自分を含めた人間を傷つける行為をしないようにする為には、人の話をよく聞き、判断し、学び続け、一進一退しながらも成長すること以外ない。

逆に言えばそうすれば、愛されなかった人も人を愛することができるし、虐待された人も虐待することなく子供を育てることができるはず。はず。

一応理論上ではこうは言うけど、細心の注意を払わないとなかなか難しいなと私自身は思っている。


私は
「お前を育てるのにいくらかかってると思ってるんだ!」
と言われて育ったのだが、娘に反抗期でキツく当たられる度にグッと堪えつつも
「やる事さえやっとけばあと自由でいい。それだけはお願いだからやってくれ。」
とよく言ってしまう。

好きなこともやらなければならないこともしっかりやっていこう!という思いで子育てをしてるから何も間違ってはないと思うのだけど、私の心の裏には少なからず金のことがある。
毎月塾に25,000円近くかかることや、夏期講習はそれにプラス30,000円かかること、前期と後期は50000円ずつ別にかかること、そして部活のお金や趣味に費やすお道具のこと、それらがブワッと脳に浮かび上がるが「やる事さえやればあとは自由」という言葉で直接「お前にいくら金をかけてると思ってるのか」という言葉を隠している。

行きたいと言って塾に通ってるからには金は出すからやれることはやってくれと常々思ってる。

結局親と同じことを思っているとわかるとガッカリする日もあるが、絶対にあの言葉は言わない、そして可能な限りお金は出す、そう固く決めている。

固く決め、冷静に頭を動かさないと、同じ言葉を発するだろうと思う。


話は逸れたが、それくらい親からの言葉は自分が子育てする時に影響するし、そこから抜け出そうものなら、相当な固い意志がないと難しいということを言いたかった。


本当に勝ちたかったのか

さて、愛ちゃんはよく負けると泣いていた。


勝ちたい勝ちたいって泣いていた。


たけど、勝ちたかったのだろうか?

褒められたかったのではないか?

もしくは、叱られたくなかったのではないだろうか?


人間の脳の仕組みとして、負けず嫌いな精神を持っている人とそうでない人がいる。

負けず嫌いでない人は頭の形が平らになり、負けず嫌いな人は頭の形が尖ると言われている。

それは大昔からなのだそうで、お坊さん、僧侶の絵はみんな頭が四角い形に描かれるので、是非ググってみてほしい。


彼女に負けず嫌いな精神があるとしたら、本気で負けることが悔しく、勝ちたかったのだと思うが、もしそうでないのであれば、話は変わる。

あぁ、彼女の頭を触ってみたい。


英才教育を受けた人の子育て

お母さんに褒められたくて、叱られたくなくて、一生懸命頑張ってきた彼女は、どんな子育てをしていたのだろう。

何も頑張れない、生きているだけで花丸な赤ちゃんは、どう育てたら良いのかわからなかったのではないだろうか?

ただ見守るしかできない、何を言っても理解できない幼い子は、そこにいるだけで愛される。
カワイイカワイイだけでいい。
そんな子育てはどんな気持ちだったんだろうか。

英才教育といっても、意味があるのかないのかわからない時期なんて、親は本当に辛いと思う。


先日幼稚園のママ会で
「3歳から英語を習わせてるけど、今5歳で本当に意味ある?って思いながら通ってるんだけど中学生育ててどう思う?」と聞かれた。

私は無責任に
「きっと意味あるよ。やらないよりやった方が。我が家の中学生も9歳から英語やってて、今更これ?とか言いながら中間テスト97点だったし。でも本人が楽しいならね。楽しくないならすぐにでもやめた方がいい。嫌いになっちゃうから。」と言った。

「そっか…よかった…楽しそうだけど意味あるのかなって悩んでて…」そう言いながら幼稚園ママはホッとしていた。

幼児教育なんて手探り過ぎて、ましてやその先にあるものも見えない環境は本当に辛いと思う。

私はこの手の相談をされた時は明るい答えを無責任に言うことにしている。
頑張りたいけど手探り過ぎて辛いから聞いているだけなのだと思うから。

愛ちゃんのママも美誠ちゃんのママもきっと相当な辛さの中で頑張ったのだろう。

だが、その皺寄せを彼女らは受けることになってしまうのが非常に悲しい。

お母さんが頑張ってきたからといって、彼女らが頑張る必要もなければ、卓球をやらせる必要もない。

だがそれしか知らない彼女にとって、卓球をさせない子育てはとても難しいのではないだろうか。


離婚おめでとう。

離婚原因の1つとしてモラハラ、パワハラと言われているが、家事や料理をすごく頑張っても至らなくて叱られたりしてそれがパワハラとかモラハラとか言われてるわけではないのかと少し思ってしまう。

「あなたはオリンピックに出る為に生きている」
もしそう言われて生きていたなら、社会的に多くの同世代が経験したことを経験できないまま今の年齢に至っている可能性がある。

ピアノに命をかけているような子が指を怪我しないように親が体育を休ませたり、強化合宿に参加するため修学旅行に行けなかったり、いろんな人がいるとは思うが、たくさんの犠牲のもと生きているとしたら、その犠牲と引き換えに得てきたものを活かして生きる以外なかなか選択はできないだろう。


アスリートと結婚した時は、良かったと思っていたが、よくよく考えたら、そんじょそこらのアスリートとは訳が違う国民的卓球少女が、そのへんのアスリートと結婚なんてダメだったなと思ってしまう。

2歳からカメラに追われながら夜遅くまでコーチと寝起きしすべてを捧げてきたオリンピック選手は地球上でも特別中の特別で、もしその特別中の特別なアスリートと出会ったとしても、その人と共感する部分が多くあったとしても、一緒に暮らしてはいけない気がする。

狭い世界で深く築き上げられた精神は、通常の夫婦の歩み寄りなんてものでは解決できない。
それはもはや洗脳と一緒で、宗教観の違いと変わらないと思うからだ。


不倫はよくない。
しかしもしかしたら結婚出産で卓球から離れて、やっと自由になった実感が湧いたのかなと勝手にだが思ってしまう。

子供に卓球はさせたくないとも言っていたことから、自身の受けた子育てに肯定的とは思えない。
でもあの家で結婚生活を送る以上アスリートを育てることを求められたり、厳しく頑張り続ける人生を歩まなければならないだろう。

勝手ながら離婚できてよかったなと思ってしまう。

ただ、誰の口車に乗せられたのか、もしくは勝手に思い込んだ使命感で動き出したのかはわからないが、卓球のためにと彼女は起業した。

私には卓球に呪われているとしか思えない。

今の彼氏がどんな人かはわからないが、今までよく頑張ってきたねと彼女の人生を労い、卓球に縛られず生きる方法を提案してくれる優しい伴侶にどうか巡り会えますように。

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