アイドルオタクでいることの正当性

元々どちらかというと、オタク気質ではあったと思う。小学校から大学生まで、珍しくない漫画とアニメなどサブカルが好きだった。特に好きな漫画についてアニメイトでグッズを買って、ファンアートを描いたり、二次創作本を読んだりしていた。カラオケで歌える曲はアニメソングかボーカロイドだったり。その頃からアイドル好きな子は周りにたくさんいたが、全くその魅力はわからなかった。「アイドルなんて、『偶像』って意味でしょ。実在の人間が、理想の美しい姿だけを見せる偶像を演じているとわかっているのに、それにどうして現を抜かせるのか」と思っていた。

社会人になってから先輩の影響で韓国アイドルに夢中になり、アイドルオタクの楽しさを知った。たしかに彼らは偶像としての美しさを演じているけど、なにせ偶像か実在の人間かなんて考える暇もなく美しいので、目を離せない。それに綺麗事しか言わないのもすごく安心感があった。アイドルもファンも、「好き」「いつもありがとう」「これからもがんばる」と美しい感情しか表さない関係が心地よかった。「美しく見せる」ことに特化してはいるけど、そう見えるために、尋常じゃない努力と工夫がされていることはすぐにわかるので、そこに畏敬の念を抱くのは当然だと思った。

でも、美しいアイドルの姿に純粋に酔い、オタク友達と楽しいだけの会話をすることは、年を重ねるごとに減っていくようだ。

アイドルのスキャンダルやオタクの歪んだ愛の表現に、自分のオタクとしての姿を顧みる機会は山ほどあった。それと同時に、自分の熱が冷めていく様子を自覚することは、移り気で気の短い性格なんだと自己嫌悪感を強くしていった。

私はいつまでアイドルオタクをやっているのだろう。文句も愚痴もいいながら、一生続けているような気もするし、かつて趣味の全てだった漫画の連載終了後にほとんど読み返さなくなった今の自分を見ると、いつの間にか後ろ足で砂をかけて何か他のオタクをやっているような気もする。なんやかんやミーハーで、K-POPの流行に乗せられていただけと言われても言い返せないかもしれない。
アイドルオタクであったことは間違いなく私の人生の財産だと思っている。それは、かつて理解しえなかった偶像崇拝の楽しさと脆さを体感できたという点と、アイドルオタクになって初めて得たたくさんのオタク仲間においてである。マジで、一生大事にしたい友達がたくさんできた。みんなありがとう。
だけど、アイドルのオタクになって5年目で、これまでになくアイドルを推すことにためらいだとか虚しさを覚えるようになったのは、私が歳をとったせいだけではないと思う。大きなイベントとして、2つ記そう。

1つは、過去の記事に書いた「推しの脱退」。円満とは対極にある脱退だったような気がする。あれ以来、推しアイドルに「好き!」「かっこいいなぁ」と思うたびにどこかで「彼もいつか失うかもしれない」「今叫んでるグループ愛も、いつか『嘘だった』と思わなくちゃいけないかもしれない」と頭をよぎるようになった。偶像を妄信できなくなった出来事の1つ目。

2つ目が、ジャニーズ事務所の性被害告発とその後の対応についての報道。私はジャニーズアイドルに思い入れがないが、普通の学校生活を送っていれば国民的アイドルの歌はいつくもそらんじられるし、もはや彼らはこの国の経済の大部分に関わっているとも感じている。
先に言っておくが、事務所が一部であろうと認めたことと告発の大きさと性被害は元々声を上げにくいという性質をもって、私は報道されている性加害はおおむね事実だと考えている。そこが受け入れられない人とはこの話題を共有しない方がいいだろう。
ジャニーズアイドルには何も思い入れのない私ですらかなりショッキングな出来事だったので、好きな人には一連の報道と現状はかなりの悲しいものだろうと思う。大好きな友人達が、少しでも早くその傷が癒えてまた憂いの少ない趣味の時間を持てるようになることを願っている。
では私が受けたショックとは何か。まず言うなら「自分が心を捧げている『アイドル趣味』が、誰かの支配欲を満たし、どこかの若者が辱められるための、構造の一部であったかもしれない」と考えてしまったことだ。
直接ジャニーズアイドルを推していたわけじゃないのに考えすぎだと思われるかもしれない。だけどまず、ジャニーズ事務所のビジネスは国内外に影響を与えていて、韓国アイドル業界においては最早有名な話である。また、大切な友人を含め、多くの彼らのファンが戸惑い悲しんでいる様子を見て、他人事だとは思えなかった。平穏が奪われただけで戸惑うし、グループ活動の在り方が変わって、時にグループの名前が変わって、今まで見れていた姿が見れなくなる不安は大きいし、大好きな推しが性被害の関係者だったかもしれないと思えば正気でいられないと思う。だから耳を疑うような「(事務所の性加害は)知っていたが、そんなことは皆わかってファンをしているもんだ」と性加害を軽んじるようなファンの発言等も正常な精神状態ではないのだと想像することができたし、これまで多くの金銭と時間を費やしてきたことへの正当化だけでは説明がつかないものである。当然その発言を容認することはできないが、自分が同じ立場になったとき、正しい言動だけできる自信は微塵もない。かつて推しが脱退したときの自分の醜く罪深い思考回路がそれを証明していたから。

日ごと、「アイドルオタクをやめよう」と何度思っただろう。しかし今の私の心の拠り所が、ほとんどアイドル趣味である。休日に連絡をとるのはアイドルオタクの友達ばかりだ。他の余暇に心を砕く方法を忘れてしまった。「やめよう」そう言いながら、泣きながらまた好きなアイドルの音楽に癒されている自分が嫌になる。「嫌ならやめちまえ」と言うけど、それができればどんなに楽だろう。「やめちまえ」ついでに他に夢中になれることを教えてほしい、時間が経てばきっと他に夢中になれるものが人生に現れてくれるんだろうと、わかっているつもりだけど。
あれから私の余暇には常に憂鬱と後ろめたさが付きまとうようになった。
今までは、私の愛している対象がたとえ虚像だとしても、イミテーションの美しさだとしても、それが自分のモチベーションになるなら、誰にも迷惑かけていないんだから構わないと思っていた。だけど、その過程で自分の欲が誰かを傷つけたり誰かの犯罪の片棒を担ぐことになりかねないと思いはじめてしまった。
それでも推し達を美しいと思ってしまう。この美しい作品に至るアイドルと演出家たちの多大な尽力を讃えるべきだとも思ってしまう。

これは病気だろうか、美を求める人間の叡智の結晶だろうか、ただ欲深い大人の巧妙なビジネスシステムだろうか。

いずれにせよ、偶像としてたとえ一時でも生きてくれた推し達には、たとえ妄信が解けても、人間として最大級の感謝と敬意を捧げます。音楽を選んでくれて、私の人生に入ってきてくれてありがとう。大小を問わず、不当な脅威から離れて生きていけますように。

地上の全ての人が、愛と音楽だけを語って生きる世界が来ますように。

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