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ネガティブが源泉だっていいじゃない。

昨日こんなツイートを見つけて、んんん?って感じた。

『「自分で決めるのは苦手なので、誰かに委任します」という選択もあってほしい』と続くのですが…

確かに、自分ではできないことを誰かにやってもらうって選択肢はあるべきだと思う。思うけど…

自分で決めることや取捨選択することは、最初は無理だと思っても何回か繰り返せば慣れますよ…?
そんで、自分で決める、ってめっちゃ気持ちいいんですよ…?

って言わずにはいられなかった。

『私にはできません。自分で決めろと言われるのが苦しいです』と主張する人は、そもそも何回か試したうえで『無理です』って言ってるのかな?
やったこともないのに『苦手です』『できません』って言ってるだけじゃないのかな?とも思わずにはいられない。


なにかを「決める」というのは脳にすごく負荷がかかる行為で、
「決める」ことを、人は基本的に避けたがるのだそうです。
だから慣れないことに対して「私は決められない。あなたが決めて」という思考になるのは脳や心理のメカニズム上、自然なこととも言える。

だがしかし!!!!**

**

「自分はこう思う」
「自分はこっちがいい」という
選択と主張は繰り返すことによって経験が蓄積し、抵抗も薄れていくので慣れるんです。 

つまり、できるようになります。

日本社会では「自己主張をすること」「少数意見を述べること」「相手と異なる、もしくは反対意見を述べること」はよくないことと見なされる風潮がありますが、そのせいで否定されたり、自分を押し殺したりしてきたため自信が持てず、「選べません、わかりません」ってなってるだけなんじゃないかな、と思いました。


「なにをしたいかわからない人も大勢いる」とのことですけど、
そういう人にもたぶん、「したくないこと」はあるはず。

早起きはしたくない、
接客はしたくない、
満員電車に乗りたくない、
あの人と関わりたくない……

絶対なにかある。だから「したくないことを、しない」ことから始めるのでも全然いいと思います。

私はリゾートバイトを続けててもう5年近くになるんですが、そもそも始めたきっかけは「実家を出たい、地元にいたくない」という
やりたくない思考が元になってます。

職場は長くて半年、だいたいは3か月くらいで契約終えてそのまま辞めます。
なぜなら、「これ以上ここで働きたくない」と思うから。(逆に、もうちょっといたいな、と思えば留まります)
そして今ノマドやフリーランス的な働き方をしたい、と考えているのもそもそもは「これ以上アホな大人に振り回されたくない」と思ったから。

そういう「やりたくない」願望も、充分なにかの原動力になるんです。


ルフィは「海賊王に、おれはなる!」って言ってグランドラインを目指したわけですがサボは「このままここにいたらおれはダメになる」と思って子どもなのに海に出たわけです。それにはゴア王国、しいては世界政府の闇がつくりあげてしまった矛盾がまずあって天竜人や貴族は、

おっとすみません話が逸れました。


まあなにが言いたいのかというと、

〇〇はやりたくない、ってことがわかると「じゃあそのためにどうするか?」という新しい道を考えなくてはいけないわけでして、
それは最初しんどく感じることもあるんですけれどもその度に「じゃあこのままずっと〇〇を続けていくの?死ぬまで??っていうか明日死ぬとしてもそれやるの???」と自分自身に問いただしてみると「いやだああああああ!!」ってなって、それがエネルギーとなりあれこれやってるうちに、

『あれじゃない(悶々)』→『これでもない(うだうだ)』→『あれ?こっちは意外といけるぞ…(ぽわん)』→『ん?じゃあこういうのは…(ごにょごにょ)』→『おっ、なんかいい感じじゃね?(ぱぁっ)』

っていう風になるんです。
そうなるともうこっちのもんですよ。


冒頭の関連ツイートに、

今の世の中の人間に推奨されたり、模範とされたりする、「自己決定権を持つ自立した人格を持つ市民」というのも、これはこれで時にしんどいものですよね、と。だから、合わない人には合わないんだろうなぁ、と。

というものもありましたが……
そもそも自己決定の判断を、
自分自身にとって楽しいかそうでないか、興味があるかないか、やりたいかやりたくないか、という自分基準に沿って行っているので

”自己決定権を持つ自立した人格”が合わない人などいない。というのが私の結論です。(どーーーん)

そしてその始まりが、「〇〇はイヤだ」っていう後ろ向きな感情でもいいと思うんです。

もちろん、ずーーーっとイヤイヤばっかり言っていても進歩はありません。
だけど自分にとって嫌なもの、不快なもの、興味のないものをなくしていくと驚くほど心が軽くなります。(なんなら体の調子もよくなる)、
そうすると今まで見えていなかったものが見えるようになったり、新しいことに興味が出て来たり…ということが起こります。

必ず起こります。

例えば発達障害やうつなどで、脳が正常に機能しない人にも「自分で決めろ!」と託すのが正解だとは言えないのかもしれませんけどね。

でもそうじゃないなら、
「自分で決める技量のない人間は苦しむ社会だ…」なんてウダってないで、まあなにかやってみなさいよ、と言いたいはなしでした。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました!

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