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自己肯定感が低いメリット

SNSで自己肯定感が低いから、どんな相手でも尊敬できるのがメリットだ、というような言葉を見かけた。原文は見つけられなかったので、割愛…

物語を書くようになって、自分がどれだけ思い込みでいきてるかを日々思い知らされている。
同じ言葉や状況でも、人によって受け取り方が違うなんて、よく聞く話。
知ってるくせに、理解していなかったんだなぁとしみじみ。

そんなことをぼんやりと考えている時に、冒頭の言葉に出会った。

私はよく人を褒めるらしい。
社会人になって、注意は積極的にされるのに、よいところを伝える人は少ないと感じたから、自分が褒める側に回ってバランスをとろうとしたのが意識したきっかけだったと思う。
その目的は、相手に自信を持ってもらうためだった。

でも、それは「自信を持つのが良いこと」だというのが前提にあるということに思い至った。

私は自信がない、つまり、自己肯定感が低いのを悪いことだと思っていた。
世間的にも自己肯定感を高めましょう、という風潮がある。
でも、私が人を褒められるのは、自己肯定感が低いからできたことなのかもしれないと思ったのだ。

私は、仕事で必要な時以外はお世辞は言わない。バレるから(笑)
それでも、自己肯定感が低いお陰で、周りの人が素敵に見える機会が増えて自然と人を褒める回数が増えているんだと思う。例えるなら、四つ葉のクローバーを見つけたり、自販機でジュースが当たったり、そういう小さな出来事でも幸せを感じられるという感覚。
私は喜んでもらえて嬉しいし、相手も褒められて喜んでくれる、その機会が増えると考えれば、良いことな気すらしてくる。
じゃあ、なぜ自己肯定感が低いのが良くないと言われるのか?

多分、自己肯定感が低いと、そのベクトルを自分に向けて、周りの人と比べて私は…といったネガティブな考えを生むことが多いからだと思う。
でも、それは人と同じ土俵に立たなくちゃいけないという思い込みのせいだと言えないだろうか。
人と同じ土俵に乗ろうとするから、比べるという発想が生まれて、物差しが狂っているのが問題になる。
それなら、物差しの使い方を変えればいい。

自己肯定感の低さは、今までの人生で積み重ねてきてしまったものだから、急には増減しないと思う。
気付いた時から意識して生活することで、後に高めていくことはできるが、労力と時間がかかってしまう。
なら、その性質も自分なんだと認めて、活用した方が早い

一番簡単なのは、言葉を変えること。

あの人はできる「のに」にすると、ネガティブな言葉が続きそうだが、あの人のここがすごい「から」にすると、ポジティブな言葉を続けたくならないだろうか。
自己肯定感が低いと思っている人は、まず、最近羨ましいとかずるいと思ったこと、誰かの言動で自分がダメだと思わされたことを書き出してみて欲しい。

例えば、テキパキと仕事をこなす同僚を見て、自分が負けていると思ったことを書き出す。
・知識量が少ない
・受け答えが下手
・資料作りのセンスが悪い

このままだと、だから自分はできないのだ、という結論だけで終わってしまう。
だから、その後ろに「から」という言葉をつけてみる。
・知識量が少ない「から」本を読もう
・受け答えが下手だ「から」挨拶の後に一言何か加えよう
・資料作りのセンスが悪い「から」同僚の作った資料を真似てみよう

これをすることで、劣等感の原因一覧だったものが、課題一覧になる。
さらに、自己肯定感が低いということは、「できた」と感じるハードルが高いということでもあるから、書き出したものを自分が納得いくまで愚直にやればいい。
たまには休んでいいし、手を抜く日もあっていいから、できるだけ続けてみる。

騙されたと思ってやってみると、自分の中の劣等感は変わらないけど、周りの目が変わっていく。
自然と人に褒められ、認められるようになり、周りに評価されている自分を受け入れていくことで、気付けば自信を持てていたりする。

自信をもとうとか、自己肯定感を高めることを目的にするとしんどい。
ダイエットと同じで結果はすぐに出ないし、すぐリバウンドする。
しかも、結局、その成果を判断するのが自分だから、いつまでも劣等感は消えないままだ。

だから、自己肯定感の低い自分に寄り添って、自分のネガティブな感情をポジティブな原動力に変えることで、自己肯定感の低さを武器にしてしまえばいいと、私は思う。

人は育ってきた環境や経験から、知らず知らずのうちに自分の世界を狭めている。無意識の思い込みというフレームに気付いた時、立ち止まって考えられる人でいたいなぁ、とふと思った夜だった。

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