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ザ・ノンフィクション 「52歳芸人」の問いかけ

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今回のザノンフィクションは52歳芸人の小堀敏夫を追ったものだ。

ガスは止められ食事は弁当が主体になる。youtube でルーティン動画が流行っており食事風景をよく目にするが、小堀も予想通りクチャクチャと音を立てて食べる。

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所属している劇団でネタ見せ品評会に小堀も出させてもらっている。審査員は劇団の創立者でもあり作家兼芸人でもある喰始(たべはじめ)。小堀が舞台に向かう足取りは重い。その原因は舞台上で明らかになる。ネタを用意していないのだ。だからどことなくしどろもどろになる。それを見透かしたように喰始が小堀に対してアドバイスを含んだ講評をすると、言い訳が始まった。その悪びれない態度に業を煮やした喰始が厳しい言葉を突きつける。そこはさすがに作家だけあって筆鋒鋭い。「信用できない詐欺師」「本当に悪い鏡」。

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そんな喰始も小堀のいないところでは親心を吐露する。自分は人を嫌いになれないタイプで、足掻いている人間の面倒を見るというのだ。
小堀には少なくともそういった姿勢は見受けられないから何かしらの彼の芸人としての才能を見いだしていたのだろうと思う。喰始は若くして売れ第一線に居続けている。だからこそ努力以上に才能の重要性を骨身にしみて理解しているはずだ。

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一方で小堀がパチンコに興じる姿が映し出される。年間で100万稼いでると豪語するが、後に弟子でもある後輩に金を無心し続けていることからギャンブル中毒者特有の言い草であることが分かる。
また、日本全国の芸人を敵に回すことを言い出す。パチンコで勝っているからR1、M1はやってられないと。そこで芸人にとって登竜門と言われる大会の応募資格すら調べたことがないことが分かる。

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舞台のギャラは雀の涙であろうし、パチンコ収入はあるわけもなく逆にマイナスだろう。ではどうやって生活費を稼いでいるのだろう。
それは、後輩にせびることとギャラ飲みだ。後輩は小堀を崇拝しているようで師匠とまで言い快くお金を貸していた。
ギャラ飲みはいわゆるパトロンと酒席を供にして帰り際にお車代としてお小遣いを貰うことだった。
後輩にその道の師匠と呼ばれるだけあって中々堂に入った幇間ぶりであった。そしてお客さんも満足感を口にしていた。
最近ではプロ奢られやー、レンタルなんもしない人のように金持ちの話し相手をつとめて賃金をえるビジネスがあるが、そういう路線も可能ではないかと思えた。

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おそらく小堀は芸人としてのポテンシャルは高いのだろう。同じ境遇の地下芸人達と並んでも存在感は突出していた。良くいえばスポットライトを当てさせる華のようなものがあるのだ。
社会人としては決して誉められたものではないエピソードがてんこ盛りだが、どことなく憎めないところがあるのだ。

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その原因は実家に帰省した際に理解できだ。ご両親はご健在であるが、高齢者とも思えぬ利発な方で息子に叱咤はしつつも愛に満ちていた。つまり小堀は非常に育ちが良いのだ。だから下品な振る舞いにも内面を感じさせるのだ。
父親がいうには落語家に弟子入りした時には師匠からも素質を認められ将来を期待されていたようだ。
ただここでも驚愕すべき事実が明らかにされる。40代まで親が仕送りをしていたのだという。

日付は変わり、再び喰始の舞台に出演することになる。日記を使った自虐ネタで勝負したところ前回とは打って変わり会場は大受けだった。喰始めも笑いを隠せずアドバイスをしてくれる。段ボールに崖の絵を描いてそれを背負い、崖っぷち芸人として売り出せばよいのではと。
ここから起死回生かと思いきや、当人の表情は曇りがちだ。道具を使って笑いを取るのは自分の芸風ではないというのだ。

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そのような理由もあってか、次の舞台にはドタキャンをすることになる。
これが続き、喰始も仏の顔も三度までとばかりにこの(屑)芸人に引導を渡すことになる。つまり首だ。それを通達する喰始の文も苦渋を滲ませていた。人間としての生き方を否定はしないものの劇団の一員としては許容しがたいということだった。
この文面からも喰始の「人間を嫌いになれない」「足掻いている人の面倒を見る」というのは本心ではないかと思う。

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それを更に裏付けるものがあった。劇場の前の立て看板の演者の中に「みつまJAPAN」の文字が。

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芸を発表する場を失い、アイデンティティを奪われた小堀は奇策に転じる。
ゲイバーでの職を得ようとするのだ。しかし、そこでも履歴書すら用意しておらず店のママから社会常識の無さを諌められる始末。また芸の肥やしで働こうという魂胆を見透かされる。だが、恩情もあってか雇って貰うも数日で店に現れなくなる。

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本格的に路頭に迷うが、ここでも救いの手が差しのべられる。弟子の魔法使い太郎ちゃんという芸人だ。小堀を師匠と崇めるだけあって稀有なキャラクターの持ち主だ。自分の営業先の口利きをし芸の場を与えギャラを5万円をわたす。
そこで小堀は驚愕の行動をとる。その5万円からかつて太郎ちゃんから借りていた2万を返し更に1万を借りるという、まるでヤミ金融ウシジマくんに出てくる債務者そのものなのだ。
これには、さすがの太郎ちゃんも呆気にとられるばかりであった。

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このドキュメンタリーの放映後、案の定SNSでは小堀に対して罵倒の嵐だった。
しかし、小堀はサラリーマンではない芸人であり社会規範に沿った批判を浴びせることに何の意味をないように思う。
テレビで雛壇の殊勝に並んでいる芸人を見ると、本人達はそれで満足なのだろうかと感じる。なぜこの道を選んだのか。

それ自体目的化するのは本末転倒であるが、既存の枠組みからはみ出ているという自覚や、出ようという気構えが雛壇(芸人)には全く感じられない。だから見ているこちらも日常的な延長にしか感じない。それゆえ、刹那的な楽しさはあるのかもしれないが、あとに残るものがない。

この点今回のドキュメンタリーは小堀というベテラン芸人の総決算であり作品足りえた。
非日常的な世界に連れていってくれ、確かに見本にはならないが、こちらが当たり前だと思っていた固定観念に無数の問いを投げ掛けてくれた。少なくとも自分が「芸人」に求めていることを満たしてくれた。

江頭2:50の評価が最近うなぎ登りだ。もともとテレビ向きの芸ではなく露出も多くはなかったが、youtube によって知られることになったのが大きい。
しかし、江頭の芸風自体は30年近く変わっておらず世の中の価値観が変わっただけなのだ。

小堀自体も江頭のように明日になれば評価が様変わりすることも十分あるように思う。

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