146.お皿十枚とお茶当番

本稿は、2020年5月16日に掲載した記事の再録です。

1980年代前半、二十代前半に、私はひとりの男性とお付き合いをしていました。彼は話をしても文章を書いても「機知に富んだ」という表現がぴったりな人で、お付き合いをしていてとても楽しい人でした。

なんとなくお互いに結婚するものなのだと思っていて、そろそろお互いの家に挨拶に行こうと計画を立て始めていたある日、きっかけは何だったか忘れてしまいましたが家事分担の話になりました。

その時、例としてあがったのが「お皿十枚」でした。もし一緒に食事をして洗い物のお皿が十枚あったとしたら、私は本来それぞれが五枚ずつ洗うべきだと思うけれど、私は彼が好きだから十枚洗ってもいいと言いました。

すると彼は、お皿を洗うのは女性の仕事だから、十枚とも君が洗うべきだと思う。だけど僕は君が好きだから十枚洗ってもいいと言いました。

その時、私は言葉にならない大きな違和感を覚えました。今なら「ジェンダー」という便利な言葉がありますが、当時はその違和感を表現する言葉を私は知りませんでした。

何人かの友人にこの話をしてみたら、私の友人たちは、みんな異口同音に「お皿十枚洗ってくれるっていうんでしょ。いいじゃない。そんな人なかなかいないわよ」と言いました。

なんとなく喉に小骨が刺さったような状態だった私は、また何かの折に家事分担の話になった時、彼のお父さんはお皿を洗ったりしないのかとたずねてみました。その時、彼は驚いた顔をして「そんなみっ…」と言いかけて、ハッとして口をつぐみました。

彼が何を言いかけて途中でやめたのか、お互いにわかっていましたが、それ以上どちらも何も言いませんでした。

私の父は大正13年生まれでしたが、普通に掃除も洗濯も炊事もしました。昔の掃除機はかなり重かったので、重い掃除機を父がかけるのは理にかなっていると子ども心に思っていました。洗濯などお手の物で、日曜日など母がいてもどんどん普通に洗濯していました。

料理はインスタントラーメン程度しか作れませんでしたが、母が家をあけていても、そういう時には、お刺身をスーパーで買ってくるなどして適当に食事を済ませて洗い物をするような人でした。

結婚は生活ですから、本来相手のすべき仕事だと思っていることを好意だけで何年も何十年も続けることはできません。喧嘩をすることもあるし、人生にはいくらでも困難は待ち受けているのです。

私は、このお皿十枚の会話がきっかけで彼との結婚をやめました。彼とは生活を共にすることができないと思ったからでした。

◇ ◇ ◇

1990年代後半、三十代の半ばも過ぎたある日、私はひとりの男性とおつきあいを始めました。彼はそれまで勤めていた会社を辞めて、資格試験の勉強をしながら小さな事務所に勤めていました。

その彼が、ある日、手に持ったペットボトルの説明として、事務所の変なルールについて語るともなしに話し始めました。それは事務所には「お茶当番」というのがあって、女性社員だけが順番に担当しているというのです。

彼としては、みんなが飲むお茶を淹れるのなら本来男女とも当番をすべきだと思うけれど、そうすると事務所の所長を始め古株の大先輩も当番をしなくてはならず、そんな提案は新参者の僕にはとてもできない。

だから、せめて、自分はペットボトルを買ってきてお茶を淹れてもらわないという、ささやかな抵抗をしているのだと語ったのでした。

私は、この人となら一緒に生活していけると思いました。結婚生活に大切なものは人それぞれだと思いますが、「お皿十枚」や「お茶当番」の問題は、一見些細なことのように見えるけれど、私にとっては根源的な問題でした。

結婚の決め手がもしあるとしたら、私にとってはこの時の会話でした。ペットボトルの彼とは今も割れ鍋に綴じ蓋で仲良く暮らしています。


<再録にあたって>
時代が令和になって4年目。これから結婚しようという若者はにとってこのような会話はどのように聞こえるのか、聞いてみたくなります。


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