028.日記帳と盆栽

19歳の冬、私は片思いをしていました。相手は同じ大学の男子学生でした。

彼は、私と仲良しの女の子のことを好きな男子学生の仲間で、顔見知りという関係に過ぎず、2人で話をしたことはありませんでした。立ち姿のきれいな人でした。それでも、どこの学科だとか、語学は何を取っているとか、少しずつ情報が入ってきました。

ひそかに憧れているうちに、どうやら付属高校から来たらしいということもわかってきました。なんとも洗練されていて颯爽としているのは、そのせいなのかと思ったりしました。

私は親戚から海外旅行のお土産にもらったCOTYの香水を手首の内側につけたりして、彼への思いを募らせていました。茶色い表紙の日記帳に彼への思いを毎日綴っていました。裏表紙の内側に彼の名前を緑色のペンで何度も書きました。片思いが成就するというおまじないでした。


その頃、私は本格的にフランス語を習おうと、夜、アテネ・フランセに通っていました。第二外国語程度ではいつまでたっても上達しないと思い、週に2度、御茶ノ水まで通っていました。

その日も御茶ノ水へ向かおうと駅のホームで電車を待っていたら、彼の姿を見かけました。ドキンとしたその時、彼には連れがいて、その人はきっと間違いなく彼の恋人だということがわかりました。1978年(昭和53年)、まだ髪を染める人など珍しかった時代に、彼女は金色のメッシュを入れ、上品なファーのついたコートを着て、ブーツを履いていました。ひと目で違う世界から来た人だというのがわかりました。美男美女カップルの姿にスポットライトが当たっているようでした。

40年以上経っても、あの日の2人の姿を思い出すと、大音量で八神純子の「みずいろの雨」が降り注いできます。あの頃は、街中を歩いていると流行歌が商店街のスピーカーなどから流れてきていたものでした。

ああ みずいろの雨
私の肩を抱いて 包んで降り続くの…
ああ くずれてしまえ
あとかたもなく流されて行く愛のかたち

なんだかあの時の自分の気持ちを表してくれているような歌詞でした。

それからしばらく経って、彼は高校生のときからそのお嬢さんとおつきあいしていて、彼女はどこかの女子大へ進学したのだということが耳に入ってきました。身につけている物ひとつ見ても、2人とも裕福な家庭の子女で、私のように公立の高校から受験をして入学してきた学生とは住む世界が違いました。


ある日、アテネ・フランセの帰り、自宅のある駅ビルのトイレから出てしばらく歩いたところで、私は大変な忘れ物をしたことに気づきました。それは、当時学生が皆んな教科書を入れるのに使っていた、流行りの厚手のビニール製のクラッチバッグを、トイレに置き忘れてしまったのです。

クラッチバッグの中には、MAUGER BLEU (モージェ・ブルー)と呼ばれるフランス語の初級者用教科書とノート、まだ山吹色をしていた頃のハードカバーの大修館の仏和辞典、そして彼の名前と彼への思いを書き綴ったあの日記帳が入っていました。気がついた時、全身から血の気がひくのがわかりました。

まずトイレに戻りましたが、見つからないので、近くの売り場の人に聞いて警備室に行きました。何色のバッグかと聞かれたので、黒ですと答えると、それなら中に現金でも入っていると思って誰かが持ち去ったかもしれないと言われました。中身を見てお金でないことがわかりその辺に捨て、それが交番に届いているかもしれないから、交番を訪ねてみてはどうかとアドバイスをくれました。

今度は交番に行って、折り畳みの椅子に腰かけ、落とし物届けを書きながら、置き忘れてしまった黒いクラッチバッグついて、また初めから語りました。もう定年間近の年配のおまわりさんに中身は何かと質問されました。フランス語の教科書と辞書、それに日記帳だと答えました。おまわりさんは「フランス語の教科書と辞書ねぇ、英語の辞書ならまだ使い道もあるけれど、フランス語じゃねぇ」と言いました。

私は必死になって、フランス語の教科書と辞書は諦めてもいいけれど、日記帳だけはなんとか手許に戻したいと訴えました。おまわりさんは「フランス語の辞書より、日記帳はもっと役に立たないからねぇ」と諦めた方がいいよというように言いました。

それを聞いた19歳の私の両目からは、突然涙がポタポタと落ちてきました。自分でもびっくりしましたが、堰を切ったように涙が溢れ出てきました。するとおまわりさんは慌てたように立ち上がると、私の両腕を両手で包むようにして、「いや、よくわかるよ。よくわかるよ、君の気持ち」と言ってくれました。

「他の人には価値がなくたって、自分にとっては大切なものというのは必ずあるんだ。君にとってはフランス語の辞書や日記帳がそうかもしれないけれど、私にとっては『盆栽』がそうなんだ。この前、何年も大切に育ててきた盆栽を運んでいた時、」というと、両手でうやうやしく盆栽の鉢を運ぶ手つきをし、「うっかり落としてしまったんだ」と、両手を離したあと、その手で頭を抱えました。

「うん。わかるよ、わかる。自分にしかわからない価値というものはあるんだよね」 おまわりさんはきっと交番で涙を落とす若き女子学生に動揺して、なんとか励まそうとしてくれたのでしょう。

でも、私はこの時のおまわりさんの言葉は、本当に嬉しくて、人の優しさをしみじみと感じました。途中で悲しくて泣いているのか、嬉しくて泣いているのかわからなくなるほどでした。


結局、教科書も辞書も、そして日記帳も出てくることはありませんでした。

私は大学の授業料も自分でアルバイトして支払っていましたから、もう一度高価なフランス語の教科書と辞書を買い直す金銭的余裕がなく、アテネ・フランセもやめてしまいました。

片思いはもちろんどうなりませんでした。でもあの日2人のあまりにもお似合いの様子を見たら、なんだかもう別世界の出来事という感じで諦めもつきました。

そういえば、研ナオコの唄う中島みゆき作詞作曲の「かもめはかもめ」という唄もよく街中で流れていました。

あきらめました あなたのことは
もう 電話も かけない 
あなたの側に 誰がいても
うらやむだけ かなしい

かもめはかもめ
孔雀や鳩や
ましてや 女には なれない
あなたの望む 素直な女には
はじめから なれない

青空を 渡るよりも
見たい夢は あるけれど
かもめはかもめ ひとりで空を
ゆくのがお似合い

片思いは、片思いでおわってしまいましたが、「他の人には価値がなくても、自分にとっては大きな価値のあるものがある。君の気持ち、よくわかるよ」そういって、慰めてくれた駅前のおまわりさんのひと言は、私の人生の中でも忘れられない言葉となりました。なによりおまわりさんの優しさが身に染みました。

若い頃を思い出すと、このような人の善意に支えられて生きてきたのだと改めて思います。おまわりさん、本当にありがとうございました。


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